豊かな森と山に囲まれて育った少年は、ひとつの出会いによって心をうばわれ、羊と鋼という森に迷いこんでゆきます。そこは、こころをとりこにする場所でありながらも思いのほか深い森で、何度も自分を見失いそうになるのです。
これは、ある高校の男子学生が学校にやってきたピアノの調律師との出会いをとおして、空虚だった日々に光を見出してゆくお話。
彼はその調律師のピアノの音に、森の木々の光景、ゆれる音、わきたつ匂いを感じたのです。そして、ピアノ調律師という未知の世界に足をふみいれる決意をします。それは88もの鍵盤のうしろに広がる、フェルトに包まれたハンマーと鋼で作られたピアノ線という森に向きあう日々。
どのような音がよい音なのか、正解の音なのか、向きあえば向きあうほどわからなくなります。
彼の憧れの調律師は、自分がいつもこころに抱いている原民喜という詩人のことばを彼に伝えます。
「明るく静かに澄んで懐しい文体、
少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、
夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体……私はこんな文体に憧れてゐる。
だが結局、文体はそれをつくりだす心の反映でしかないのだらう。」
自分に才能があったなら ・・・、自分に奇跡の指と耳があったなら・・・
そう悩む彼に、先輩は「才能とはそういうものじゃない。それは、ものすごく好きだという気持ち、あきらめない執念なんだ」と。
ある日、彼の実家のおばあちゃんが亡くなったとき、彼はずっと自分のことを信じていてくれた人がいたことをはじめて知ります。「あの子は、森で迷ってもきっと大丈夫! ・・・ いつも戻って来るから」とおばあちゃんはいつも言っていたと。
ピアノの音ひとつひとつがこんなに深くて美しかったのだ、ということにあらためて気づかせてくれた美しい作品でした。
誰もが人生のなかで感じる、自信のなさ、これでよかったのかという不安、自問自答 ・・・ そんな気持ちをやさしく励ましてくれるようでもありました。
涙壷度: ★★★★☆
(掃除ができないから調律をキャンセルしてしまうお客さんがいて ・・・ ピアノがある場所は、ある意味その人にとっての聖域でもあるのだなあと感じます。そして、そこはたった一人で、いろいろな思いをかかえながら音を紡ぐ場所です。ピアノと向かいあう、さまざまなドラマに涙しました。)
私もこどもの頃は毎日、ピアノと向き合う日々でした。なので、うちにも定期的に調律師さんが来ていたのですが、
植木屋さんとか左官屋さんがくると、母はおやつに日本茶と大福などをお出ししていたのですが、ピアノの調律師さんのときにかぎっては、なぜかココア☆ それも、インスタントのココアではなく、ちゃんと煮て作るココア(インスタントがなかったので!)。
調律師さんの不思議なお仕事を、遠まきに(こころはかぶりつきで)じっと眺めているのが好きでした。その光景には必ずココアが浮かんできます(ああ、ココアが飲みたい!笑)。