20-10-26 外側をいじくらない

 

小学生の頃、こんなくちゲンカのセリフを耳にしたかもしれません。

「だったら、証拠見せてみろよ! え? え? 証拠あんのかよ、オイッ!」

私たちはオトナになっても、目に見える証拠にこだわります。愛の証(プレゼント、婚姻届)、安全の証(口座のお金)、健康の証拠(健康診断の結果)など・・・。

目に見えることこそが真実だと思っているからです。

まあ、この世界での「生きる」ということは、外の世界にある証拠に反応することだからです。

でも、私たちが外側にあることがらに反応しつづけるがために、同じパターンのループから抜けられなくなっていることに気づきません。

なぜなら、外側にあるものとは、自分のこころがそこに置いたものなので、それに対して責めたり、あれこれ不平不満を言いつづけると、さらにこころのなかでそれをリアルに強化することになってしまうからです。

不平不満こそ、それを長引かせて、そこから抜けられなくするいちばん強力な手段なのです。なんせ、外にあるものに私はやられちゃうんです!と言っているので、自分は本来のパワーを失い、とてもちっちゃな存在になってしまいます。

そうするともう、自分が誰だかわからなくなり、本来自分のものだった安らぎも幸せも、闇のなかに消え去ることになります(結局、自分で自分の幸せをふみにじっています)。

ほんとうは、目にしている形はスルーしなくてはなりません。形は簡単に欺いてくるからです。

そもそも自分が目にする形がどこからやってくるのでしょうか? それを理解することが大切です。

形は、自分の外側にあると信じてしまいますが・・・じつは、形は自分の意識のなかで起きています。

知覚は、意識のなかで意識が織りなすイメージだからです。形は、自分の思いと切っても切り離すことができないのですね。

私たちはいつも自分の思いを形にして見ており、それに怯えたり、怒ったり、動揺しているということになります。

それはまるで、自分でしかけたワナに自分でかかってビックリ仰天!という感じです。冷静な人が見たら苦笑ものです。

自分が目にすることを責め立てても意味はなく、ほんとうにイヤだったら、自分のこころを変えるしかありません。

目にするものがこころを乱すなら、

*まずは立ち止まって、外側のことは変えるべきものではないことに気づき、スルーしておきます。

**変えるべきは「こころ」だと気づきます。

***そして、「これは自分が見たいものではありません。私が間違っていました。これを映し出しているこころの間違いを取り去ってください」とハイヤーセルフにこころを変えられるようにお願いします。

あとは、ハイヤーセルフが全部とりしきってくれるので、安心してそれがどのようになってゆくのかをながめていましょう(シンプルです!)。

自分で自分をイジメる自虐的なあそびから脱するためには、自分のこころが動揺している場面にしっかりと気づき、そのたびに訂正することが大切です。

ものごとを変化させるには、外側であれこれ企てるのではなく、ただこころのなかにある間違った思いを取り去るだけでいいのです。

間違いが外へと映し出されていただけなので、こころを正してあげればすべてがあるがままの安らぎの状態に戻ります。

あるがままには、キケンも、困ったこともないので、すべてのピースがうまく組み合わさって完全さを織りなし流れてゆきます。

ただこころの間違いであることを認めて、それを訂正したら、すべてを手放してそのままにしてあげましょう。それで大丈夫です♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング