21-09-07 赦さなくちゃいけないのは自分自身

 

何か失敗しちゃったとき・・・

私たちはその失敗の内容自体を客観的に見ようとするよりも、それはスルーして、自分自身を責めることに向かいがちです。

「なんでこんな失敗しちゃったんだろう?」「みんなに迷惑かけて、私ってダメだわ」「いっつもこうだよね」「きっとあきれられてるかも」「もう見放されるかも」・・・

ほんとうのところ、そのときするべき正しい反応は、

「自分のしたことは適切じゃなかった」「じゃあ、そうならないためにどうしたらいい?」「不十分だったところはどこだろう?」「それについて何ができる?」「じゃあ、次回はそこを改善しよう!」

「うまくいかなかったポイント」の認知があり、それに対する改善があります。

ところが、私たちがしてしまいがちなのは「裁き」なのです。

「これは ”私の失敗(罪)”」であり、「そんなこともできない ”自分はダメなやつ(罪のある人)”」というふうに。その内容についてではなく、自分についての裁きなのです。それも二度も。

「罪がある」ことのみに焦点があたってしまい、起きた内容は無視されてしまっています。

そして、この「罪がある」という思いは、次から次へと負の連鎖を生み出し、罪のある自分を決定的にしてゆきます。

「失敗しちゃった」→「私はいつもこう」→「嫌われちゃう私」→「そういえば、○○さんの私に対する態度は最近つめたい」→「仕事の担当を変えられるかも」→「私は見捨てられる」→「不安だ」→「この先どうなる?」・・・

どんどん架空のストーリーに巻き込まれてゆき、架空の人生を生きはじめます。

失敗してしまったらすべきことは・・・

*何故そうなったかを検証して、改善点を明らかにして、次から実行すること。

**さらに、こころのなかで「やっちゃった・・・汗」と落ち込んでしまっている自分を赦してあげること。また、その自分を責めつづけている自分も赦すこと。

***そして、たんに改善すればいい状況だったところに罪をおしつけ、罪のストーリーをでっちあげてしまった自分を赦すこと。

私たちは、人のことは赦そうとして、赦す努力をするのですが、

残念ながら、その範疇から自分はスッポリ抜け落ちてしまっているようです。自分に対しては相当なスパルタなのですよね(メッチャ S であり、M でもあります・・・苦笑)。

客観的に改善点を見つけたら、あとはちゃんと自分を赦して解放してあげましょう。

そうなのです、すべては自分を赦すため ・・・ 解放するために起きています。

もしこの人生を何度も何度も生きているとしたら・・・ 赦さないがために罪のストーリーのループにはまりこんでしまって何度も同じところをグルグルしているとしたら・・・。

ならば、今度こそ、今度こそ、そのことに対して違う反応をしなければならないのです。そこから脱しなければならないのです。

責めずに赦すこと。起きたことをそのままにしておくこと。

♪これでいいのだ〜、これでいいのだ〜♪

自分を出口のない同じストーリーのループから解放してあげるために、自分にも優しくしてあげましょう♡

 

 

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