09-12-06 グッサリ心の傷、それはすべて誤解から その2

こうしてわたしたちは、自分自身の贈りものである純粋なやさしさや無条件の愛というものを閉ざしながら成長します。

そして、「傷つくなら違う自分になる!」と誓ったこともいつしか忘れて、「人の気持ちがわからない」(正しくは、「わかりたくない」のですが)と言われる大人になったわけです。

ほんとうは、わからないどころではなく、「わかりすぎ」てしまっていた。「わかりすぎる」自分を守る手だてとして、自分のやさしさを切り離して「わからなく」するしかなかったのです。

この男性のお母さまは小さい頃いじめられていたようで、どうやら泣いていたその日も知人にいじめられたかいやがらせをされていたようなのです。泣いているところを見られた無防備な母は、とっさに少女のような気持ちになり、恥ずかしさから防御したのがあの冷たいひとこと。それに、やさしくされることに慣れていないので必死で助けの手を振り払おうとしたのです。

お母さまもまた幼少の頃の心の傷があって、愛されるのがコワイのです。誰かが自分の見方になってくれるなんて思いもよらないし、まさか幼い息子にその姿を見られて声までかけられて動揺したのでしょう。

その男性は、「ああ、母の中の小さな女の子が傷ついていたのか。自分が間違ったことをしたから怒られたわけではなかった。あれは母の幼少期からの問題なのだ。自分がとった行動はあれでよかったのだ」とあらためて気がつくことができました。そして、現在の大人の自分がその頃の少年だった自分にやさしく事情を説明していたわってあげることによってその痛みを解放することができたのです。

こうして、自分にとって悲しい出来事がなぜ起きたのかを広い目線で理解することにより、自分の中で起きていた機能不全を解消することができます。母親の背景にある出来事を理解することで、プッツリ回線が切れていた自分の良さ、自分のやさしさ、自分の豊かさとようやくつながりなおすことができたのです。

あとは、しめたもの。いったん「そっか〜!そういうことだったのか」と気づいてしまうと、もうもとの自分には戻れません。せき止めていたブロックは取り去られます。心のカラクリはとはそんなもの。気づかないからやり続けられるのですが、気づいてしまったら、それは The End。

もう誰にも「人の気持ちがわからない人」「勝手な人」なんて言わせないし、すべてのことを感じるままに感じることができる誰よりも心豊かな男性がそこにいることでしょう。

その男性にいちばん初めのカウンセリングでお目にかかったとき、「ああ、なんて純粋で優しい心をもった方なのだろう」とすぐに感じとることができました。そして、その男性の本当の自分という素晴らしさの上に降りつもっていたホコリをはらいのけたことで、今、もっともっとその優しさが光を放ちはじめました。少年のままの純粋なやさしさと、お年を重ねた厚みのあるやさしさと。まずは、きっとご自身自らがその光(ご自分らしさ)に癒されることでしょうね。

PS 人に対して、えてしてひどい態度をとってしまうとき、深い部分で傷ついているかハッピーではないときです。やさしくしてくれる人に対しても怒りや悲しみをぶちまけて、そしてその相手さえも汚染してしまうことがあります。あつあつのピザが手のひらにのっていて、その熱さに耐えきれずに誰かに投げつけたい・・・そんな感じです(やってから反省してます。許してね・笑)。これはじつは、環境汚染よりも悪質です(ハイ、反省してますってば・・・m(__)m)。