気づきの日記「私の使命ってなんですか?」

 

誰でも一度はこんな疑問をもったことがあるかもしれません。

「今回の人生で、私は何をするために生まれてきたのだろう?」「私の使命を知りたい」・・・

私も若かりし頃、そんなことに興味をもったことがありました。

そこで、その当時たびたび来日していた外国人チャネラーさんのセッションを予約し、リーディングなるものをしてもらったのです。

そこでまず言われたことは、「あなたの一つまえの前世は、インドのマハラジャでした。あなたの乗っていた輿がまだここに見えています」と。

『え、マハラジャ? どっかにあったディスコの名前じゃないの?(当時のディスコは、いまでいうクラブのようなものです)』。それぐらいの考えしか浮かばなかったのですが・・・ 私は海外をあちこち歩きまわっているわりには、インドだけはなぜか足を踏み入れたいと思わない国でした。もしや、よからぬ過去があるのでしょうかっ?!(汗)

そしてさらに、「今回のあなたの人生は、あなたのカルマを清算することです」ともつけ加えられました。

『清算・・・ですと!?』それを聞いてちょっとガッカリ。なぜなら、もっとキラキラしたお役目と将来展望を期待していたからです。それにしてはこのお答え、あまりに地味すぎやしませんか?と思ったものです。

今、このチャネラーさんの言葉をあらためて思い返してみると、「おお〜〜☆まさしくそうだよね!」という、深い納得を感じることができます。

今の私なら、ここに生まれてきた人すべてにとってするべきことは「それしかない!」と同意することができます。そして、私も誰かに答える立場であるのなら、まったく同じことを伝えることでしょう。

もしも、「あなたは、○○で成功して有名になるために生まれてきました」とか、「お金もちになって、なんでもアリの人生を生きるために生まれてきました」と言われたとしたら、それを聞いた人は喜ぶかもしれませんが、それはなんの意味もない回答なのです。

この人生を通して誰もが、あるときには上り調子になり、またあるときには下り調子になり、絶好調とドン底が入りまじり、バランスをとっています。また、ある面では運がよくても、別の事柄に関してはまったくうまくいかないかもしれません。

人は人生のある一点についてしか話さなかったり、目を向けなかったりするため、全体を通して見たときに喜びと苦しみが入り混じって繰り返されていることに気がつきません。

また、今回の人生であまり裕福でなければ次の人生で無条件に豊かさに恵まれるかもしれないし、前回の人生で短命であれば、今回の人生は長生きかもしれません。

それはコインの表と裏を繰り返しているだけにすぎません。今でなければ、いつかであり、今回の人生でなければ別の人生で ・・・ というように、バランスをとっているにすぎないのです。

私たちの真の目的は、そんな人生の、そして輪廻のシーゾーゲームを延々とつづけることではなく、そのようなシステムから解放されることです。

上がったり下がったり、喜んだり悲しんだり、豊かになったり貧しくなったりの繰り返しを脱して、変わることのない安らぎを感じたり、平和を感じたり、愛や豊かさを受け取ったりと、そのような自分になることもできるのだということに気づいて、それを達成しようとすることこそに意義があります。

そして、そんな状態を成し遂げるためには、カルマのシーソーゲームから降りることです。それは、上がったり下ったり、与えられたり奪われたりをつくりだしている原因をねこそぎ片づける必要があるのです。

若かりし日にあのチャネラーさんに言われて、私が肩透かしをくらったように感じたひとことである「カルマの清算」こそが、じつはすべての人にとって変わることのない幸せや安らぎのなかに生きるためには欠かせない究極の使命であったわけです。

それこそが、表になったり裏になったり(喜んだり悲しんだり)、パタパタと忙しく変わる現実を終わりにし、安定した愛と安らぎのなかに自分を確立してくれるのです。

誰にとっても日々すべきこととは、まさにこの乱高下を繰り返すカルマ劇場をひとつひとつ閉じてゆくこと。これ以上、同じような原因と結果をめぐらせないように終止符をうつこです。

そのためには、自分の日々の体験のなかに現れるさまざまな問題(それはプチなものから、メガ級のものまで)、それらをひとつひとつを「私自身が蒔いた種の結果」として認識し、受け入れてゆく姿勢をもつことです。

自分がそれを受けとめてゆくことで、こころのなかの葛藤や対立(あいつが悪い、世界が悪い、私は被害者だ!という思い)が鎮まり、こころが闘いから解放され、安らぎを取り戻すことがでます。

この自分の内側で感じる平和で安らかな状態こそが、自分が新たに目にする世界そのものの原因となってくれるのです。平和な世界は、安らかなこころからしか生まれないからです。

こころのなかですべてが受けとめられ、穏やかさを取り戻したとき、自分の目にする世界から不調和なものや抵抗を生み出すものが消えさってゆきます。そして、自分にとって平和で優しい世界を目にするようになります。

また、静かで平和なこころであるからこそ、高い自己からの導きを受けとめることができるようになります。そして、導きに従うことで、苦しみのない平らな道へと自然に軌道が修正されてゆくことでしょう。

 静かなこころを取り戻して導きとつながることができれば、それ自体がもう十分な幸せとなります。そうであれば、自分がここで何をしていようが、体験の形そのものはさほど重要ではなくなってきます。

それと同時に、そんな自分であるからこそ生きることができる新たな使命も高い自己が教えてくれるようになるのです。それを生きることは、かならずや大きな喜びにつながるものです。

あのときのチャネラーさんは正しかった!いちばん大切な答えを教えてくれていた! 、と今さらながら感じとることができます。

大切なことは、日々起きてくることに対して、カルマ的な視野をもってながめてみることです。そして、そのような繰り返しをもう終わりすることができることに気づくことです。

「ああ、もうこんなやった・やられたの世界はたくさん! それよりも、これを受け入れることで、このようなパターンを金輪際終わりにしてしまおう」、

そんなふうに出来事を受け入れて、カルマの外側の目線からそれを受けいれ、高い自己であるハイヤーセルフにすべてを渡して、ぐるぐる繰り返す因果をキッパリと終わりにしてもらいましょう。

そのことによって手に入る感覚は、怖れから解放された安堵感、これで大丈夫という信頼感、そしていつも守られ支えられているというあたたかな愛の感覚、さらにこの先の人生も自分らしく生きられるという希望があります。

特別ななにかがなくても、ごくふつうの日常でじゅうぶんに幸せ感に満たされていると感じることでしょう。

そして、その平和で満たされた感覚から、新たな現実が喜びストーリーとして目にうつるようになるのです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング