前回のブログで、具合が悪くなったときに「なぜ?」と原因探しをするのはやめなさい、と教えられたことをチラリと書きました。で、つづきはまたね!と終わったのですが・・・。
その後、何人かの方から「あのつづきはどうなりました? 私もすぐに原因探しをしちゃうたちなので、気になっているのです」とメールをいただきました。
ひゃひゃっ(汗)。自分のなかだけで完結してしまったため、すっかりアタマから抜け落ちておりました。ご愛読にあらためて感謝いたします。
では、つづきを!
私たちのエゴは、「なぜ?」「どうして?」「なんでこうなったかな?」が大好きなセリフのひとつです。
なぜなら、「なぜ?」と言ってしまったとき、パワーは外側へとうつってしまうからです。「あんなことを思ったのがいけなかったんだ」「あれをしなかったからに違いない(したからに違いない)」「あの人のせいだ」「あのとき間違った」 ・・・。
原因ははるか遠くの時間と空間へと引き離され、巧妙にも、そのとたんに自分はなにか得体の知れないものの「被害者」へとなりすましてしまったわけです。
つまり、かよわい私 VS おそいかかる災難のいろいろ、という被害者ストーリー。
でも本当は ・・・ 「原因」などというものはないのです。
「原因」を考えさせることもエゴのトリックのひとつでです。自分をかよわい被害者にして、世界や人やものごとを悪者にし、敵にまわすことで、自分を孤立させ、弱体化させるためのものです。
そうすることで、さらに被害者意識が強まります。
前回のブログのなかに、時間というのはきっちりと重ねられたカルタのようなものだと書きました。
前世も、来世も、あらゆる瞬間がひとつのポイントにまっすぐに積み上がっています。つまり、すべて同時に存在しているのです。
そして、瞬間瞬間をあらわすカルタの札はそれぞれ完全に独立しているため、他の瞬間とはなんのつながりも影響もありません。どの札も、原因にも結果にもなりえないのです。まさに、一枚づつ存在するカルタのイメージです。
たとえ私たちがそれを横に並べて見ることによって、あるストーリーをでっちあげているとしても、ほんとうはそれぞれの瞬間は独立したもので、そこには意味のあるストーリーというものは存在していないのです。
「なぜ?」と言って原因探しをするとき、わたしたちは完全に違う方向に向かってエネルギーを注ぎ始めています。
あれやこれや文句を言ったり、後悔したり、自分や誰かを責めたり ・・・・。被害者になりすまして、存在しない加害者(悪者)を特定しようとしているのです。
これをしているときに、何が起きているのでしょうか?
完全に自分が「今、そこで感じている気持ち」から注意がそらされていて、ストーリー(思考)という幻想のなかに迷いこんでいるのです。この思考というまがいものは、相手さえしてくれれば魑魅魍魎としたドラマへといつでも連れ去ってくれるものです。
そうなると、自分がそこで感じていた「怖れ」や「罪悪感」、「無価値観」などが完全に置き去りにされることになります。そして、どんどん架空の世界へと入りこみ、架空のドラマで被害者をストーリーを演じつづけられるのです。
これこそがエゴのおもうツボです。苦しみ、怖れという、まさに問題の源である感情になど、焦点をあてて欲しくないのです。
さきほど書いたように、カルタの一枚一枚のカード(起こる一瞬一瞬)はつながりがありません。
だから、「なぜ」はやめなければなりません。答えのない質問だからです。ただ、それはそうなのです。
あえて向き合うものがあるとしたら、今、たった今、問題のようなものを見て「動揺しているこの感情」こそが問題そのものなのです。
目のまえのものを「問題であると決めている、その感情」をしっかりと捉えなければなりません。あますところなく、しっかりと受けとめることなのです。
「ああ、私のなかにまだこんな怖れがある。罪悪感がある、これがあるからこそ、問題のないことろでいつもジタバタ動揺しているのだ」と、気づくことです。
問題というのは、しっかりと意識化されなかったため抑圧された感情がくり返し浮上してきて、目のまえのものにかぶせられ、すかさずそのことが自分をおびやかしているように感じます。
ほんとうは、自分がおびやかされているのは、自分の感情、しっかりと意識化していない感情のせいなのです。
これを受けとめそこねていることから、さまざまな形をとった問題となって同じ感情を何度も喚起させられることになっているのです。パターンは違えども、結局同じ感情を感じる問題が勃発するのです。
「なぜだろう?」はやめて、たった今の自分の感情をじっと、しっかりと受けとめて、感じつくしてみましょう。
今まで、まるでドッヂボールでうまくかわして、ちょっとボールにかすりそうになったけどOK!とのがれていたのを、身体の真ん中、お腹の真ん中で「どすん!」と受けとめてしまいましょう。
あまりに強い感情が出てきて、びっくりするかもしれません。
そうなったら、おめでとうございます! それだけ、いらない感情の棚卸しができて、もう未来にそれを投影する必要がなくなります。確実に怖れが少なくなるのです。
ああだ、こうだ、原因を考えるのではなく、ものごとを「正面から受けとめる(ちょっとも逃げずに感じる)」、そんなことをこころがけてみてください!
そして、私は怖れではなく、私の本来の感情である喜びのなかで生きる! と決め直してみましょう♡
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )