「自分に正直であること」は、幸せになりたいと思うならとても大切にしなければならないことです。
なぜなら、自分の考えや気持ちに対して自分自身を誤摩化してしまうと、幸せになるために正すべき点が見つけられなくなってしまうからです。それは、幸せへつながる扉のノブが見つからない状態です。
自分の考えや気持ちに対して正直に向きあうことができれば、自分にとって不適切な考えや気持ちを手放し、幸せへの扉をあけることができるようになるのです。
さて、「正直になる」とはどういうことなのでしょうか?
先日、正直であろうと努力なさっているクライエントのA子さんとお話をしていて、「なるほど〜、そういうふうに考えてしまうこともあるのか・・・」と正直さについての誤解しやすいポイントに気がつきました。
A子さんいわく、「正直さとは、自分が思ったこと感じたことは、何でも口に出してもかまわないことだ」と思われていたそうです。
思ったらすぐに口にすることで考えや感情を放出し、「正直ってスッキリする!」と感じていたそうです。
でも、人との関係はギクシャクしてしまいがちです。ズバズバものを言うことで敬遠されてしまうかもしれません。
正直さとは、「なんでもかんでも思ったことをそのまま口にすること」ではありません。
あくまでも「自分の領域」において正直になることなのです。
人に対してあれこれ言うことは、人の領域に土足でずかずか入りこんで、勝手にあれこれ断罪して、そして去ってゆく、という強引なイメージなのです。その相手にしてみたら、ビックリします。
なぜなら、相手に対して自分がもつ意見というものは、あくまでも「自分の考え」であって、ほんとうのことではないからです。自分のひとりよがりのイメージにすぎず、それを押しつけられても困ってしまいます。
人に対してあれこれ言うということは、自分の考えを相手に押しつけて、それを正しいものと決めたうえで、さらにそれを裁くという、二つの間違いをおしつけることになってしまいます。
さきほども正直さとは「自分の領域」のことだと書きましたが、それは「自分が自分に対して」正直になるということです。
たとえば、さっき友人から言われたことにとても傷ついてしまった、というようなとき。
こころが痛んでいるのに、まるでなにも感じていないがごとくスルーしてしまったりします。(傷ついたことをスルーしようとするあまり、なにかに執着したり溺れたりするような結果になることもあります。食べもの、ギャンブル、ゲーム、アルコール、恋愛・・・などなどです。)
これは、自分に対して正直ではありませんし、優しくもありません。こころは痛いと言っているのに、むりやり痛くないことにしてしまっているからです。
この場合の正直さとは、相手に対して「あなたの言葉で私は傷つきました!」と詰めよることではありません。正直さを勘違いしていると、このようにすぐに被害者になってしまうこともあるかもしれません。
そうではなくて、「あ・・・私は今、友人のあの言葉でとても悲しく感じている」「なぜなら、あの言葉は私は価値がない人だ、と言われているように感じているから」「なぜ、私はその言葉を聞いてそう思ってしまったのだろう?」「なぜなら、小さい頃から、人に軽く扱われているように感じていたから、またそうなったと思ってしまった」「でも、それってほんとうに私に価値がなかったのだろうか?」「価値がないと信じてしまっているのは、私自身ではないだろうか?」・・・・
こんなふうに、最初の感情から自分が信じていることを探求してゆくのです。すると、ある誤解や信じこみにつきあたったり、よく確かめてみると信じていたこがほんとうのことではなかったことがわかったりします。
私を傷つけた相手さえも、じつはこどもの頃傷ついた経験があり、相手を思いやる余裕がなくなってしまった ・・・とか。
そのような気づきによって「私は価値がない」という決めつけがゆるんでくると、友人から同じことを言われたとしても自分個人のこととして受けとめることなく、そのまま流すことができるようになったりします。
そして、どんなときでも自分がネガティブに反応する場面というのは、自分のこころの間違いを正すための機会となり、ひとつひとつ気づいてゆくことで、もとからある平和なこころを取り戻すことができます。
この平和のなかから世界を眺めれば、同じように平和が見えはじめるのです。
安らかな世界というのは、自分のこころで起きていることを正直に眺め、間違いを正すことでこそ達成することができるのです。
また、相手に対してどうしてもものを申したくなるようなときにも、自分のこころを探ってみましょう。
なぜそれを相手に言いたいのか?
私たちは、自分で片づけることをのびのびにしているこころのなかのゴミを、どうしても相手のなかに見てしまうものです。すると、一気にひとごとになったような気がして、その相手への攻撃を開始します。
この人さえ変われば自分は心地よくなるに違いないと思うからです。しかし、自分のこころの間違いはいつまでも場所を変えて映しだされることになります。自分のこころのなかでゴミすてがしっかりと完了するまでは終わることがないのです。
だから、相手にもの申したくなるようなときも、いったい自分は何に対して反応しているのか? それをよくよく見て、それは自分のなかにあると認め、いさぎよく片づけてしまいましょう。
癒しは、いつもでも自分と向きあうことです。
こころは外へ外へと向かおうとしますが(人やものごとをあれこれ攻撃したくなりますが)、その手にはのらず、自分自身へと向かう習慣をつけましょう。
つねに自分のこころに戻ってきて正直に向きあうことで、つねに安らぎへのドアが開きます。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )