米国制作のドキュメンタリー「死者の記憶をもつ子供たち」を観ていました。
以前、日本のバラエティでも一部紹介されましたが、その子のものではない記憶に苦しめられる子供たちを取材しています。
その記憶というのは、たとえば第二次世界大戦だったり、9.11、ホロコースト、すでに亡くなっている有名人など、自分ではない誰かの記憶です。
子供たちは、そのリアルなイメージや恐怖感によって怯えつづけたりうなされたりするのです。
我が子の苦しむ様子にいたたまれなくなった両親が、子供からその詳細を聞きだし調査をすすめてみると、戦時中や実際の出来事において、子供の記憶と同名の人物が存在し、同じ体験をして亡くなったことが明らかになります。
まさに、その子供たちは亡くなっている人たちの生前の記憶を自分の記憶のように持っているわけです。このドキュメンタリーのなかではその遺族と面会(再会?)するという場面も見られました。
子供たちは、その記憶にただホンロウされるのではなく、正面から向き合うことでしだいにそれから解放されてゆきます。
まるで、その人物の恐怖や無念やさまざまな思いが癒されて無くなってゆくように。
たしかに ・・・ なくなる直前に恐怖に直面し、その恐怖をかかえたまま亡くなったとしたら、それは心に鮮明に刻印されうることもあるでしょう。
そして、輪廻という時間軸(これもひとつのものの見方にすぎませんが)から見れば、癒されていないものこそを抱えて再びやってくる、ということも不思議ではありません。
へえ〜〜、おもしろいね! と感じられるかもしれませんが、
これは誰にでも少なからずあるように思います。
子供たちのようにここまで鮮明でなくとも、誰もが子供の頃に同じ夢を何回も見ていたり、同じような恐怖心を感じつづけていたりしていることもあります。
あるいは、何かの出来事によって心の深いところが刺激を受けると、その記憶が表面に浮上してきて、わけのわからないザワザワ感だけが感じられるようなことが起こります。(あの子供たちのような鮮明なストーリーや画像は欠落しているため感情だけが感じられるのですが、じつは心の底にはストーリーも画像もひそんでいます。これはヒプノセラピーなどをしていると鮮明に現れます。)
私も五歳ぐらまでは、同じイメージをくり返し見てはうなされ、毎晩母を起こしていたものです。
それは、浜辺に打ちあげられた難破船と波内ぎわの骸骨のイメージ。死んじゃったあとは、自分を外から見ているのでおそらくあれは自分ではないかと感じています。なので、この人生では海は好きだけれど、水のなかでゴボゴボするのは大嫌いで泳ぎたくありません。
クライエントさんやお友だちからも、まったく幼児体験とは関係ない恐怖を小さい頃からずっと感じていた、という話を耳にします。圧死する恐怖、孤独死する恐怖、人から責められる恐怖、裏切られる恐怖 ・・・。
生い立ちや身に覚えのない恐怖を小さいころから強く感じていた方は多いのです。
初対面の人になんかザワザワする、というのも、詳細の記憶はなくなっていても、その感情だけは抱えているパターンですよね。
この子供たちのように過去世としての鮮明な記憶でなかったとしても、私たちのなかには自分では理由がわからない「感情」の刻印は残っているよう。
愛情深い両親のもとで大切に育ったのに、強い見捨てられ感があるとか。悲惨な体験はしていないのに、いい知れぬ恐怖が襲ってくるとか。裏切られた体験なんてないのに、絶対裏切られるという頑な信念を持っているとか。恋愛でツライ体験をしたこともないのに、とにかく異性に嫌悪感を感じるとか。・・・・
ヒプノセラピー(リラクゼーションを使い潜在意識を癒すセラピー)を行ってみると、みなさんなんらかの過去世らしきイメージやストーリーや感情が浮上してきます。まるで、この番組の子供たちが他の人の記憶を持っているように。
やはりそれは、戦時中だったり、災害だったり、その人生のなかでのインパクトのある事件だったり、あるいは個人的な悲しい出来事だったり ・・・ そこで強い恐れを感じたため、心に刻印されているようなのです。
そして、この子供たちと同様、それらの記憶や感情に正面から向き合い、受けいれてあげることで消え去ってゆきます。
まさに無念、後悔、執着、罪悪感こそが同じことをぐるぐるくり返させる原因であることがわかります。
それらは、心のなかで認めて、受けいれられたときに、穏やかに消滅してゆく(成仏してゆく)ことができます。
そうですよね。何か後悔があるときに、誰かに耳を傾けてもらって、「そうだったんだね!うん、うん、そっか〜!」と聞いてもらえたら、気がすむのと同じですよね。
もしも ・・・ご自分のなかに、自分の生い立ち、人生ではあるはずがないような「恐怖」「動揺」「執着」「混乱」など、ある種のパターンがあるようだったら、
それを無視してなきものにしようとするのではなく、とことん耳を傾けてあげましょう。
もしかすると、その感情を感じているうちに、ふとストーリーを語りたくなるかもしれません。あるいは、あるイメージが浮かんでくるかもしれません。あるいは、ただただその感情がよりリアルになってくるかもしれません。
ただ受けとめて、小さい子供の話を聞くように受けとめてあげましょう。それにあるがままに語らせてあげましょう。
自分のものではない記憶と向きあった子供たちのように、きっとそのわけのわからない感情はそれによって満足して、落ち着いてくると思います。
無視すること、逃げること、なきものにすることなく、正面から向き合うことが解放のカギになるのですね!
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )