20-04-03 みんなが幸せになる世直し

 

「間違っていることを目にすると、世直ししたくなってしまうのです」とクライエントのAさん。

たとえば、マナー違反とか、常識はずれとか、ちゃんとできてないとか ・・・ そんなことを目にすると、正したい気持ちがムクムクするそうな。

しかし ・・・ 相手にしてみればそれをよしとしているからこそやっているわけで、指摘されてしまうと否定されたように感じてしまうことも。すると、その方とのあいだに摩擦が生じ、正した方も正された方もイライラします。

だれでも、「正される」のは好きではありません。

また、「正すべきものがある!」と常に感じているこころは安らぐことができません。「あなたは間違っているけれど、私は正しい」と、ある意味ケンカ状態なので平和はないのです。

「自分自身が幸せにならないことにこそ、幸せがあるように感じてしまう」というのはよくあることですが、それに一生懸命になってしまうと自分の首をしめてしまいます。

よかれと思ってやっている「世直し」は、どちらにとっても幸せはのぞめないのです。

それでは、みんなが幸せになる世直しとは・・・?

正しい世直しは、「オセロ方式」がオススメです。

クロい石をシロに変えたいとき・・・

クロい石を指さして、「きみはなんでクロなんだ!シロになるべきだろ!はやくシロくなってくれ!クロは見たくないんだ!」と腕をくんで責めたてても、クロい石はクロのままです。

シロにしたいときにはどうするかというと、

「そうだ!きみはシロだ!」ときめること。はじめに、そこにシロを見ること。

そして、優しく裏返してあげる。責めることなく、ただシロにしちゃえばよいのです。

それは、自分自身が「それはシロだ!」(そこの石はシロであるべき)という意志をもって、「裏返す」(積極的に自分がシロを見る)ということなのです。

シロい姿を、相手に与えてあげること。シロにしてあげること。

それは、「なぜクロいんだ!」と叫びつづけることとは違います。

一方、「なぜクロいんだ!」と責め立てると ・・・ クロだと認めたから、クロをより強めることになります。その結果、クロがパタパタとふえてゆきます。

それよりも ・・・「いま一瞬、すご〜〜くクロに(間違っているように)見えたけれど・・・私の見たいものはそれじゃない! 私が見たいのはシロ! だから、私が見たいシロい姿(何も間違っていない姿)をきみに見るよ」と、自分が見たいものだけを相手にとことん見ようとします。

私たちは、見たいものこそを目にします。シロなのだ!と最初に決めることで、ちゃんとシロに見えるのです。(ある意味、シロであるパラレルワールドを選ぶということです。)

そして、シロを選んだからこ、シロがパタパタふえてゆきます。

「与えるものこそ、受けとるもの」。

シロだと決めて、シロを見たから、シロを受けとる。つまり、相手もシロに見えるし、自分もシロに見えるのです。

「ほ〜ら!みんなシロなんだよ〜!」「だって、私にはシロであるあなたたちしか目に入らない」「あなたは、シロだね!」とシロを決めることで、決めたものを受けとり、目にするものはオセロのようにぱたぱたとシロにかわってゆくのです。

もちろん、い自分自身もまっシロ!

それだけ、わたしたちの想いにはちからがあるのですね。さきに与えて、受けとりましょう♡

 

 

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