19-09-04 いやな感情にみまわれがちです・・・

Q: 「ここのところ、いやな気持ちを感じて落ちこみます」

A: 落ちこみ、怒り、恐れ、どよよ〜〜んとしたやる気のなさなど ・・・ 感情というものはどれも、自分よりもずっと威力があるように感じ、ついついのみこまれがちです。

強い感情が出てくると、私たちはもうそれ以上なにもできず・・・ 降参だわ ・・・ と、すぐさま白旗を掲げ、のっとられるままになってしまいます。

とくに強烈な感情である恐れに出くわすと、もう手も足も出せないどころか、固まって動けなくなってしまうこともあります。

いずれにしても、自分ではない感情に支配され、安らぎどころではありません。

なんとかその「気持ち」から逃れねば!と試みるのですが ・・・ その「気持ち」から逃れるのと、その「原因」から逃れるのは、じつはまったく違うことなのです。

気持ちから逃れることに成功しても、それはかえって問題を悪化させることになりかねません。なぜなら、逃げなければならないほど、それはすごいヤツであるとシッポをまいてしまったからです。

それは再びおっかけてきて、囚われてしまうのがオチです。

感情とは「問題」そのものではなく、何かの結果として浮かびあがってくるものです。それはある意味、副作用的なものであって、原因とは関係がありません。

副作用にあれこれしても、癒すことができないのと同じです。その感情はまたぶりかえします。

副作用である感情にあれこれするとは ・・・

いやな気持ちを感じているときに、それに抵抗して気分を変えようとしたり、忘れようと抑圧したり、どうにかなだめようとしたり、自分の間違った考えで正当化しようとしたりすることです。

しかし、いやな気持ち自体は結果なので、「なぜいやな気持ちになったのか」というその根本原因をしっかりと認識する必要があります。

「なぜこんなふうに感じているのか?」・・・ とことん、自分自身の本音に向きあう必要があります(エゴは、うまく自己正当化をはかり、誰かか間違っているからこう感じてあたりまえと主張してくるからです)。

いやな気持ちの根底にある考えを見つけたら、それはいったい本当のことなのか、じつは自分の役に立っていないのではないか、本当のことでないならそれを信じつづけることにメリットがあるのか ・・・ それらをしっかりと見きわめる必要があります。

そうすれば、その考えは自分に役立つどころか、じつはこころを混乱させて葛藤をつくりだし、自分本来の力を弱めている、まさに苦しみの原因であったと気づくからです。

現在の状態に腹が立ってしまうとき、たいていこんな思いがあります。

「こんなのはいやだ!」「我慢できないし、許せない」「私の思いどおりになるべきだ」「そのためには、思いどおりに現状を変えるべきだ」「自分の思いどおりになるためには、誰かが犠牲を払うべきだ(その人がガマンするべきだ)」「それは私のために当然なのだ」と信じています。

しかし、「こんなのはいやだ!」といいはるとき、じつは「私がすべてをコントロールする存在になりたい」「すべては私に従うべきだ」「すべてが思いどおりになって当然」というエゴという全体から分離した「私」がそこに君臨していて、自分以外の「すべて」は私に仕えるべきお道具にすぎないという思いこみがあります。

これがエゴが信じている世界観です。(・・・けれど、恐れてさえいなければ、すべてを自分に仕えさせようとはしないのですね。)

自分が君臨してすべてを仕えさせようとすれば、決して幸せにはなりえません。すべては仕えるために存在しているお道具、あるいは使用人になってしまい、対等に愛をわかちあう存在でなないからです。

そしてまた、思いどおりになる余地もありません。

「思いどおりにしたい!」と思っているときには、目にしている全体は自分の意識のあらわれである、ということをすっかりと忘れています。自分にケンカを売っても仕方がないのです。自分のシッポに自分で噛みついて、自分に腹を立てる・・・ という不毛な状態が起こります。

また、すべてをコントロールしようと躍起になることのなかには、すでに答えはある!という信頼が育ちません。

私こそが「何がいちばんよくて、どうしたらよいかわかっている」「そんなわけのわからない答えなどいらない」と言いはって、宇宙の完璧さを退けて、あくまで自分のやり方をとうそうと頑張ります。

でもそんなダダをこねている存在もほんとうの自分ではなく、たんに間違った思いがわめきらしているにすぎません。

本当はそれに気づいて却下すればよいのです。そんな(エゴである)思いの存在にあわてる必要もありません。

しかし、これがほんとうの自分だと信じてしまうと、自分のなかが分裂して(答えを受けとりたい自分とそれに抵抗する自分)しまい、失敗した感覚や、どうにもできない無力感を感じるようになります。

これこそが、エゴの目指していることなのです。

そこにはまらないようにするには、いやな気分はたんなる「お掃除の必要のサイン」と心得て、その気分の下にある思いを見つけて真偽を正すことで終わりにしることです。

間違った思いに気づいたら、その間違いに気づかせてくれてありがとう!と感謝しながら、すぐにハイヤーセルフに差し出して、もっていってもらいましょう。

いやな気分とは、たんに自分を苦しめる何かを信じていて、それは捨てたほうがよいですよというアラームのようなものです。

いやな気分と格闘してくじけてしまうよりは、まずは落ち着いて、「なぜ、そう感じるのか」を見つめて、手放しましょう。

癒しとは ・・・ 鉛筆で真っ黒に落書きしてしまった画用紙を、「気づくことハイヤーセルフに委ねること」という消しゴムでひとつづつ落書きを消し去って、もとの白い画用紙に戻してあげるようなものです。

白くなったらおしまいです。でも、黒い鉛筆が残っているあいだは、あれこれ言わずにせっせと消す作業が必要です。

どうもこの「消す」という作業には、「あれ〜!このあいだ処理したのに、また〜!? 失敗しちゃったの?」とか「こんなものがあっていいはずがないのに!」という失敗感、罪悪感がともなうようです。

画用紙は黒くなっちゃったのだから、もうあきらめましょう。黒いもの(問題)を見つけたら消せばよいのです。

これをするためには、めげずに、明るく楽しく、「あ〜ら!またイイモノをみつけちゃったわ!消えてもらうわよ」ぐらいに気軽に、素直に認識して、ハイヤーセルフに差し出して、永久に取り去ってもらうことだけです。

それをつらくやることもできるし、軽く楽しくやってもかまわないのですね〜☆☆☆

 

 

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