昔から慣れ親しんでいた美容法が、最近になって何の役にもたたないとか、むしろ害を及ぼすなどと言われたりしています。
あたりまえのように皆んながやっていることでも、それがほんとうに正しいことなのかどうかはまた別なことなのです。
美容法に限らず、私たちが日常行っていることにおいても、「それはほんとうのところ、ダメなのです!」ということが多々あります。
たとえば、幸せになろうとして自分の欲しいものを手に入れようとすることは、ごく自然なことのように感じられます。「自分の欲望を満たすこと」が幸せには欠かせないと信じているからです。
そのため、なんとか自分の思いどおりになるように占いに頼ったり、縁起のいい日やパワーのある日にこだわったり、あれこれ行動の戦略を練ったり、ああすれば思いどおりになる、こうすれば運がよくなる・・・と、自分の欲求を満たすためにあれこれこころを砕きます。
しかし、欲望というものを感じているのは自分のなかのエゴの部分であり、そのエゴの自分はいくら食べさせても満足しないモンスター級の怪物なのです。
そのエゴの言いなりになるということは、結果として取り消さなければならないはずのエゴを増長させてしまうことになります。
エゴは何かを手に入れることが大切で、そうすれば思ったとおりに幸せになれる、とそそのかします。そして、行動に駆り立てます。
「自分が今、手にしたいと思っているものを手に入れる」「成功したい、お金もちになりたい、有名になりたい、目立ちたい」などなど・・・どれもこのまま じゃ不十分で情けなく感じる自分自身を容認することであり、その情けない自分をどうにかするために「あれをつけ足そう」「これをつけ足すべき」とたきつけ られてしまっているのです。
しかし、「足りない私」はどこまで行っても足りなく感じるものです。
「足りない!」と主張するエゴの部分は、何かを与えれば一時的に「よしとする」かもしれませんが、ほんとうのところ底なし沼の欲望を抱えています。そして、次なる欲望を提示してくるのです。
このエゴの言うことを聞いて走りつづけることは、ほんとうの解決法にはなりえません。それどころか、どこまで行っても乾きは癒やされず、不毛な感覚が増してゆきます。
修正しなければならないポイントは、「頑張ってつけ足そうとする」ことよりも、まずは「なにもつけ足す必要のない自分」として出発する、ということなのです。
欲しいものをつけ足すことにやっきになってしまう自分の「足りなさ」「自信のなさ」「今のままじゃダメな感覚」に気づいて、それを癒してあげる必要があります。
「足りない!足りない!」と叫んでいるとき、その先にやってくる現実はやっぱり依然として「足りない」ままなのです。
なぜなら、自分のこころがそのように言い張るので、それは自分にとっての現実となるからです。
私たちはこころが感じてる状態を、そのまま自分で体験することができるぐらい、私たちはパワフルな存在なのです。
そうであるなら、「足りない!足りない!」と叫びながら、その埋め合わせに走り回るよりも、足りている感覚を優しくこころのなかに呼び覚ましてあげましょう。
ふだんの生活のなかで、「ちゃんと美味しいゴハンを食べることができる」ぐらい足りているし、「疲れた夜には温かな湯船でくつろげる」ほど足りている。さらに、「季節の心地よい風や日差しが自分を包みこんでくれる」ぐらい十分足りているのです。
それだけにとどまりません。冷蔵庫を開ければお気に入りの食べものが入っていたり、今夜楽しめるお待ちかねのビデオ配信があったり、どうでもいい話をあれこれ笑ってわかちあえる友人がいるかもしれません。
どんなささいなことでも、あれこれ「足りている」なにかを書き出してみてください。きょう一日でも、さまざまな「足りている」に気がつくことでしょう。
そして、「足りない」と言い張るところから、「どれだけ足りているのか」の気づきへと意識を向け変えてみましょう。
私たちは「あれも欲しい」「これも欲しい」と欲することで、いつも欠乏状態に意識が固定されてしまいます。なぜなら、「欲しい」というのは、まさに「足りない」ということを自分に言い聞かせることになってしまうからです。
それよりも、どれだけすでに「足りているのか」、どれだけ「十分に与えられているのか」、どれだけ「ちゃんと宇宙に気遣われているのか」を思い出してみましょう。
私たちのこころが、いつもどのような思いを抱いているのか? 満ち足りた感謝の気持ちなのか、それとも足りないという不平不満なのか?
この自分の感じている気持ちこそが、自分の体験を生み出すスタート地点となります。
それならば、「足りない、足りない」と叫びながら、何かを手に入れようと走りまわり、さらに足りなさを体験してしまうよりも、「きょう、これだけのも のを与えてくださってありがとうございます」という穏やかな満足と感謝の気持ちのなかで、自分の人生がどのように優しく展開してゆくのかを見守ってみま しょう。
満ち足りた穏やかさや、今あるものに感謝する気持ちをもつことで、きっと自分の日常もそのような気持ちを起こさせてくれるさまざまな体験で彩られてゆくことに気づくことでしょう。
自分のこころにある思いを抱くということは、「それを自分が望んだ」ということだからです。
足りないと叫んでカリカリしている自分には、そもそも満ち足りた穏やかな世界は相入れないのです。それは水に油です。また、そのようなものごとが自分のまえにやってきても気づくことができません。
自分が望む幸せな状態とは、そもそも次元が違ってしまったのです。
「何かを必死で追い求めて手にしなければならない」と考えるとき、私たちは「それほどにしなければ幸せになりえない自分」を受け入れてしまっているのです。
あるがままそのままで幸せであっていい自分を受け入れるためには、ただゆったりとして、日々の生活のなかにある「満ち足りたもの」「感謝できるもの」に気づき、すでに満たされている人となって、満たされている人の人生へとシフトチェンジしてゆきましょう。
穏やかさと感謝をこころにもつことで、自然にその世界へと導かれてゆきます。
なにかを求めて走る回ることよりも、こころが穏やかに変われば、目にする世界もそれにあわせて変わることに気づくことでしょう♪
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )