私たちが幸せを感じられないとき、傷ついたように感じているとき、あるいは怖れを感じているとき ・・・ 知らず知らずのうちに、こころのなかで誰かを責めていたりします。
親が十分に面倒をみてくれなかったからこんな私なんだ・・・ あの人がちゃんと愛してくれないから不安になるんだ ・・・ あの上司にひどいことを言われたからこんなに傷ついていた ・・・。
イヤな気持ちと加害者は、かならずワンセット。「だって、私がこんなにいやな気持ちになって、こんな被害をうけているのだから 」と、こころは言い張ります。
でも ・・・ 誰かを責めていると、じつは自分の幸せのバルブを閉めることになってしまいます。
なぜなら、相手と自分のこころはひとつであり、相手に対してしていることはまさに自分にしていることと同じなのだ、とこころは理解します。相手に思ったことは、自分に対しても思わずにはいられないのです。
だから、相手は間違っている、ひどいやつだ!と決めたら、まさにそういう自分であると信じるようになり、これまた被害者となってこの気持ちをどうにかせざるをえません。
だから、被害者役をやることは、自分のための幸せの権利を拒否することになってしまいます。
「あなたは間違っていて、私は正しい!」と主張する被害者って、けっこう快感をともなうようで、自分の首をしめていてもなかなかその役を降りることができません。
私たちはどうやら、被害者になって誰かを責めつづけることにすっかり気を取られて、自分の正当な権利である幸せをみすみす手放してしまうようです。
でも、これをしていると罪悪感がたまる一方で、なんの解決にもならず、苦しさは増す一方です。
そんなことよりも、私のゴールは「ほんとうに自分を幸せにすることなのだ!」としっかりと目覚めて、加害者にでっちあげていた人たちを解放しなければなりません。
だから、まず幸せを感じていないときには、無意識のうちに誰を責めているのかをちゃんと知ることが必要です。
そして、ほんとうは「その人」は自分が不幸せでいるための口実であることに気づかなければなりません。
「あの人は加害者だ!」といくら信じても、この瞬間、その人は自分になにもしていないからです。それは自分のアタマのなかのイメージであり、イメージというのは自分が見たいものしか見ることができないからです。
そして、「加害者うんぬん」のストーリーにしがみつくよりも、ただたった今、自分で幸せになってしまいましょう。そうすれば、そのゲームをおりられます。
たった今、安らぎを感じるのに、どんな口実も理由も権利もいらないのですね。
あんがい私たちは、幸せになることよりも、被害者ゲームとそれがもたらすみじめさを愛しているかもしれません(笑)。
みじめでいたいのか? 幸せになりたいのか? たった今、幸せになるための決断なのですね。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )