10-11-26 たすけて〜!ダメなわたし その1

「今だにこのトシになっても母にガミガミ言われて、どんどん萎縮してしまうんです」(40代女性)
「夫に家事ができない、できないと言われ続け、ダメ人間な自分を責め続けています)(30代女性)

近しい人からの攻撃的な言動は傷つくものです。本人を萎縮させるどころかどんどん追いつめます。どちらの女性も口をそろえて、「いたらない自分がいけないんです」「いくら努力しても満足な自分になれなくって・・・」とうなだれます。

あらら〜・・・。(~.~;

まず問題なのは、わたしたちの身の振り方です。わたしたちはまわりの反応をみながら自分の立ち居振る舞い、あるいはどういう人でいるか、ということを決めてきた、ということです。これは幼少の頃から無意識でやっているのですが、父、母、兄弟などの反応に敏感になりながら自分の立ち位置を決めてゆきます。なので、現在のご自分はこの訓練のたまものであり、家族の中で働いている力学の一部でもあるのです。決して「素」の本来の自分ではなく、そのように感化された自分なのです。

「自分の気持ちを通そうとするとお母さんは嫌な顔をする。不機嫌なお母さんを見るよりは、最初からお母さんの言うことに従ってしまおう」とか、「人より何かがうまくできると嫉妬されて仲間はずれにされる。だったらいっそダメ人間、とろいわたしをやったほうが人は可愛がってくれる」・・・ってな具合に、まわりに安全に適応して愛される自分を無意識に演出してゆきます。

だから「とっても控えめ」な自分だと信じていたけれど、潜在意識の中には「とっても控えめ」にさせられてきた怒りとともに、本来の自分の率直さがためこんだエネルギーによって「暴君」のような危険なエネルギーと化して潜伏していたりします。よく殺人事件があると「あんなにおとなしい人が信じられない」とコメントされたりしますが、そうなんです、本来の自己が、抑圧されてきたがゆえの怒りとともに爆発してしまったわけです。

誰でも無意識のうちに周りの反応をみながら自分を演出することを覚えるわけです。でも、これはまわりに力を明け渡しているので自分は無力に感じるし、またまわりの出方しだいでふりまわされ続けます。

あるところから、注意の転換が必要になるわけです。

自分の注意をまわりをうかがうことに使うのではなく、自分がどう感じているのかに向けてあげること。自分がどのように感じて、どのようにふるまいたいのかを、まわりの反応とは関係なく自分の気持ちを軸に決めてゆくこと。これを身につけないと100人の人から自分に対して違ったコメントを受けとると、ついにはどのように反応してよいのかわからなくなります。そして、自分の気持ちを感じてあげることは、自分を大切にする、自分の感じ方を信頼し、尊重するという自己信頼を育てることでもあるのです。まずは、自分の気持ちを尊重し、自分を中心にそえてあげることが大切なのです。

そしてもうひとつ大切なことは、「人の言動は、その人の勝手だ」ということを知ることも大切です。

誰が何を言おうと(たとえ、それが親であろうと)その人の言葉は、結局その人の「生い立ち(生育環境)」「トラウマ」「劣等感」「独自の価値判断」「その日のご機嫌」などにかかわっているということ。その人の言葉は、その人にしか理解できない(いや、本人も理解していないですね)いろいろな複雑な要素がからみあって発っせられているのです。そしてそれは、なんら「真のわたし」とは関係がないのです。言わば、モロに相手の勝手です。

たとえば、冒頭の「娘にガミガミ言うお母さん」。人はどんな時にガミガミ吠えたいのでしょうか?
(その2に続く)