自分に本当に正直になったとき、これは誰もが必ずもっている信念です。「きっと、誰かが私を救ってくれる!」って。
そして、ある日、ステキなことが起って自分の人生がバラ色になるにちがいない・・・と。
だから、みんな自分の救世主を待ちわびているのです。
たとえば・・・
イケメンでお金持ちの理想のパートナーが、
自分を理解していたわってくれる優しい彼女が、
こどもが大きくなって手を離れたときこそ、
景気こそが回復すれば、
こんどこその転職が、
きっとやってくる昇進が、
このダイエット食品が、
この新しく発売された化粧品シリーズが、
これらのパワーストーンや風水の開運グッズが、
この治療法が、
この占いが、・・・・
それらによって、ようやく問題から解放されて幸せな日々がやってくる ・・・って。
それを手にできたそのときにはワクワクするかもしれないけれど、ワクワクとほんとうの幸せである安らかさは別のもの。ワクワクはたんに刺激に対する反応なので、一瞬強く感じるもののすぐにおさまります。
手にしたもので問題が解決されたように感じるけれど、じつはその問題はちょっとかくれんぼをしただけ。背後にまわったかもしれないし、あるいはどこかに身をかくしただけで、じつはまだそこにいてなおも歩調をあわせてヒタヒタとついてきています。だから、視界に入るのは時間の問題。
外に問題があると思っているあいだは、その問題とイリュージョンごっこを続けることになります。消えた!と思ったら、またこっちに現れて・・・ 。
そしてまた思いつくのです、「別のあれを手にすれば、こんどこそ問題は解決される!」と。別の彼女、別のダイエット食品、別の宝くじ、別の会社、別の顔(整形)・・・と、救い主探しの旅はなおも続きます。
でも足にマメができて、靴がやぶれて、膝がどうにも立たなくなって、身もこころもボロボロになって・・・ はじめて人は救い主探しの旅をもう続けられなくなって、あきらめて「もう、帰ろう・・・」と家路をたどります。とぼとぼ自分に戻ってくるのです。
そのあきらめたときこそが ・・・じつは「オメデトウゴザイマ〜ス!!」とファンファーレがなり響くところ。探していた救い主が待っているところなのです。
外には何もなく、誰にも何にも自分を救うことができない、と思い知った人にこそ、救い主が待ちかまえているのです。
自分を救える唯一の存在とは、じつは自分の「こころ」だけ。答えとは、自分だったのです。
この「こころ」に戻ってきて、大切に向きあうことなく、じつはいっさいの問題の解決はないのです。何かを探して足を棒にするよりも、それはもうここにちゃんとあるってこと。
なぜなら、自分が見ていると思っている世界とは自分のこころのなかの出来事であり、外にあるのではなくって、じつは内側に存在しています。外を探しに出かけると、自分のこころのなかのイメージへと入っていき、まるで袋小路のようになっちゃう。これこそ、イリュージョン!
自分の見ている世界に向かうということは、自分のこころのなかに入っていくことなのです。そして、自分のこころにたくさん溜めてしまったゴミに気づいて、ゴミを出して、ちゃんとこころにむきあってみること ・・・。それはいらない信念をお掃除することであり、お掃除したら深く自分とつながることであり、そしてその輝きを確かめてあげること。
問題も答えも、そこにこそあるのです。
でも ・・・足が棒になってボロボロになるぐらい歩きまわらない限り、わたしたちはなかなか正しい方向へ方向転換することができないようでもあります。
だから、疲れはてているのだったら、もううんざりあきあきしているのだったら、何をやってもダメでほとほと嫌気がさしているのだったら、外を歩きまわるのをやめるとき。おうち(自分)に戻ってくるときです。じつは、それこそが大きなターニングポイント、転換点、気づきになりえるのです。
ほんとうに疲れはてたら、正しい方向に歩きはじめるチャンスだ! 向きをかえてみましょう。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )