21-01-23 自分を幸せにしてくれるもの

 

恋♡をしているとき、私たちは幸せな気分になります。

世界は以前よりもよいところに見え、ステキなことに満ちているよう。

それは世界が突然、自分に対する態度を変えたわけではなく、ただたんに自分のこころの状態が変わったからです。

こころに、優しさや愛、思いやりがあることで、自分のこころが自らを幸せにしてくれているのです。

・・・ということは、幸せになりたいのだったら、ただシンプルに優しさ、愛、思いやりの気持ちをいつもこころにキープするだけでよい、それらで満たしておくだけでよい、ということです。

ところが・・・ 私たちときたら、不平不満を言うことや裁くこと、攻撃することにかけては秒殺の早さを誇る達人です(それにおいてはコントロール不能! 自分でも気づかぬうちにもうやっちゃてます・汗)。

その秒殺は相手に向けられているだけではなく、自分の幸せも即死させている・・・ということになかなか気づけません。

先日もクライエントのAさんと話していたときのこと。

「ダンナに対する攻撃の言葉はまるでマシン銃のごとく無意識に連発できるのに、感謝のことばはまるで口にできないのです」とAさん。

まさに、私たちのこころのなかは不平不満、文句、裁きの思いの無法地帯でたれ流し状態ですが、感謝や愛の思いに関してはまさに気づいても気づかぬフリで通りすぎています。

チラリと相手に対して「ありがとう」と感じたとしても、言葉にされることも、行為で示されることもなく、一瞬で消えさってしまいます。だって、ハズカしいじゃな〜い、わかってるでしょ?!って。

日々、お店で、病院で、いろいろなところで感謝すべきことは多々あるのですが、面と向かって「ありがとう!」「助かりました」と全部伝えてはいないのです。

しかし、何かが起こったときにはじめて、「じつは、すごく感謝していたんだよ!」とあらためて口にしたりします(遅っっっ!汗)

なぜこうなるのか?

私たちにとって、無意識のうちに「自分を守らねば」という気持ちが強く、感謝するよりもキケンを察知することのほうがずっと大切だからです。だからこそ、すぐに不具合を見つけなければならないのです。そのための文句であり、裁きなのです。

でも、幸せとは、さきほども書きましたが、こころのなかの幸せ、愛、思いやりがあってこそはじめて感じられるものなのでした。

そうなれば、まずは自分がどれだけ文句たらたらなのか、裁きたくってしょうがないのか、攻撃的なのか、このさい正直にしっかりと知ることが大切です。(攻撃的というのは、被害者になりたがる、ということも含まれます。被害者はいつも、攻撃を見ているからです。それも攻撃のひとつの形です。)

何かを手放すためには、手放す対象がちゃんとわかっていなければなりません。

だから、どちらかといえば、「え〜〜〜!私のこころはこんなに不平不満と攻撃心でいっぱいだったの?! ガ〜〜〜ン!」とショックを受けることは、癒しにおいては正直でよい兆候なのです。みんなそんなものだからです。

でも、そこで立ち止まらず、気づいたらそれを自分の高い自己(ハイヤーセルフ)に渡してしまいましょう。自分で大切にして、使いまわしていたものを自分では手放せません。すべて高い自己に回収してもらいましょう。

回収してもらううちに、本来の自分の愛であるものの見方が復活することになります。無理ににイイ人になろうとする必要はないのです。もともとそこにあるものだからです。

今まで自分が無意識のうちに不平不満、裁きをたれ流しにしていたことに気づいたら、ただ逆の方向に進もうとしてみましょう。

それは、今までチラとこころをかすめていた「ありがとう」の気持ちをちゃんとすくいあげてあげること。外に出してあげること。

それは無かったのではなく、じつはただ素通りされていただけなのです。あらためて表現の機会を与えてあげましょう。

怖れからわき起こる不平不満や攻撃の気持ちを野放しにすることなく、気づいて手放しながら、このような温かなこころを復活させてあげることこそが自分を幸せにする第一歩です。

自分を幸せにしてくれる自分の愛と優しさに気づいて、出し惜しみすることなく大きく解き放ってあげましょう。それは自分を包みこみ、どこまでも大きく広がって、そしてまた自分を幸せにするために戻ってきます☆☆☆

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング