20-09-10 信頼できないと感じるとき・・・

 

Q: 裏切られるようなことがくりかえされて、パートナーを信頼できなくなっています。

A: 「信頼」とは、いったいどこからやってくるのでしょう?

私たちは、自分の与えた信頼に値するものを目にしたときに、信頼できたと感じます。

しかし、自分の目にすることだけをベースにして「信頼に値するか、しないか」を決めようとすると、堂々めぐりのワナにはまってしまいます。

なぜなら、目にするものは自分の「こころ」から生まれているからです。

自分でさえも気づくことができない隠された自分のこころの状態をそこに見たにもかかわらず、それに対して「好きだ!」「嫌いだ!」と自分自身で反応してしまっています。

私たちはつねに、「自分が見たいと思うもの」を確実に外側に見つづけているのです。

そしてそれを目にして、さらに確信を深めるのです。「ほうら!やっぱり!思ったとおりだわ」と・・・。でも、「やっぱり!」なのは、自分がそう決めたとおりだっただけです。ビンゴ!で当然なのです。

これを繰り返していると、自分のこころのうちに隠されている不信感はさらに強化されるだけになります。つねに、「やっぱり!」「思ったとおり!」を目にすることになるからです。

「信頼できるものを目にしたい」と思うときには、相手に変わってほしいと望むのではなく、まずその源である自分の「こころ」に着手する必要があります。

なぜなら、こころのなかにある「対象についての意図」が間違っており、それをそのまま見たからです。

「見たいものを見る」のなら ・・・ まず「こころ」において、「信頼できるものしか私の目には映らない」「私が見るのは信頼だけだ」と決めている必要があったのです。

違うものが見えてしまったのなら、そう決めてはいなかったのだ、ということに気づかなくてはなりません。

私たちのこころといういうものは、野放しにしておけば「罪を見つけたい」という無意識の願望のままに見ることになります。そして、必ずそれを見つけます。

なぜなら、「罪を見つけること」で自分のちっぽけさ、足りなさを帳消しにすることができると信じているからです。

私よりももっとダメな人がいたじゃない!・・・ってことは、私はぜんぜん大丈夫なのだわ!と。

誰かが大きく間違っていれば、自分はかなり正しく感じられる、というわけです。

けれども、「罪を見る」ことを容認してしまうと、「自分は正しくない存在だ」「自分は何かがおかしい」という自分に対する疑いを本当のこととして受け入れてしまう、という大きな間違いをおかすことになります。

だから、人のなかに罪を見つけることは、結局は自分を小さく、価値のない存在におとしめて傷つけてしまうことになるのです。

誰かのなかに見える不十分さや間違いに対しても、「これは自分が見たいものを見ているのだ」「けれども、これを信じることで、私は自分を小さき者と認めてしまい、本当の自分が失われる」「だから、私はこの人の完全さだけを見たい!」と、きっぱりとスルーする必要があります。

断固として「私は罪のように見えるものには目をむけることなく、信頼だけを目にするのだ」と決めるとき、自分に対してついに正しい考えをもてたことになるのです。

人を貶めることで、自分の足りなさを埋めることをしなくてもよい完全な存在としての自分をついに認めたことになるからです。

すべてのもののなかに完全さだけを目にしたい、と決めることは、じつは自分自身に対して「正しい自分を受け入れます!」と宣言したことになります。

そして、「完全さだけを見たい」と決めるとき、ちゃんとそういう世界がそこにあることに気づきはじめます。

すると、「あら?この人、変わった?」と相手を感じるかもしれません。が、じつは自分のこころこそが変わったのですね。

だから ・・・ 裏切られた、信じることができないという状況に直面したら ・・・ 自分でも気づくことができなかった自分の無意識の思いが外側にあらわれたことに気づきましょう。

そして、今まで決して手放すことができなかったこころの間違いを手放すための癒しの機会を与えられたのだと認め、目にしたものにただ反応するのではなく、こころのなかの不具合を正す機会にすることができます。

信じることができずにいたのは、自分が罪や間違いを見たいをいう願望を密かに抱いていたからであって、それはもうつづけたくないと決めることで、自分の高い自己(ハイヤーセルフ)にその不信感や罪を信じる気持ちを渡してしまいましょう。

そして、高い自己に自分の完全性のなかで相手を見られるように助けてもらいましょう。

誰もがみんな、こころの不具合を抱えています。

相手や自分の間違いさがしに集中して責めるのではなく、ただ自分のこころを修正することだけを受け入れましょう。

そして、自分ひとりでは癒すことができずにいたこころの不具合を、この機会にこそすっかり癒してしまいましょう。

 

 

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