furukawaさんのブログ

気づきの日記「問題の答えを受けとる」

Q:「なかなか問題からぬけだせず、悪循環ですっかりヘコんでいます。どうしたらいいでしょうか?」

A: 問題解決に必要なことは、「問題を問題としてちゃんと認識している」ことと、「もうやめにしたい!という明確な意志をもつ」ことです。

悩んでいても、ただ悩みつづけて解決できることを忘れていることもあるのです。

また、意外なことに「ほんとうにヤメにしたい」と思ってなかったりもします。悩んでいる自分になじみすぎて、ふつうになってしまっているのですね。

だから、「私はこんな状態は好きではない(こんな状態はほんとうの私ではないから)」、「もう、キッパリとやめる!(こっそりと被害者になるのはたくさん!)」と、まず決心することです。

問題が目のまえにあるとき、私たちはどうしてもその問題にこころを奪われて、それをガン見してしまっています。

つまり、「わあ!問題だ!問題だ!どうしよう?」「これ、どうする、どうする?」「ああだ、こうだ!あれして、これして!」・・・。これこそ、問題のガン見状態です。

そして、それをどうにかしようと、あれこれと奔走してしまいがちです。

しかし、思い出さなくてはならないのは、私たちは「ジッと注意を注いでいるものを育ててしまう」ということです。ガン見していると、その問題に注意という肥料をたっぷりとやることになり、よりリアルにクリアに元気よく育ててしまうことになります。

また、それをどうにかしようとあれこれ走りまわってしまうのも、「それは自分の外側から自分に襲いかかっているのだから、自分の外側の何かで対処すべき。自分ひとりではできないから、そのお道具がいろいろ必要だ」と信じてしまい、外を探して走りまわることになります。

それは、自分のなかにすでにある解決する力(答え)を失ってしまうことになるのです。

私たちはつねに、自分のこころが求めているものしか見ることができません。

不安や恐ればかりが目にうつるとすれば、不安や恐れを見ることにこころがロックオンされてしまっているということです。不安と恐れに、しっかりと照準があってしまっているのです。

まずは、それを解除しなければなりません。

そこで忘れてはならないのは、「答えはすでに与えられていて、自分はすでに助けられている(完了型)」ということに気づくことです。

「助けて!」と助けを求めるまえに、それはもうやってきていて救出されているのです。だから、安心してよいのです。

しかし、問題がある!と信じているこころは、信じたもの(問題)だけを見つけるので、答えに気づくことができません。答えどころか、問題を増幅しつづけます。

まずは、「答えは与えられてる!」ということを信頼して、それを受けいれるためにこころを開こうとすることが必要です。

答えにこころを開くとは、恐れや不安にロックオンされているこころを解除するべく、安らぎのなかに静かにとどまることです。

*** 静かに目を閉じて、ゆっくりと深い呼吸をします。
意識のなかで自分という個人は五歩ぐらい後ろにさがります。
そこに存在する無限のスペースのなかに溶けこんでしまいましょう。
個人でななく、ただ気づきだけがあります。

そして、過去も未来も手放してしまいます。
「私は何も知らない」とつぶやくと、いらないものは去ってゆきます。
(一時的な記憶喪失の状態です。)

すると、自分というよりも「気づいている広がり」になります。
誰なのか、何なのか、どこなのか ・・・ もうわかりません。

時間のないそのスペースに恐れは入ってくることができません。
(恐れは、過去と未来をベースとしています。)

この無限のスペースのなかで、力をぬいて、
ただ広がって、安らいで ・・・
安全に抱かれて、守られて、愛されていることを感じます。
しばらく安全で平和でここちよい時間を過ごします。
・・・・

こちらに戻ってくるときには、
安らぎの光と守られているという感謝のうちに戻ってきましょう。***

このスペースにひたる時間こそが、答えを受けいれますという態度であり、スペースそのものです。

ここに叡智が、すべての必要なことが入ってきます(そう!私がいなくなれば、神ややってくるのでした!)。

そのとき、「自分の考え」は手放して、「どのような答えでも受けいれよう」という気持ちになってみましょう(「こうであるべき」という決めつけにより制限がかかり、答えがわからなくなっている場合もあります)。

身体の弱いところに病気が現れてくるように、私たちも自分のウィークポイント(癒さなくてなならない信念をもっているところ)に問題があらわれてきます。

ウィークポイントの癒しとは ・・・ 恋人やパートナーに依存してしまうのなら、自分はそんなに弱くないということを知る必要があるのかもしれません。仕事の成功に執着してしまうのなら、無意識のうちに自分に何かハクをつけなくては不十分だと感じているのかもしれません。癒すことで、それが手に入らなくなるのではなく、「ないとだめ」という切羽詰まった気持ちがなくなり、より手に入りやすくなるのです。

それは、問題というものをとおして、それを癒して手放して、終わりにしてしまいましょう!というお誘いなのです

恐れや心配でいっぱいになるのではなく、「そうだ!もう助けられているのなら怖がらなくていいんだ」気づき、何の問題も存在しないスペースに寛ぐことで答えとつながることができます。

すると、問題はその穏やかさのなかで自ずと解決にみちびかれたり、ただ姿を消してしまうことで、問題は答えられていたのだ!ということを教えてもらうことができます(行ってゆくと、経験でそれを教えてもらえます)。

そして、自分のいちばんの問題点であったポイントも癒しを行ってもらうことができるのです。

まずは、「答えはきている!受けとろう!」とリラックスすることからはじめましょう。大丈夫、すでに守られています♡

 

 

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お茶の間シネマトーク「マダムのおかしな晩餐会」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

パリに住むアメリカ人のお金持ち夫婦。

ある日、マダムはセレブな友人を集めて晩餐会を催すことに。しかし ・・・ 直前になって、参加者が  13人であることに気づきます。

不吉な数字を嫌ったマダムは、あわててメイドの一人をゲストに仕立てあげることに。スペイン人メイドのマリアなら、自分のドレスがなんとか着られそうだったから(パツパツだけど・汗)。

抵抗するマリアに、「スペイン国王の遠い親戚にするから、くれぐれも笑いすぎない、食べすぎない、喋りすぎないこと! ミステリアスなレディーを演じるように」と指示します。

ところが・・・ 晩餐会がはじまると、彼女は飲みすぎ、下ネタ炸裂・・・ 焦ったマダムは、「笑わせることと、笑われることは違うのよ! もう部屋へ下がりなさい」とコトを丸くおさめたつもりが、ときすでに遅し(汗) ・・・ 画商の英国紳士がすっかりマリアの虜に。

なにしろ、堅苦しくって、誰もが仮面をつけて欺きあうような食事の席で、マリアは水がこぼれれば紳士のスーツをすぐに拭いてあげ、ナイフが使えないこどものところにとんで行っては面倒をみたり ・・・ つまり、彼女がいつもしていることをしてしまっただけなのですが、自然体で、明るく気どらず、チャーミングな彼女に、英国紳士はあっというまに夢中に。

そして、この恋は猛スピードで展開してゆきます。

しかし、近ごろだんなさんに大切にされていないと感じているマダムにしてみたら、なんの努力もせずいとも簡単に上流階級の男性のこころを奪ってしまったマリアが許せないし、そもそも住む世界が違うでしょ! と厳しくたしなめます。

さっそく英国紳士にすべてをバラしたいところだけれど、ビジネスが絡んでいて、嘘つきと思われたくもない・・・。

一方マリアは、一身に愛を受けとめながら、どんどん自信をつけて綺麗になってゆきます。そして、マダムの言葉に対しても、「人は平等で、私はマダムと同じだけの愛される価値があるのです」とまったく譲らないのです。

さてさて、この恋のゆくえは・・・。

お話もコミカルでおかしいのですが、晩餐会を準備する様子も、テーブルウエアがとっても素敵で、お料理も一流のフレンチのようにゴージャス。ハイセンスなセレブのおうちをのぞき見している楽しさがあります。

そして、メイドのマリアのことをマダムは「醜い」と評していますが、Vouge のモデルのようなマダムの物さしにかければそう見えるのかもしれませんが、マリアはとってもチャーミングに見えるし、あたたかくて、ほんとうに可愛らしい女性です。「人の価値は平等」とこころから思っているので、マダムよりもずっとまっとうな自信を抱いているのです。

女性が美しいと思う女性と、男性が惹かれる女性というのは、決定的に違うのですよね〜。だから、なにが美しのかなんて、ホントわかりません♪

どうか愛らしいマリアにシンデレラの幸せが訪れますように ・・・♡

 

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気づきの日記「相手にイライラして疲れます」

「夫はあれこれ指図や要求や文句が多い人なので、私はいつもイライラし、ケンカになり疲れてしまいます」とA子さん。

イライラしている状態は、とてもエネルギーを消耗します。そして、疲れていると感じるときはいつだって、何かが間違っているというアラームが鳴っているときです。

だからこそ気づかねばなりません。「私は(だんなさんではありません!)、何か間違ってしまっている!」、「 だってこんなに疲れて、本来のイキイキした自分ではなくなっているのだから」と。

疲労するということは、それだけ不自然な状態にいるのです。

私たちは自分がイライラしているとき、「こんなことをされたなら、誰だって腹を立ててあたりまえよね?!」「だから、この人こそを正されるべきだわ」と思いがちです。

しかし、「腹が立った」と感じているのは自分自身であり、「問題だ」と感じているのも自分なのです。 ・・・ だから、どこに問題があるかといったら、「問題だ!」と知覚して騒いでいる自分がまず問題というわけです。

だんなさんに、「なぜ私をイライライさせるのよ!」と言ったとしても、「いったい何のこと?」と言われるかもしれません。

私たちは、じつは自分のこころが「これはこういう意味なのだ」と決めたことに対して腹を立てています。自分のつけた意味にじたいに怒っているということです(自分で自分に怒っているのです)。

この場合では、「夫の態度は、私を攻撃している」という判断を下して、その自分の意味づけに対して腹が立ってしまっている ・・・ ということです。

でも、もしかすると、他の人がそのやりとりを見たら、「あれはぜんぜん攻撃じゃないじゃないよ? なぜ怒る必要があるの?」と言われるかもしれません。

では、なぜだんなさんの態度に対して、「攻撃」というレッテルを選んでしまったのでしょうか?なぜ「攻撃されている可哀想な私」と知覚する必要があったのでしょうか?

じつは、私たちは自分が日々慣れ親しんで重宝している手口(?)しか、自分で理解することができません。使っているからこそ、それと解るのです。

・・・ ということは、もしや?! A子さんの方こそが、「攻撃」という手口は自分の欲しいものを手にするために最高の方法であると信じていて、大切にしてきたのかもしれません。

自分がこっそりと使っている手口だからこそ、相手がそれを使ってやり返してこないかビクビクしている自分がいます。すると、攻撃でなくとも攻撃であると知覚して、早めに反撃しようとしてしまうのです。

つまり、相手が攻撃したかどうかよりも、自分こそが攻撃を大切にしているということになります。

攻撃を大切に思う → 攻撃しないとやられる → やられちゃった過去があると思っている → もう絶対やられないために先にやっちゃえと思っている → 何でも攻撃に見えちゃう、というわけです。

解決するためには、まず自分が腹を立てているときに、攻撃しかえしたい!という怒りの欲求があることに気づきます。そして、その原因を見ることで、それを取り除くことができます。

腹が立って攻撃するとき、私たちは「自分に足りない何かがある」という隠された欲求をもっていて、それ以上うばわれないために、またその欲求を今満たそうとするために怒ります。

その満たされていない欲求は、今や力づくでないと(攻撃というおどしがないと)満たしてもらえないと信じています。

だんなさんの態度に腹が立ったのなら、「私のほうが足りないのだから、あなたに与える余裕なんてないのよ」「あなたこそ与えなさいよ!」と怒っているのかもしれません。

そこにはもしかすると、自分の思いを無視されて聞いてもらえなかったこども時代があったのかもしれません。自分の正直な気持ちを尊重されずに、いつも否定されていた小さいこどもがまだ泣いているのかもしれません。

私のこころの叫びを誰も聞いてくれなかったのだから、私はあなたの要求なんて聞く耳をもたない!ということになります。

怒りのいちばん下にあるこころの叫びに気づいて、そこにある悲しみを感じてあげましょう。

怒りの原因は、いつも「泣きたいほどの悲しみ」であり「弱っている自分」なのです。

その気持ちの存在をしっかりと認めて、そこにある感情を感じたら、

ハイヤーセルフに差しだして、それをこころから取り去ってもらいましょう。そして、悲しみをベースとした怒りからではなく、ものごとを正しく見られるように助けてくださいとお願いします。

そして、だんなさんとの関係のなかで、何か言うべきこと、できることがあったらハイヤーセルフにアドバイスしてもらいましょう。

ハイヤーセルフに尋ねてからとる言動であれば、怒りをふくむことはなく、愛と思いやりからなされることになります。

何か言うにしても、まったく怒りをくっつける必要なないのです(怒りは、おどしなのですね。おどさなくちゃいけないと感じているときには、とても無力に感じています)。

もしかすると、だんなさんに「もう少し自分でできるようにしてみてね。」と優しく言ったり、だんなさんをほめながらできるようにしてしまうこともあるかもしれません。

いずれにしても、怒りでコントロールしようとする必要はないのです。

実際、怒ると、あとでかならず気分が悪くなります。ドヨヨ〜ンと重苦しくなります。

こころのどこかでは知っているのです。どんなときでも相手を攻撃することは傷つけようとすることだと。だから、罪悪感を感じて憂鬱な気分になるのです。

あからさまな攻撃のみならず、攻撃には相手に対するぷちイラっとから、なにげで見下すことまで含むのですが、これをつづけてゆくとこころは知らぬまに病んでゆきます。

晴ればれとした気持ちがだんだんと感じられなくなります。

だからこそ、自分を大切にするためにも、自分のエゴの動きに敏感になって、攻撃の思いは自分のこころのなかで原因を見つけて、さっさと手放す必要があるのです。

A子さん、攻撃の下にある気持ちを感じてハイヤーセルフに渡して、エゴから解放されてしまいましょう。それは本当の自分ではないから。本当の自分のために、取り除いてもらいましょう。

そして、あるがままにだんなさんを見てみましょう。

あれ? 攻撃だと感じていたけど、甘えていただけじゃない? とか、
ああ、この人、こういうパターンでしかコミュニケーションしかとれないのね! そっか、ただコミュニケーションをとりたかったの?! とか、
文句が多いと思っていたけど、自分のことばかり主張する三歳児のように見えて、可愛く思えてくる! とか,
あるいは、何を言われても、ぜんぜんどうでもよくなっちゃった! とか、

きっと、ハイヤーセルフとともに見ると、違った見方ができるようになり、わざわざ自分をも傷つける攻撃という武器を出してくる必要はなくなることでしょう。

そして、なによりも、本来のA子さんの優しさのなかで安らいでいる自分を感じることができることでしょう♡

 

 

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姫会♪

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なかなか三人で集まる機会がないのですが ・・・ ひさしぶりに三姫会です。
(「お姫さまごっこ」を日々行っているせいで、いつだって「姫」気分・笑。お姫さまごっこについては、こちら から→

本日の姫の集いは、セルリアンタワーのガーデンラウンジ「坐忘」さん。緑が見わたせるソファーでゆったりとアフタヌーンティーを楽しみました♡ (こちらは、ティースタンドがひとり一台づつ!)

昨今はやりのラブリーきらきら☆なスウィーツさんたちではないものの、どこかほっとするテイスト。セイボリーは和風前菜のようなお味もあり、とってもおいしかったです。リピートしたい♡

一の重は、冬瓜とカニの三杯酢ゼリーとか、コンソメ入りビシソワーズ、海老とアボカドのミニバーガーなど、どれもホテルレストランの上品なお味。スコーンは、プレーン、レモン、マカダミアナッツにレモンカード、ママレードを添えて。そして、スウィーツの重は、巨峰のタルトや桃ゼリー、マンゴームースなど、夏らしい顔ぶれ。ひと口サイズなのでわりと軽めです。

お茶のラインナップもこんなにあって、まずは香道のごとく香りのチェックから。

カップサービスなので、いろいろいただくことができます。紅茶をちゃんといれてくださるアフタヌーンティーって少なかったりするので(たいていちょっと薄め)、お茶の濃さも香りもじゅうぶん楽しむことができました。

ほぼ脱水状態で到着したため、かなりなハイペースで7~8杯はいただいてしまいました。(サーヴしてくださるおねえさまがた、そうとう忙しかったですね〜・汗)。

猛暑のつづくなか、ほっとくつろげる楽しいひとときでした♪

 

お茶の間シネマトーク「アイ・フィール・プリティ!人生最高のハプニング」

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私たちの目にする世界には、もともとなにも意味がついていません。出来事にも、自分にも、なんのレッテルもついていないのです。

そこへ、自分が信じたとおりの意味をどしどしくっつけて、自分で自分を不自由にしてゆきます。それが自分の知覚する世界です。

日々、私たちはこのような自分の「知覚」のなかで生きているのです。

この映画「I feel pretty」は、決して「I'm pretty!」ではないのです。

私が私を pretty だと感じたからこそ、私は pretty なのです。それが自分の真実。

ぽっちゃり型のレネーは、綺麗になりたい願望はあるものの、いまひとつ自分を肯定的に受けとめることができず、「負け犬」というレッテルをはり自己嫌悪に陥っています。それが周りの人々の自分への見方にも影響を与え、ますます悪循環にはまりこむことに。

そんなある日、レネーは頭を強打したのです。そうしたら ・・・ あら不思議、私って美女?! すべてがOKに「感じられる」というオメデタイ状態に。

なにひとつ現状は変わっていないのに、ただ、ただ feeling pretty になっちゃったわけです。

自分が feeling pretty だったら、誰がなにを言おうが、どうであろうが、ただただ自分はサイコウなのです! そして、恐れを知らぬ超絶ポジティブさから、さらなる変化を巻き起こしてゆきます。

こころの底から信じる者は救われる!(笑) ・・・・ というわけで、冴えない女子からとびっきりのイイ女への変身ぶり(ファションのみならず、発する言葉から、ひとつひとつの身のこなしまで)にかなり笑えます(シンプルに信じるだけで、ここまで変われる?!)。

その一方で、完全に信じられなくなったときは地獄ですが・・・(汗)。

状況うんぬんよりも、結局は自分が「なにを信じているのか」ということが自分の体験にとってはとても重要だということがよ〜〜〜くわかります。

私たちは、ぜんぜんOK なはずなのに、自分で自分に不自由な魔法をかけて自分をドン底につき落としてしまうところがあるので、レネーのようにムダな魔法がとけたらよいのにね〜!

こころで信じることさえ変われば、ただそれだけでヨイのですよね。

笑えて、ちょっとホロリとして、元気をもらえる一本です♪

PS レネー役は女優さんではなく、コメディエンヌさん。日本でいったら、きっと渡辺直美さんのような感じなのでしょうか?? そのままでとってもキュートです♡

 

【 セラピー お盆割キャンペーン 8/14 ~ 19 】

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気づきの日記「まず、ゴミ屋敷に気づくこと」

よくテレビで「ゴミ屋敷」がとりあげられています。

ゴミ屋敷とは、家の中も外もゴミで溢れかえっている家。それらは家財道具のゴミというよりは、どこかから拾い集められ、どんどんためこまれたもの。

びっくりしてしまうのは、「誰が見てもゴミの山でしょ!」という惨状であっても、ゴミ屋敷の主は「ゴミ? ゴミなんてないよ。ぜんぶ大切なものなんだ」と言うのです ・・・ (汗)。

もはや、何が自分にとって必要なものかわかっておらず、ゴミで自分の住む場所さえも奪われ、不潔になっていることに気づけません。

「あ〜あ!よくもまあ、あんな状態にしちゃたよね〜」とあきれて顔でコメントしてしまう私たちですが ・・・ みなさ〜〜んっ! 私たちもたいして変わりませんよ〜!(笑)

「えっっ?うちは、そんなゴミなどためこんでいませんよっ!(ὸ⍸ό)✧ 」って怒られそうですが ・・・ 家のことではなく、こころのなかのことです!

私たちはこころのなかに、どれほど自分のものではない思いや感情をためこんで、それを放さないでいることか?!

それは、自分で自分を傷つける思いや感情かもしれないし、あるいは過去に人から言われたことやされたことなのに、今でもそれにしがみついて大切に保存している自分に気づいていません。

それが意識の表面にあがってきて、気づこうものなら、

あわてて他のことに注意をそらせたり(何か刺激のあることをする ・・・ 飲酒、買い物、ゲーム、ワーカホリック、恋愛、ギャンブル、過食、人に干渉するなど)、あるいは再びこころのなかに押しこめて無視し、大丈夫な自分を演じたり・・・。

そのいやな思いや感情に直面してしまったら、怯え、取り乱し、怒りまくることになり ・・・ 自分でもどうしてよいのかわからなくなると信じているので、とにかく注意をそらすか、再びこころの奥に抑圧します。

しかし、感じていることは、すでに感じてしまっているので、いくら誤摩化そうとしても事実なわけです。

このいやな思考や感情を認めてしまったら、弱い人、価値がない人、怯えてる人、ダメな人であることがバれてしまうと思い、受け止められずにいます。だから、一生懸命拒絶し、隠します。

・・・ で、こころはゴミ屋敷化します。

いいのです! 受けとめて。 ・・・・ だって、しょせん、それは捨てるべきゴミだから。

でも、ゴミと自分が一体化していると捨てることができなくなります。なんせ、自分の一部なのですから、捨てることなどできません。

もし、これが自分じゃないなら ・・・ じゃあ、ホンモノの「自分」とは何でしょうか?

それは、「安らかな」状態。「幸せ」な状態のこと。

「幸せ」とは、何かをもつことでも、達成することでも、なることでもありません。それは、条件などなく、自分のあたりまえの状態のこと。自分であるからこそ、「安らかさ」「幸せ」は自分の当然の権利なのです。

今、こころが安らいでいて、解放されていて、静かで、満たされている ・・・それが、ゴミがない本来の自分のナチュラルな状態、ということなのです。

つまり、ゴミとサヨナラすると、これが自然と出てくるのであって、あえて作るだすものではないのです。達成するものでもないのです。手に入れるものでもないのです。

この「安らぎ」「幸せ」の状態にないとしたら、こころがゴミ屋敷化している、ということです。

こころのゴミ屋敷を掃除するには、「自分」とはそもそも何なのか、をはっきりと認識する必要があります。唯一達成することがあるとしたら、それはこころのゴミ捨てです!

自分ではないものに対して正直になり、自分がそれらを握りしめていたことに気づき、「これはいらない」ときっぱりと自分の意志で選別できるようになることです。

そのためには、自分であるものをちゃんと知っていなければならない、ということなのです。

自分ではないものに正直になることができたなら、あとは自分ではないものになっているときに、すぐさま「お掃除」態勢になり、お掃除を重ねてゆくだけです。

自分のこころの奥に埋めこまれたものは自分ではまったく気づくことができませんが、じつは人のなかにおいてよ〜〜〜く見えるようになります(無意識の投影)。

それもそのはず、世界は自分のこころの投影(反映)なので、いかに自分がこころのゴミの存在を認めていなくとも、それをそのまま外の世界へと映し出してくれるのです。

ゴミを放置していると、こころのゴミは増える一方なのに気づけず、とにかくやたらと人のなかの非は見える、という不都合が起こります。

そうなると、人に腹が立ち、疎ましくなり、結果として孤独になります。ゴミがたまってゆく症状とは、この孤独感なのです。つながれなくなります。

だから、自分のこころのゴミが映し出されるとき、「まったく、この人ったら?!(怒)」と裁いてしまうのか、 あるいは「外に見えているけれども、これは私です!だから、裁くのではなく、私自身を正します」と言えるのか、ここが運命の別れ道。

怒って裁いてしまうと、さらにゴミがふえます。自分を正しますと言えたなら、ゴミは一気に減り、また外に映しだされる画像も本来の自分を映し出すよういなり、平和を目にするようになる、という一石二鳥♪

エゴは「裁いたら、スッキリするよ。相手が悪い人になって、自分こそがいい人になれるよ」とそそのかします。

裁けば、そのときは気持ちがよいかもしれませんが、自分のゴミを清算する機会を逸したうえに、罪悪感というゴミをふやし、裁いたあとは必ずモヤモヤします。

すべてのことは、「受容」することで消えさってゆきます。終わりにすることができます。

そうであれば、こころをゴミ屋敷にしてまで自分ではないものをためこむことはやめて、ひとつひとつ「受容」という力で消し去って、サヨナラすることです。

そうすれば、ただほんとうの自分自身である安らぎ・平和・満たされた感覚が自然と出てこられるようになります。

受容とは、ただ感じていることに抵抗せずに、そのまま感じてあげること。ジャッジせずに受けとめてあげること。

しっかりと感じたら、キケン物処理班であるハイヤーセルフにそれを渡して、永久に廃棄をしてもらいます(取り除いてもらいます)。

そのためには、自分がどれだけズレているのか、ほんとうは安らぎがないのに大丈夫なふりをしていたのか、ということにひとつつづ気づくことです。

はじめは、「え〜〜〜☆ 私ってズレまくりじゃない!? やだ〜〜!(汗)」とショックを受けるかもしれません。

おめでとうございます! それでよいのです。そこがスタート地点です。

自分でないものに気づけてこそ、自分に戻ることができます。

どれだけ自分が安らかでなかったのか、安らかなふりをすることに必死になっていたのか、またそんな気持ちをさまざまなことで気をまぎらわそうとしていたのか、それが全然役に立っていなくて、それに対しても腹を立てていたのか ・・・・ そのことに気づけたら、ようやく本当の自分へと進むことができます。

どんなものに気づこうとも、結局、そんなものは本当の自分ではないからどうでもよいのです。

部屋のゴミを捨てるときも、どれがゴミかわからないとゴミ屋敷化してしまうように、まずは持ちたいものと持ちたくないものの区別を意識的につけられるようになる、ということが大切です。

今の私は、じつは私でないのかもしれない ・・・ならば、いったい私はどんな存在だっけ? 何が余計なのだろう? と正直になってみましょう。

それが、ほんとうに自分を解放してあげる第一歩となります。

余計なものに気づけたら、必要なものはもうそこに埋まっているからです。どけるだけでOKです。

自分のこころが完全なるゴミ屋敷であると堪忍してこそ、そこから完全な脱出がはかれるのですね。 (^^;;  & (*⁰▿⁰*)

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

休日♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

つちのこプロ納涼会で〜す!映画鑑賞&お食事会+ウィンドーショッピング♪

映画は、いちばん気のきく男子 Yちゃんによる女子力のあふれる選択で「アラジン」を。

あれ、こんなお話だった?というぐらい、ランプの精 ウィル・スミスの独壇場で、テンポがよくてめっちゃおかしいです。こんなキャラだったら、お願いを叶えてもらわなくても一緒にいるだけでじゅうぶん楽しめそうですね〜♪

さて、お食事会は、前回もみんなで来たことのある代官山のメキシカン、アシエンダ デル シエロ

テーブルから東京タワーや六本木ヒルズが見わたせます。

さて、きょうのメニューは ・・・ 前菜プレート、パクチーたっぷりのワカモレ、チキンファフィータ with トルティーヤと、オマール海老のエンチラーダ、ビーフ ジャンバラヤ、そして、プチなデザートも♡

いつもは楽勝のメニューのはずなのに、映画館のバケツポップコーンの食べ過ぎのせいか、三人ともいまひとつ実力を発揮できず・・(汗)。

食後は、近所をぶらぶら。フランスの冷凍食品屋さん Picard をのぞいたり、賞味期限の近づいた輸入食品などをお安く売っている Bon Marche でお買いものしたり・・・。

本日もジリジリとあつ〜〜〜い一日でしたが、気のおけないお仲間とのんびりタイムをすごすことができました。

 

 

気づきの日記「人生から五歩さがってみる!習慣」

先日、テレビで新作アニメ映画「ペット2」の紹介をしていました。

主人公はマックスくんというワンちゃんで、そのマックスくんの吹き替えをしたバナナマンの設楽さんいわく、「アフレコをしていると、だんだんマックスが自分になっちゃうのね」と。

はいはい、たしかに。映画を夢中で観ているときも、登場人物になりきってしまいます。だから楽しいのですが。

設楽さんも画面のなかのマックスのセリフに同調し、感情移入するうちに、ワンちゃんとして画面のなかを走りまわり、さまざまな冒険をしたのです。

コレ、じつは私たち誰もが日常でふつ〜にやっていることとまったく変わりがありません。

たとえば私。

日々、「たかこさん」という登場人物をガン見しているうちに、完全に「たかこさん」が自分であるかのような気になってしまっています。

だから、「たかこさん」のストーリーにいちいち気をもんでしまうのです。

しかし、ほんとうはこの「たかこさん」をただ「見ている」だけです。ストーリーのなかのマックスくんと、ストーリーの外の設楽さんの関係と同じなのです。

すでに制作が終了し完成している「ペット2」のように、すでにこのストーリーは書かれて出来あがっており、セリフも選べません。お話全体はできあがちゃっているのですから。

で、「私」はそれを見ている立場だったはずなのですが、

ストーリーに興味をもち、登場人物に感情移入し、ガン見しているうちに ・・・ メリメリとそのストーリーのなかに入りこみ、登場人物のことを「これが自分だ!」と勘ちがいし ・・・ しまいには、ストーリーにホンロウされ、気をもんだり、アセったり、必死に努力するわけです(完成しているストーリーに努力は無用なのですが・・・)。

「見ていた」はずが、もう登場人物そのものです。

いくら自分がそこで何かをしているように見えても、じつは何ひとつできません。設楽さんがアニメの中のマックスをどうにもできないように、ただそれをそのまま受けいれるしかありません。

しかし、ほんとうはそこまでメリメリと画面の登場人物に入りこむ必要はなく、五歩ぐらいうしろにさがって、ただ見ているだけでよいのです。

私もついメリメリと「たかこさん」に入りこみすぎて、その結果、アセったり、動揺して、ストーリーをどうにかしよう!と頑張ってしまうことがあります。

そんなときには、「五歩うしろ!五歩うしろにさがって!それは自分じゃないよ!」と声をかけることになります(笑)

すると、画面から離れて客観的に見ることができます。

じゃあ、私は誰なの?って。

「ただ見ている存在」です。

登場人物もストーリーも、ただ「見られる」ためにあります。

見ていて、もしそのストーリーが気にいらなくて、葛藤や苦しみを感じるのであれば ・・・ それを却下し、破棄して、新たなストーリーに差しかえてもらう自由があるのです(ヤッタ〜〜〜!☆)

つまり、映画監督が「う〜ん!この部分はあまりよくないねぇ。主人公はもっと幸せでイキイキしてもらわなくっちゃ!」と感じれば、他のストーリと差しかえることができるのです。

ということは、そのお話のなかにいる登場人物であるアクターは自分ではなく、それを見ていて、指示をだすことができる映画監督こそが自分です。

こうして、すでに出来あがっている映画を見ながら、より幸せなストーリーに編集し直すことが、映画監督である私たちのお仕事であり、真の姿です。

監督が、メリメリとお話のなかに入りこんでしまったら客観性を失ってしまいます。変えられたはずなのに、変えるタイミングを失ってしまいます。

万が一、入りこんでしまったと感じたら、ただメリメリしてしまったことに気づいて、すみやかに自分のポジションに戻らねばなりません。「五歩うしろ!」です。「ただ見る!」ことです。

幸せなストーリーにするためには、ちゃんと見て、ちゃんと感じて、「幸せなストーリー」にそぐわないところを指摘できなくてはならないのです。

そのためには、痛いめにあって傷ついてるのに、「いや、これこそ価値あることだ!」と執着していたら変えることができなくなってしまいます。

修正するためには、ちゃんと見て、自分に正直でいること。そして、幸せなストーリーにするんだ!という意図をしっかりともつこと。

気に入らないポイントを見つけたら、映像(ストーリー)の編集担当であるハイヤーセルフに、削除をお願いします。

「ここは主人公が悲惨に見えるので、ハッピーな流れに変えてください。苦しみ、悲しみ、痛みは、この主人公にはふさわしくありません。それらを取り除いてください」とお願いすることができます。

すると、それを取り消して、別のハッピーなストーリーに差しかえてくれるのです。登場人物は幸せそうに変化します。

それは、おおらかで、喜びとともにほんとうの自分を表現し、もっとつながりあって、尊重しあって、大切にしあい、愛と平和と安らぎが感じられるストーリーに取り替えてくれるのです。

あるいは、登場人物や舞台装置、主人公自身のイメージも、すべてガラリと変わってしまうこともあるかもしれません。

そんなふうに映画監督のポジションから、ストーリーを五歩さがってながめ、編集人であるハイヤーセルフにも一緒に見てもらうようにします。

すると、だんだんそのお話のなかの登場人物とムダにシンクロすることで葛藤することがなくなってきます。心理的な距離が生まれてくるのです。

「たかこさん」からうしろにさがって、まるで他の人を見るように、慈しみと赦しの目で見られるようになってくるのです。

もちろん、そのストーリーのなかではいろいろな出来事が次々と起こります。けれども、「ん〜〜 ・・・ このストーリーはまったく見たいものじゃないな〜」と感じたら、ディレクターとして、即、却下することを申し出ることがでます。

そしてそれは、いつも必ず受けいれられます。なんせ、私たちはディレクターなのですから!エヘン!! ディレクターの指示は絶対です。

ただそれを「見ている人」になってゆく過程では、ちょっと不思議な感じがするかもしれません。(だって、自分だと思っていたモノから離れてゆくわけですから。)

自分がいままで自分だと思っていたものに、じつはどれだけ力いっぱい握りしめ、執着していたことか。そして、それはただ手をゆるめてあげるだけで、自分から遠のいてゆくのです。

着ぐるみスッポリ状態で、着ぐるみを着ていたことさえ忘れていたのですが、突然「あれ?脱げるの?!」「これ、私じゃなかったのね?!」みたいな。

それは、急に覆いがとれて丸裸になってしまったような、裸でポイっと外に放り出されたような ・・・ まったく隠れるところ、つかまるところがないような ・・・ アセリ、こころもとなさ、宇宙にひとりでぽっかりと浮かんでいるような、どこにも何にも頼れない感じ ・・・ 。

でも、絶対的に抱かれて安全なのです。

最初は「どうしよう!つかまるところがない!コワイ、コワイ!」「たいへんなことになった!」とあわててしまうかもしれません。

あるいは、「私って、自分だと思ってたあの人じゃなかったの?」という困惑と、どこにも属さない寂しさ ・・・。だって、もうあの人じゃないから誰でもないのです。名無しさんです。

けれども、解放感と真に自由な感覚と安堵感と、深い安らぎの感覚。何も自分にふれることができないゆるぎない感覚。なぜなら、画面と私は別になっちゃったから。

楽しくもあり ・・・ 少しも自分が懐かしくもあり・・・。

でも、あのときの自分が感じることができなかった安堵と解放が広がっています。まったくなにもつかまず、なににも縛られない、何ものでもない感覚が。そして、巻きこまれていない自由が ・・・。

何かアセることがあったなら、アタマにくることがあったなら ・・・

ドラマの登場人物からスルスルとうしろにさがって、ドラマの外にいるアフレコ役に、さらにただ「見ている人」であるディレクターへと、どんどん離れてみます。

そして、「幸せなストーリー」だけが見るべきものであるのなら、編集担当さん(ハイヤーセルフ)にどんどん指示を出しましょう。

「これは私の見たいものではありません。私は、完璧な幸せだけを望みます!それを見せてください」と。

編集担当さんは、いつもその指示を待っています! (*⁰▿⁰*)

PS すでにできあがっている映画を、登場人物の立場から変えようとするには多大な努力とエネルギーがいります。一見変わったように見えても、結局は不毛な努力に終わります。それは、その立場からは変えることができないから。

それよりも、ディレクターとして、それを外側から編集いたしましょう!with ハイヤーセルフ♡

 

 

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