furukawaさんのブログ

はたして??

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

ナゾのプリングルス、いったい何のお味だったでしょうか?

口に入れたとたんに感じたのが旨味! 和風のお出汁も感じるけど、もっと強い味わい。

たぶんお肉だわ! 和風ステーキ??

もう一枚食べてみると、ちょっと炭焼きのような香ばしさ・・・ってことは焼き鳥?!

味って、タイトルがないとけっこうあいまいでわからなかったりします。

ゼリーに入っている角切りフルーツがなんだかわからなかったり、ポタージュスープになっている野菜がナゾだったり・・・。

でもね・・・最初から「これです!」と言われてしまうと、それをこえてありのままを味わうことができなくなっているようです。「うんうん!知ってる味と同じね!」で満足しちゃう。

むりやりステレオタイプの味にあてはめて、そこからはみ出ているオリジナリティは切りすててしまっているのかもしれません(知っているものしか体験できなくなりますよね〜)。

私たちだって、「日本人、○歳、女(男)、職業○○」。はい、わかりました、おしまい!なんて言われたくないものね(汗)。

なので、この子は、不思議味のままにしておきましょ(笑)。

香ばしくって旨味があっておいしいでした♪

 

 

なごめるおやつ

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ここ数日、仕事と私用でバタバタと忙しい日々がつづいていたら、

お友だちがなごめるおやつを送ってくださいました。

見たことがないお菓子のラインナップ! チキンラーメンのぼんち揚げ? もっと不思議なのはプリングルズのミステリー味?!

プリングルズらしからぬ見るからにナゾなパッケージですが、「日本のために開発した謎フレーバー」と書いてあります。

ということは、お醤油はポピュラーすぎるし ・・・ だったら、ミソ? かつおぶし? 納豆? お好み焼き?

食べてのお楽しみですね〜。

ご報告は、また後日。Kちゃん、ありがと〜〜♡

 

 

気づきの日記「自分を傷つけるのは自分だけ?!」

 

私たちがモノごとを見るとき、

根底にある「思い」が間違っていると、そこから「間違ったものの見方(価値判断)」が生まれてしまいます。

その結果、「間違ったものの見方」からは「恐れ」が生じ、そうなると目にするものすべてが自分にとって敵のように感じてしまいます。そして、その敵から身を守るために、つねに戦うことになります。

間違った思いは、たえまない戦いへとつづきます。

たとえば、「ここは、コワイことが起こるキケンな所だ」という無意識の「思いこみ」があると、なにを見ても「何かが間違っている」という「価値判断」が生まれ、そうなると身を守るためにつねに臨戦態勢となり、戦いが日常となるのです。

戦おうとすれば罪悪感を感じることになり、その罪悪感を中和するために自分を痛めつけるということでバランスをとろうとします。そうなると、人生はイバラの道になります。・・・

すべては、最初の自分の「思い」、こころのなかにある考えによって生まれるので、自分を幸せにするのも不幸にするのも、自分のこころだ、ということになります。

残念ながら、私たちは自分の思いが間違っていることになかなか気づくことができません。

たとえば、誰かが自分を無視したり、攻撃的な態度をとってくるとき ・・・ おっと! もう、この時点で間違ってしまっていることに気づきますか? 無視や攻撃的というのも、自分が勝手にはっているレッテルにすぎません。事実ではありません ・・・ その間違ったレッテルの結果、自分は傷つけられたのだと信じてしまうのです。(ほんとうは、自分の価値判断が自分を傷つけたにすぎません。悪気はなくても、そういう態度しかとれない人だったかもしれないからです。)

なにを見ても「自分めがけて、それが起こっている」と感じてしまうのは、それだけコワレモノのような弱い自分を感じているのかもしれません。

そうでなかったら、「あれ?この人、態度がおかしいけれど、何かあったのかな? 大丈夫かな? 何か助けられることはあるかな?」と歩み寄って手をさしのべようとするからです。

でも、コワレモノという自分を信じてビクビクしていると、なにもかもが自分への攻撃だと感じてしまうのです。

自分を傷つけないものの見方をするために、一番よいのは「まったく価値判断をしない」ことです。

恐れや怒りを感じているなら、すでに自分が間違った判断をしてしまったがゆえに、それが自分をおびやかしているからなのです。

しかし、なにひとつ言葉を使わないで、カラッポのこころでものごとを見るとき、そこには自分独自の攻撃のストーリーが入りこむことがないので、そこからでっちあげの戦いのストーリーが展開してゆくこともありません。

価値判断せずそのままにしておくことによって、ものごとはあるがままに進行します。そして、すべての人にとっていちばんよい展開となるのです。

コワく感じるときには、自分の価値判断が完全に間違っていた、と知りましょう。

間違った価値判断をしていたことに気づいたら、「私は間違っていました」ということを正直に認めましょう(「間違っていた」と認めないかぎり、決して正しくはなれないのです)。そして、からっぽのこころで、ハイヤーセルフとともにそれを一緒に見てもらいましょう。

「すべてはよきことのため!それだけが起きていることの理由」であることを受け入れましょう。

私たちは期待したもののみを見ることができます。

恐れを期待して、まんまとそれを見て、それと戦うのではなく ・・・ 完全な愛を期待して、完全な愛こそを目にして、安らぎのなかで生きる練習をいたしましょう。

 

 

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お茶の間シネマトーク「ラブ・アクチュアリー」

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以前にもブログで紹介したお気に入り作品、リチャード・カーティス監督の「ラブ・アクチュアリー」。この季節になると観たくなります。

なぜなら、これはクリスマスの5週間まえからクリスマスイヴへとつづく物語なのです。

登場人物は次から次へと19人ほど出てくるのですが、コリン・ファースやら、エマ・トンプソン、ヒュー・グラント、リーアム・ニーソン、ローワン・アトキンソンなどイギリスの名優さんたちがぞろぞろ。そして、登場人物全員が主役なのです。

だから、はじめて観ると話があっちに飛びこっちに飛びとっちらかっているように感じるかもしれませんが、クリスマスイヴに向かってそれぞれがクライマックスを迎えます。

「世の中に嫌気がさしたら、ヒースロー空港の到着ゲートへ。ここでは、love is everywhere ・・・ 見回してみると実際のところ、この世には愛がみちあふれている」。 ”Love actually" is all around からとった「ラブ・アクチュアリー」なのです。

父と子、夫と妻、上司と部下、スターとマネージャー、首相とスタッフ、同僚同士、恋人、友人、クラスメート ・・・さまざまな愛の人間模様。

しかし、だれもがはずかしがりやで、ぶきっちょで、勇気をだして頑張ってみるもののすれちがい、それでも再び素直に一歩ふみだしてみる ・・・ そうすればどうであれきっと自分は幸せを感じられる。

そんなそれぞれの場面をなつかしいポップスがつなぎます。(→予告を見る)

映画のよいところは、自分の無意識のなかにうもれている気づくことのなかった感情に気づいて、癒してもらえること。主人公それぞれの姿に「わかる、わかる」と共感しつつ涙しながら、ともにまえに進んでいるのに気づくかもしれません。

寒さがましてくるこの季節、こころが温かくなりクリスマス気分も味わえる、オススメの一本です。

涙壷度:★★☆☆☆(観るたびに、より泣けるようになりました)

PS *ヒュー・グラントのこういう役、大好き。のりのりダンスが可愛いです♡
じつは、この作品には、「ラブ・アクチュアリー2」というチャリティ目的で制作された短編テレビドラマがあり、14年後のみんなの姿が描かれています。そのなかでも、ヒュー・グラントはダンスを疲労しているのですが、あらら階段から落下?!

*この監督さんの「アバウト タイム」もオススメです。

 

 

気づきの日記「正しいからだのいたわり方」

 

A: 体調がすっきりしない日々がつづいています。いろいろためしても回復しません。

Q: からだの調子がわるいとき、わたしたちはからだの面倒を見ようと一生懸命からだにかまってしまいます。

あれを飲んで、これを食べて、ああして、こうして、とこころを砕きます。

でも、これが落とし穴だったりします。

からだの不調をよりリアルにするべくエネルギーを注いでしまっています。

私たちは「からだ」ではなく「意識(いのち)」なので、からだの面倒をせっせと見てもほんとうの自分をいたわっていることにはならないのです。

からだは自分という広大な意識にある針の穴のようなもの。

なぜ穴なのか?・・・ それは、そこにエネルギーを傾けても傾けても、ぜんぶダダもれ状態になるからです。つまり、穴、ザルなのです。

自分がカバンをもっているイメージをしてみましょう。カバンをもっている自分とは意識である自分であり、カバンはからだです。

カバンをいくらみがいても、自分が元気いっぱいにならないのと同じなのです。

可愛がる場所をまちがってしまっています。

それよりも、自分のいのちである意識の広がりに気づいてあげましょう。そこをもっと大切にしてあげましょう。

静かに目を閉じて、すでにそこにある自分の意識の広がりに気づいてみましょう。ただそのなかにくつろいでみましょう。は〜っと息を吐きながら安らいでみましょう。

まるで温泉に入ったように、そのスペースへと自分を解放してあげます。

「ああ、気持ちがいい♡」と感じたら、どんどん広がってみましょう。いままで肩に力が入っていたことに気づくかもしれません。

そして、ただその状態を楽しんでみましょう。

楽しんでいると、その広がりがリアルになって楽しさがましてきます。また、軽くなると同時に、光を感じるかもしれません。

これが、自分のいのちをいたわってあげる簡単な方法です。自分を正気にし、元気にしてあげることができます。

「おかえりなさい」と、迷いでていたこころを迎えてあげてください。

からだの調子が悪いときには、「調子が悪い」ということに抵抗しようとするのではなく(抵抗するということは、それが自分よりも力があると信じてしまっています)、

ただこの広がりに気づいてくつろぐ時間をとってみましょう。

その広がりを十分に味わったら、それからいつも自分がしている健康法や、そのときひらめいたことをしてみるとよいと思います。

正しい自分を正しい方法でいたわってあげることで、自分のからだ、自分の世界の調子がよくなってきます♡

 

 

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気づきの日記「この世でいちばんコワイのは・・・」

 

この世でいちばんコワイのは、

オバケでもなければ、自然災害でもないし、自分の身に起こるかもしれないある状況でもありません。

自分を震えあがらせるとができるのは、じつは自分の考えだけです。

つまり、自分のものごとに対する「解釈」こそが、自分を怯えさせるし、自分を傷つけるし、自分を再起不能なほどにズタズタにすることもできるのです。

それ以外は、何もちからををもっていません。

まるで、自分の手にしている研ぎすまされた刀で自分を脅している、そんな感じです。

さらに、恐れを生みだしている自分の「解釈」が、まったく的ハズレだったら? ぜんぜん正しくなかったとしたら? ・・・ 恐れというものは成り立たなくなってしまいます。

ただ誤解から生まれた、ものの見方のエラーにすぎなかったということになります。それなのに、ちぢみあがって怖がっているなんて!(汗)

そのような間違ったものの見方によって怯えているにもかかわらず、私たちはその「考え」を変えようとはせず、もっぱら目のまえにあるものごとや人を変えることにやっきになってしまいます。

そうなると、間違ったものの見方は置き去りにされ、その結果の方にエネルギーを注ぐことになります。すると、その出来事がよりリアルになり、自分にはまったく勝ちめのない敵のように感じてしまうのです。

まず正すべきところは、間違っているところ、つまり自分の間違ったものの見方です。

一回静かに立ちどまって「なぜ、それがそんなにコワイのか」、そのことについての解釈について冷静にこころを探ってみましょう。

すると、もしかすると ・・・ 自分は小さいものでそれをどうすることもできないし、さらに何の助けも期待できない ・・・ というような無力感に出会うかもしれません。

起こることに対して、自分でどうすることもできず、さらに誰も助けてくれないなら、それはかなりコワイに違いありません。

でも、もしも・・・自分には全宇宙の力がそなわっていて、それに対してこころを開くことでそのすべてが自分のものにでき、さらに起きていることの先にはよきことのみが待っているとしたら ・・・?

「そんなムシのいいこと?! そんなことは自分には起きないのさ!」って?

そう言いはりたいこと、不幸で孤独な人生こそ自分にふさわしいと主張したいことこそが、間違っているのです。

「すべてのことは、自分ががいちいちかかわらなくっても全自動ですべてはうまくいっているんだ。だって、よきことだけが自分にやってくるはずだから」 ・・・ そんな新しい考え(真実)を採用してみてはどうでしょう?

迎え入れるこころをもてば、それはやってきます。そして、それは見せてくれます。

とてもそんな都合のいいこと信じられない・・・ というのなら、「今、自分ではその考えは信じることはできないけれど、でも信じられるようになりたい」と高い自己にお願いしてみましょう。

まず、手始めは他人の幸せを願ってあげるのと同じように、自分の幸せも願ってあげることです。

 

自分にもやさしくしてあげましょう。愛してあげましょう。(私たちみんな、人には思いやりをもつことができるのですが、自分に対してはサドさんレベルでかなり手厳しいようです。)

今は信じることができなくっても、招きいれる気持ちをもつことで、かならずそれはやってきます☆

ただ自分が向かいたい方向性(幸せ、安らぎ)を決めて、あとは高い自己に手をひいて連れて行ってもらいましょう。

 

 

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断捨離インパルス

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何年かに一度起こる、はげしいモノ捨て衝動。

はじめは本棚だけ片づけていたら、止まらなくなって家中におよんでいます。

本だけでも、すでに300册以上捨てていて(仕事の資料だってみさかいなし! これでいいのか?!)、

それらを紐でくくって、ゴミ置き場まで運ぶだけでも相当な重労働。「千と千尋」の釜爺がいてくれたらいいのに!(二人で手が八本!)

一週間もやっているうちに、だんだん妥協がなくなってきて、「この三日で使わなかったものはいらない」ぐらいのシビアさに(汗)。正気になったら身ひとつになりそうでコワいです。

でも、ちょっとモノを捨てるだけで、ホントさっぱりします。ダイエットに成功したような達成感。

過去にも一度こんな衝動がやってきたときがあり、当時は路地がゴミ置き場だったのですが、その三角地帯がまるで私の部屋のようになっておりました。

そして、この直後、突然な理由で引っ越しをすることになり、「そうか、そうゆことだったのか〜!」と納得したものです。

こんどはいったいなんなのっ!?

ちょっとドキドキしていますが、きっとこれが今必要なのでしょうね〜。

古いあれこれを始末するというのは、こころの贅肉が一気におちるようなサッパリ感。

おそらく、そろそろメタボをすっきろさせろよ!(こころのね)、ということなのでしょうね〜〜(汗)。

まだしばらくはつづきそうです。身軽になって、飛んでいっちゃえ〜♪

 

 

気づきの日記「求めて、受けとる」

 

クライエントさんとお話していて、よく耳にする言葉。それは、「私たちって、なんて間違ったことばかり信じてしまったのでしょうね?!」というひとこと。

間違った考えは、間違った体験へとつながります。

なので、癒しとは自分を苦しめている間違った考えに気づいて、それを取りのぞいてあげる作業です。(あくまでも間違った考えであって、自分を変えることではありません!)

自分が何かに行き詰まったり、悩んでいるとき・・・ その根底にある信念をよくよく調べてみると、自分がどれだけおかしな考えを信じているかがわかります。

人が聞いたら「そりゃ、すごくおかしい!お腹かかえて笑っちゃうぐらいおかしい!」という信念ですら、自分にとっては当然すぎて何がおかしいのかわからないのです。

「ある考えに一体化してしまう」ということは、それに対してまったく疑いをもたなくなることです。

それはまるで、「顔にはりついたサランラップ」のよう。サランラップがピタッと顔にはりつくと、はりついていることすらわからなくなります。

でも、ほんの1ミリでも端っこがめくれると、メチャ違和感。一気にぜんぶはがしたくなります。

あたりまえだったことが、「ん?なんかおかしい?!」と気づくと、それがサランラップ(いらないもの)にさよらなするという大きな変化につながったりします。

完全に一体化したおかしな考えも、ふと疑いをだくことでその牙城をくずし、まったく違うクリアな世界を目にすることもできるわけです。

私たちが幸せになるために、最初に取り消さなければならない間違った信念のひとつは、「誰かに頼ってはいけない」というもの。

これは、小学生の頃から、「ちゃんとひとりでできるようになりなさい」「人に頼るんじゃないわよ!」「自分のアタマで考えなさい」・・・と、

自分で! 自分で! とさんざん言われたあまり、その弊害はかなり甚大なものとなっています。自分に与えられている当然の特典が使用できなくなってしまったのです。

自分に与えられてた当然の特典?! ・・・ それってなによ? と思いますよね。

それは、「あまかせサービス」の特典。「全部やってあげるから、委ねてね!」という「おまかせサービス」つきで生まれてきているということなのです。

自分でやらないなら部屋の真んなかに坐っていればいいの? ・・・ そうではなくって、「自分であれこれやろうと四苦八苦するのではなく、すべて委ねてから、自然に身をまかせて動きましょう」ということなのです。

しかし、必死になって身につけた「自力」のワザによって、この「人生自動処理機能」は無効になっています。

だから、正しくは「自分ひとりでやらずに、委ねてから、自然に起こることに身をゆだねること」ことが正解なのです。

覚えておかなくてはならないのは、この「自動処理機能」はほおっておいては働かないということです。

つねに、「求めること」が必要です。「使いたいです!」という使う意思表示が大切なのです。(イエスの言葉にもありましたね!「求めよ、さらば与えられん」と。)

私たちがこの世界で旅をはじめたとき、宇宙は私たちに「無限オンラインショップ」の無償利用権を与えてくれました。が、誰もそのサービスについて聞いたことがある人はいません。学校でも教えてくれませんでした。

このオンラインショップは自分でオーダーする(求める)ことで、すべて必要なものがやってきて、すべての手配が整うようにできているのです。

私たちの「自力でどうにかするべき!」という信念から、このオンラインショップを使いそこなってきました。(何十年分も?!)

自ら注文したなら、このオンラインショップはニーズのすべてを満たすラインナップを備えているので、ただそれが到着するのをリラックスして待つだけなのです。

私たちは「自力」という信念を持ってしまったがために、自分の当然の権利であるオンラインショップを使うことなくここまできてしまいました。

あたふた自力でかけまわって、汗水ながしてすべてをどうにかしようとする必要はなく、ただ静かにリラックスしてオンラインショップにつながって、「受けとりたいです」と注文すればいいだけだったのに。

ただし、つねに「注文すること」は欠かせないポイントです。なぜなら、私たちは「自力でやりますからいりません」と言っちゃったからです。

「求めよ、されば与えられん」は、「注文してね!そうすれば、届くからね」ということだったのですね。

注文の際、ひとつ注意事項があります。

それは、注文するときに「足りないです。だからお願いします」と求めるのはやめましょう。足りない気持ちで求めると、足りないがやってきます。

「私はすべてを与えられています。それを受け取りたいのです」とお願いしましょう。

具体的な要求はせずに届くのを待ちましょう。なぜなら、自分が思っているよりもよいものが用意されているからです。

そして、つねに「私はすでにもっているのだ!」という気持ちでいることも大切です。

すでに与えられている特典に気づくことができたのなら、どんどん使用してみましょう。使用回数、使用量に制限はありません。

ただ安らいでそれを求めて、受けとりましょう♡♡♡

 

 

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☆ Happy Halloween ☆

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今年はどなたさまも、無料にてオオカミ男の仮装をお楽しみいただけます!
なんたって、今夜は満月ですから♪

夜は冷えるようですが、毛むくじゃらは温かくって最高ですよ〜!きっとやみつき・笑

 

 

 

気づきの日記「外側をいじくらない」

 

小学生の頃、こんなくちゲンカのセリフを耳にしたかもしれません。

「だったら、証拠見せてみろよ! え? え? 証拠あんのかよ、オイッ!」

私たちはオトナになっても、目に見える証拠にこだわります。愛の証(プレゼント、婚姻届)、安全の証(口座のお金)、健康の証拠(健康診断の結果)など・・・。

目に見えることこそが真実だと思っているからです。

まあ、この世界での「生きる」ということは、外の世界にある証拠に反応することだからです。

でも、私たちが外側にあることがらに反応しつづけるがために、同じパターンのループから抜けられなくなっていることに気づきません。

なぜなら、外側にあるものとは、自分のこころがそこに置いたものなので、それに対して責めたり、あれこれ不平不満を言いつづけると、さらにこころのなかでそれをリアルに強化することになってしまうからです。

不平不満こそ、それを長引かせて、そこから抜けられなくするいちばん強力な手段なのです。なんせ、外にあるものに私はやられちゃうんです!と言っているので、自分は本来のパワーを失い、とてもちっちゃな存在になってしまいます。

そうするともう、自分が誰だかわからなくなり、本来自分のものだった安らぎも幸せも、闇のなかに消え去ることになります(結局、自分で自分の幸せをふみにじっています)。

ほんとうは、目にしている形はスルーしなくてはなりません。形は簡単に欺いてくるからです。

そもそも自分が目にする形がどこからやってくるのでしょうか? それを理解することが大切です。

形は、自分の外側にあると信じてしまいますが・・・じつは、形は自分の意識のなかで起きています。

知覚は、意識のなかで意識が織りなすイメージだからです。形は、自分の思いと切っても切り離すことができないのですね。

私たちはいつも自分の思いを形にして見ており、それに怯えたり、怒ったり、動揺しているということになります。

それはまるで、自分でしかけたワナに自分でかかってビックリ仰天!という感じです。冷静な人が見たら苦笑ものです。

自分が目にすることを責め立てても意味はなく、ほんとうにイヤだったら、自分のこころを変えるしかありません。

目にするものがこころを乱すなら、

*まずは立ち止まって、外側のことは変えるべきものではないことに気づき、スルーしておきます。

**変えるべきは「こころ」だと気づきます。

***そして、「これは自分が見たいものではありません。私が間違っていました。これを映し出しているこころの間違いを取り去ってください」とハイヤーセルフにこころを変えられるようにお願いします。

あとは、ハイヤーセルフが全部とりしきってくれるので、安心してそれがどのようになってゆくのかをながめていましょう(シンプルです!)。

自分で自分をイジメる自虐的なあそびから脱するためには、自分のこころが動揺している場面にしっかりと気づき、そのたびに訂正することが大切です。

ものごとを変化させるには、外側であれこれ企てるのではなく、ただこころのなかにある間違った思いを取り去るだけでいいのです。

間違いが外へと映し出されていただけなので、こころを正してあげればすべてがあるがままの安らぎの状態に戻ります。

あるがままには、キケンも、困ったこともないので、すべてのピースがうまく組み合わさって完全さを織りなし流れてゆきます。

ただこころの間違いであることを認めて、それを訂正したら、すべてを手放してそのままにしてあげましょう。それで大丈夫です♡

 

 

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