「池の水、全部抜いちゃいました!」なんていう番組がありましたね。水を抜くと ・・・ あらあら、ビックリなものがあらわれます。
こころの池も、いえ、あえて沼といわせていただきますが、こころの沼もスッポリ水を抜くことができたらいいのに。
のぞきこんでみようとも暗く濁ってなにも見えないこころの沼ですが、もしゴゴゴ〜〜!と水が抜けちゃったら ・・・ あらま、キケン外来種がわやわや! すっかり占拠されていたことにびっくりするかもしれません。
キケン外来種とは、自分とは関係ないのに我がもの顔でそこに住みついているずうずうしい存在であるエゴちゃんです。
このエゴというイジワルで残酷で痛みや苦しみをこよなく愛するキケン外来種のせいで、こころの池はすっかり濁って不気味な沼と化してしまったのでした。いまやこの沼に何が映しだされようとも、すっかり歪んで恐ろしいものにしか見えません。
そして、その映し出されたものを見ては、ちぢみあがっている私たちなのです。
自分で自分をちぢみあがらせている私たちはそのことに気づいていません。コワイものの原因はそこではなく、世界や人や出来事のなかにあると信じています。
解決するためのポイントが完全にずれてしまっています。
ほんとうは、なにが目に映ろうとも、解決策はこころの沼をおそうじしてあげることで、すべてがあるがままの姿でクリアに映しだされるようにしてあげること。そして、源からやってくる光をきれいに反射して、自分の目にする世界をキラキラと照らしだし祝福してあげること。
そのためには、沼に身をひそめているキケン外来種(エゴ)の駆除がかかせません。
キケン外来種であるエゴちゃんは、いくら沼をのぞきこんでも姿をあらわしたりはしません。あまりに深く潜伏しているからです。
でも、もしも沼に映ったものが歪んでいるのであれば(自分が問題というものを知覚しているのであれば)、そこに駆除すべきものが潜んでいることを教えてくれているのです。
そこで、問題が知覚されたら、「やった〜!キケン外来種、み〜つけた!」と喜んでください。問題こそが、そこにいるよ!というサインだからです。
こころの沼のお掃除は、しっかりと「自分が必要としないゴミがある」という認識があってこそきれいにできるのです。ほんとうは問題だらけで自分に苦しみを与えまくっているのに、「私は大丈夫で〜す!」と見て見ぬふりをしているうちはお片づけをすることはできません。
ところが、私たちは問題を知覚するやいなや、すぐさまお掃除とはいかず ・・・ 抵抗をはじめます。
「こんなことがあっていいはずがない!」「いったいこれをどうしてやろうか?」・・・ と、「問題」VS「私」という対立モードとなり、その問題は自分とは無関係だとみなそうとします。
解決のためには、「これは、自分のこころ発」と認めることからはじめなければならないのに・・・。
問題とはたんに、「こころは沼と化していてお掃除が必要ですよ」「放置しておくと、どんどんコワイものに遭遇することになりますよ」というお掃除の必要性のお知らせです。
こころのキケン外来種を駆除して、澄んだ状態にもどしてあげるには ・・・
いま、目のまえで起きていることに対してあれこれ考えて、闘いを挑むのをやめましょう。
「オッケー!」といって、そのままにしてあげましょう。
そのままにするとは、それを握りしめるのをやめることです。ただ手をゆるめてあげれば、それはそのままとおりすぎて、消え去ってゆきます。目のまえをとおりすぎてゆく通行人のようにただ行かせてあげます。
闘おうとする気持ちが、この通行人の腕をつかみ、目のまえに引き止めてしまいます。
ただ手を離したら、キケン外来種駆除班である高い自己(ハイヤーセルフ)にお片づけを依頼しましょう。
「これは私の望む経験ではありません。私のこころの底にある誤った裁きの思いを取り去って、このことを安らかな気持ちで正しく見ることができるように一緒に見てください」と、まったく問題が存在しない次元を見ているハイヤーセルフの知覚をともにさせてもらいましょう。
あとはただそのままおまかせです。ハイヤーセルフが駆除作業をして、「これが正しいものの見方ですよ」と問題が存在しない知覚をシェアしてくれます。
問題が消え去るか、あるいはまったく違う見方ができ、問題とは感じなくなるか、はたまた予想外の嬉しい展開があるかもしれません。
しだいに濁った沼が本来の光輝く湖にアップグレードします。そこには、なにを映しだしても美しく完全で愛にあふれているように見えるはずです。
決して被害者になることなく、自分のこころが間違っていたことを認め、高い自己にこころのジャンクを駆除してもらい、あやしいものが住まう沼から澄んだ湖へとお掃除してもらいましょう。
こころの湖が澄みわたると、宇宙(源、あるいは神)の光がゆき渡り、すべてが美しさと完全さのなかで穏やかに見ることができるようになります。
世界や人々、自分自身があるがままに映しだされ、光は何倍にも広がってゆき、すべてを優しく包みこみます。
その光のなかで、自分自身もそしてまわりの人々も、安らかな笑顔でくつろいでいることに気づくでしょう。
濁った沼を放置すると異臭(問題)の原因となります(汗)。本来の自分自身である澄んだ湖として、愛と光と安らぎを感じ、広げる源となりましょう☆
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )