20-09-27 どんな世界を目にしたい?

 

私たちは、人生が予想外な展開になると動揺します。人や出来事に、世界に、人生に脅されたと感じるのです。

けれど ・・・ 実際は、脅かしているのは「自分」のほかにはいません。

この世界では、複数の数字でものごとを考えるのがあたりまえになっていますが、真実は「一」です。ひとつだけです。(動揺しているときには対象物があり「二」になっていますが、これはすでに知覚に間違いがあるというしるしです。)

もしひとつだけが真実であるならば、自分以外にはそこに関係していないことになるので、自分で自分を脅かしていることになるわけです。

自分が目にするものは、自分の無意識(気づくことができないこころ)のなかで何を見るかを決めています。

そして、その結果が目のまえに現れてはじめて、自分の思いに気づくことになります。しかし、外側のことは自分と切り離して考えるクセがついているので、まさか自分のこころの現れだとは気づきません。

自分で自分を脅かしておいて、ひどく仰天する・・・わあ、なんだかすごく消エネなギャグですね(笑)。

このようなカラクリのため、目のまえのことをただ変えようとしてもうまくいかないのです。自分のこころのなかの決断の現れと闘うことになるからです。

そして、自分が自分と闘っているときほど、無力に感じることはありません。

なぜなら、敵をたたくことはまさに自分をペシャンコにすることだからです。攻撃的な気持ちを抱けば抱くほど、自分の身にこたえることになるのです。(どんどんパワーダウンします。)

このように「自分で自分を苦しめている」と認識できるまでは、ほんとうの変化を起こすことはできません。

ものごとを改善する方法はただひとつ、それはまず「認める」ことです。

「これはまぎれもなく私がそうしたことである」と。

ある意味、受け入れることであり、ものごとは受け入れられたときに収束に向かいます。過ぎ去ることができるのです。

もうこれ以上注意をむけられて、継続のための燃料を注ぎこむことがなくなるからです。燃料切れで消えてなくなります。

そして、受け入れたあとは、今までのこころの決断は間違っていたことを認めて、こころ新たに自分がほんとうに目にしたいものを決め直します。

どう決めなおすのか。

それは、「もう自分で自分を痛めつけることをやめる」ということです。

「苦しみ」を手放したかったら、自分のこころのなかにある物ごとに対する批判のおもい、「間違っている」とか「罪がある」という考えを一掃しなければなりません。

「私は間違いばかりを目にして、批判したり、攻撃したり、傷つけあうことができる世界を信じていたけれど、それは結局自分に対する攻撃になっていた。私は幸せになるために、間違いや罪という思いをきっぱりと手放したい。ただ、愛と完全さから世界を見たい」と望むこと。

もう「間違いを見ることをやめ」にしたい!「愛と完全さだけを見たい」という思いこそが、自分が見るものに変化をもたらしてくれます。

それがほんとうに自分が見たいものであるのなら、もちろんそれしか目に入らないからです。

間違ったエゴのこころは、誰かに間違いを見つければ、その数だけ自分は偉い人になれると信じてきましたが、それが自分の知覚である以上、目にするものを自分自身の証とならざるをえません。

そうであれば、なにがなんでも、愛や優しさのある世界、すべてにおいて完全さが輝いている世界を「見よう!」と決意してみましょう。そして、見せてもらえるようにハイヤーセルフに助けをもとめましょう。

決めることこそが、私たちの真のちからです!

あとは、ハイヤーセルフがエゴの知覚から新しい知覚へとスイッチしてくれることでしょう。

これは、自分の世界を力づくでコントロールしようとするよりも、ずっとラクチンだと気づくかもしれません☆

 

 

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