このコーナーでは、折々のオイシイ情報、楽しい情報、役に立つ情報を発信しています。お楽しみに。
祝・開店「たかちゃんの部屋」(今週のたかちゃん)。
オフィスるんのページへようこそ。このページは毎週、たかちゃんのびっくり、たかちゃんのドキドキ、たかちゃんのワクワク、たかちゃんのあれれ、をお届けします。今週は・・・「MOVIE」!!
私は、かなりの”映画おたく”。マイナーな作品であればあるほど味わい深くて好きなほうです。最近は幸いにも(?)仕事がたて込んでいて、いまひとつ本数がこなせず少々欲求不満気味。でも、なかには一本で大いに至福、満腹(万福??)大満足の作品もあるものです。
最近のおすすめはワーナーの『遠い空の向こうに』。ロケット打ち上げに燃える少年たちのお話で実話です。この作品はほとんど無名の俳優ばかりで下手な小細工も何もなく素直に撮っているところがさわやかな涙を誘います。ハンカチ必携。
少年少女の頃、誰もが持っていた色とりどりの夢の玉手箱。今はどこに置き忘れてきたことか・・・・この映画はそんな自分の玉手箱を思い出させてくれます。もしも、夢を暖かく見守ってサポートしてくれる人がいたなら、きっと夢のままでは終わらなかったはず。「夢は夢見るためにだけある!」と思っている大人たちを、「夢は叶えるためにある!」と目覚めさせてくれる一本です。
そうなんです。夢はあきらめてしまわなければ、きっときっといつかは手に入る。転んで、立ち上がらなくなったとき、もうダメ!ってあきらめてしまったときが失敗なのですね。赤ちゃんだって、転んだら何度でも立ち上がるものね。「転ぶことが失敗じゃない」ってわかったとき、笑って元気に何度でも立ち上がり続けることができるのですよね。自分の夢はもちろん、人の夢もサポートし続けたいですね~。
VOL.1
2000 Apr. 19
「死海で浮遊してきた!」という友人がいた。なんで「死海」なの?といぶかしく思った。景色も美しそうでもないし、なんといっても遠そうだ。リゾート地はいくらでもあるのに。
だが、なぜか気がついたら私も「死海」のほとりにいた。はからずも。(人の奇行を非難すると、たいてい自分も同じようなことをしている。)
私は、いまだかつて浮き具なしで水に浮いたことがない。いわゆる金槌。何度か特訓は重ねたが、項を奏さない。過去生で溺死でもしたのか?「力を抜いて水に身を任せなさい」というところがうさんくさく感じる。ホントに沈んじゃったらいったいどーしてくれるの?
でも、死海は塩分35%。普通の海の10倍である。誰だってあたりまえに浮くし、浮きながら雑誌だって読めるらしい。と、いうことで水着に着替え、雑誌とカメラを手に[私だってちゃ~んと水に浮く] 証拠写真を撮りにいさんでホテルのプライベートビーチにおりた。しかし、屋内プールは人であふれているのに、ビーチにはひとっこ一人見あたらない。ましてや浮いている人などいない。中近東といっても2月の夕方4時すぎはいささか水が冷たいらしい。しかし、フト見るとナント、おじーちゃんが浮いている。それも同胞。恐るべし日本男児!大和魂!
おじーちゃんだって浮いているんだから、はるばるイスラエルくんだりまでやって来て私も浮かないわけにはいかないでしょ~!というへんな使命感が湧いてきた。
膝までつかっただけで、けっこう冷たい。ほとんど叫びっぱなしの状態で自分の軟弱さを改めておもい知った。「浮く」ということは、全身つからなければならない。まるで、禊ぎ(みそぎ)の修行の様相。(禊ぎは、こんなにはしたなく叫びはしないが。)なんだか「浮く」ことよりも「水にはいる」ことのほうが一大事になってしまった。
友人に、始めはちょっと支えてもらって浮遊に成功!計画どおり、雑誌など手渡してもらい、ハイ、ポーズ。はじめから「浮く」と思っていればこわくないもので、いつまでもプカプカ浮いている。私は今まで、かたくなに浮かないことを証明しようとしていたようだ。ほっとけば、人間ラクに浮くらしい。「浮く」快感をおぼえた私は、その後も屋内死海温水プールでいつまでもプカプカ楽しんだ。
とはいっても、まだまだふつうの水では浮く気になれない私です。また今度、死海でね。
「なんちゃって!」の魔力に決定的に気づいたのは今から2年ぐらいまえ。実は、以前からうすうすは気づいていた・・・
ところはフィレンツェ、アルノ川のほとりをお散歩していたとき。歩道沿いに2階建て観光バスがずらりと並んでいた。米国人観光客のものらしい。
軽いノリで私は友人のカズちゃんにこうつぶやいた、「たまには、旅先でこんな外国人観光バスに乗っちゃたりして!」
それから2日後、私たちはポルトガルのナザレという漁村にいた。なぜか、アメリカ人58人のツアーに混じって、それも2階建てバスにただで便乗し、そこまで来てしまっていた。アルノ川でつぶやいたあのひとことを思い出したのは、それからしばらくしてからだった。
これは、たまたまホテルのラウンジで出会ったポルトガル人のツアーガイドに、‘レストランでボラれてくやしまぎれに逃走したあげく、路上ファイティングをしてしまった’話をしたところ、彼は私たちをかわいそうに思ったのか「一緒に安くておいしい魚を食べに行こう!」と誘ってくれたのだった。
だからといって、数カ国をめぐる米国からの団体ツアーに、見知らぬ外国人三人がいきなり参上するのも奇妙な話。「そんなの、アリ?」といいたくなってしまう。でも、「なんちゃって!」の魔力はそんなのおかまいなし、なんでもあり。軽く楽しくなんでも可能にしてしまう。
アメリカ人のおじちゃま・おばちゃまに囲まれて可愛がられつつ、どこかで意図したとおりの「なんちゃって!外国人観光バスツアー」を体験し、忘れられないスモールトリップを楽しんだのでした。
美輪明宏さんの~愛の賛歌エディット・ピアフ物語~を観てきた。別にファンではない。パルコ劇場最前列ド真中というシチュエーションにに惹かれて、怖いもの見たさ(?)で出かけた。
銀巴里時代からの金子由香利さんでならした私には、美輪さんはちょっ~と濃すぎる。
一曲目からすでに、たくましい喉仏を震わせてパワー全開。それも、目と鼻の先2~3メートルという至近距離で、歌い踊り迫りくる。私からは美輪さんしか目に入らない、というまさにマンツーマン状態。あまりのことに、まったく目が離せない。
ピアフの恋人役の面々はみな端正な顔立ちのおそろしく足のなが~い美男ばかり。(もしや、シークレットブーツ?!)とりわけ21歳年下の夫役のテオ君は、「よくぞ探した!」といわんばかりの初々しい美青年。(このへんの美意識はおおいに共感いたします)そして、しっかりKiss シーンもあり。
前半は、「どひゃ~、これってゲテモ○!ちょっとこわすぎ!」「ここまでしなくても・・・」と固唾をのんでいた私が、どうしたことか後半はアリ地獄のごとく美輪ワールドにズリズリ引きずり込まれて、おもうツボ。いつのまにか「う、う、うつしい・・・」とため息がでる始末。しまいには、野太い声も何のその、感激の涙さえ出てくる。美輪さんが観音様のように荘厳で気高く光り輝き、おもわず合掌したくなってしまった。
そ~かあ!これが三島由紀夫や寺山修二をとりこにした彼の才能なのねっ。
美輪さんの舞台を観て「美しさ」ということの神髄について考えさせられた。人を惹きつけてやまないものって、うわべだけの美しさではない!と妙に納得し希望がわいてきた反面、じゃあどーしたらいいの?と途方にくれる。究極の美って、じつは紙一重のアブナイものなのかもしれない。そして、麻薬のように耽溺性あり。
テオ君よ、この数週間の興業のあいだにアリ地獄にはまるでないぞよ!もう、遅い!?
そうそう、最前列のもう一つの怖ろしさ。それは、もくもくスモーク攻撃。一難去ってまた一難、まるで津波のように襲いかかってくる。文字どおり、煙に巻かれて何も見えない。あまりの凄さにシッポがでそうでした。
今回の「なんちゃって!」の舞台は回転寿司。私の回転寿司デビューは30代になってから、とかなり遅め。渋谷の`築地回転寿司´のウニのとろとろ、エンガワのぷりぷりを体験してからというもの、もう回転寿司の虜。「これはなかなか侮れない!」と見解を新たにした。坐るなり、いきなり「エンガワ4ま~い!」と元気よく叫ぶ、かなり迷惑なお客です。
ある晩の出来事。お店の前も中も大行列で、ようやくカウンターまでたどりついた。まずは、例のエンガワで小腹を満たして、さあて本番!
フト、見るとおいしそ~な握りたてのウニちゃんが、行列の中でひときわキラキラしながら向こうからやってくる!「わお~、アレいただき~!!」
私の右隣にはオジサン4~5人が陣取って、バンバンお皿を空けている危険地帯。ウニになんぞ気づいてくれるな!と祈らずにはいられない。「でも、私が食べるって決めちゃったんだから、誰もあのウニには手が出せないもんね~」そう言いきって、余裕で手元のエンガワなんぞつまんでいた。
でも、ちょっと気になった。「こんな悠長なことしてるうちに、ウニ向こうにいっちゃたりして!」
つぎの瞬間、目を疑った。
カウンターの中で、せわしそうにお寿司を握り続けていたはずの板さんが、何をおもったのか奇怪な行動にでた。いきなりハッシ!!とあのウニのお皿を掴んだかとおもうと、なんのためらいもなく平然と、まったく反対側のベルトコンベヤーに乗せ変えたのだった。なっ、なんのために~?!アッというまの出来事だった。(板さんのこんな行動みたことない!)
「エ~ッ!!!ウソォ~」、ウニは私の目の前を通りすぎはしなかったけれど、確かに私が心配したとうり、向こう側にいってしまっていた。
あまりのことにビックリするやらおかしいやら!さいわい板さんが私の絶句状態に気づいて、あのウニのお皿を取り戻してくれた。まるで、子供にオモチャを返してあげるように。
これって・・・魔法の学校の優等生?、落第生?
韓国に行って来ました。「空港を降りるとキムチの匂いがする」と聞かされてきたけれど、ほーんとに大気にキムチ臭が充満していて感動すらおぼえてしまいました。以後、ホテルで目覚めて窓を開ければキムチ、ロビーをあるけばキムチ、人と話せばキムチ、つまり1日24時間キムチがついてまわるという生活。
毎食ごとに食されるキムチの量たるや、私の年間キムチ消費量すら足元にも及ばない!韓国の若者の地に足のついたたたずまいは、キムチと生ニンニクと焼き肉、そしてそれを巻いて食べる大量のサンチュ、という無敵の食生活に支えられているのを体感してきました。日本のコンビニ族のみなさん、食に対する態度を改めましょう!(私のことでした・・・)
韓国の食生活のビックリは他にもいろいろあります。焼き肉屋さんに行くと、お店のひとがすごい勢いでお肉を次々焼いてくれる。網の上に広げられたそのお肉の大きさたるや「ジャイアント馬場」の足裏級。(ちょっと古い・・つまりワラジよりずぅ~っと大きいという表現をしたかっただけです)
「これ、いったいど~やって食べるの?」と困りはてていると、なんとハサミ登場!それも、ゾーリンゲンとかのお料理バサミなんていう洒落たシロモノではなく、おばあちゃんとか仕立屋さんが使っていたデッカイ裁ちばさみです。あれで、いきなり網の上のお肉をジョッキジョッキ四方八方にめった切る。ここでも、韓国の底力を感じて日本の繊細さというより軟弱さを憂いてしまいました。
そうなんです、韓国の食はダイナミック!「タコの躍り食い」にいたっては、タコと人間の真剣勝負。はたから見ていると、まったくどっちが食べられているのかわからない絶叫の連続!(注・タコが絶叫するわけでも、襲いかかるわけでもありません、あしからず)つまり、食べようとしている私が勝手に叫んでるだけです。でも、叫ばずにはいられない、この迫力!
ぶつ切りにされたタコの最期のあがきか、お皿の上でのたうちまわり(?)お箸で追いつめてもヘリに貼り付いてビクともしない。そこをムリに剥がすと今度はお箸にまとわりついて、ついに制御不能になる。このありさまはSFかホラーか、やっつけてもやっつけても不気味に復活してくるエイリアンさながらだ。
この期に及んでのタコのかたくななまでの抵抗と粘り強さときたら、空恐ろしさを感じるほどだった。人間にしたらさぞ大成したことだろうに、惜しいことをした。(なにをいっているのか?)
躍り食いは新鮮で甘くてとろとろだった・・・そうだ。私は戦いに疲れて味わうどころではなく、なかば丸飲みに近かった。
半月ほどの滞在をへて帰国してからというもの、なぜか体調が今ひとつすぐれない。なんだかフラフラして栄養が足りない感じ。気がつけばスーパーで日本製キムチもどきを握りしめてる自分がいたりする。抵抗しても、身体はすでに韓国人。どうやら刺激はクセになるようです。
人によって開かれている五感が違うのをご存じですか?つまり五感の得意分野があるのです。
私は強度の近視のためか「視覚」の分野は今ひとつ。もちろん、美しい自然や美術、色彩には感動しますが。私の記憶に色濃く残っていつまでも消えることがないのは・・・「香り」。つまり、「臭覚」、匂いが私の得意分野のようです。(鼻をヒクヒクさせててドウブツくんみたい?)そして臭覚の次は感情を含めた「感覚」です。
恋人やお目当てのひとにアプローチするときどうしますか?相手の得意分野をおさえて、そのチャンネルからコミニュケーションすることは、恋愛必勝にはことのほか大切なプロセスです。さもないと、「むせかえるような愛」もただの暑苦しさになりかねません。
「感覚」タイプの人にいくら流行のファッションと外車でデートをきめこんでも、それは単なるキザかイヤミにしか感じないかもしれません。「視覚」にうったえるよりも、ハートにつたわる温か~い一言とか、思いやりのこもったちょっとしたスキンシップのほうがむしろ効果的。「私って愛されてるっ」て感じられるものです。(やりすぎるとセクハラになるので、くれぐれもご注意・・)
気の合う人というのは、得意分野の感覚が同じか、あるいはしぜんと相手の分野を把握している人です。
私は、お散歩をしていても「あっ!いいな!気持ちいい!」と感じるのは、夕暮れどきの甘~い花の香りだったり(なぜ夕暮れになると花たちはいっせいに、あんなにいい香りを放つのでしょう?)、雨上がりのあたたかい土の匂いだったり、あるいはこれから降りはじめる雨のなつかしい匂いだったりします。
幼い頃、毎日繰り返したピアノの練習曲を耳にするたびに、様々な季節の香りが浮かんできます。金木犀、クチナシ、泰山木、老梅、沈丁花、苔や松ヤニの匂い・・・それは、小さいときから私の友達だった庭の木々たちです。そう、雪の匂いも好き。そして、その香りたちは幼い頃の記憶のひとこまひとこまとリンクしていて、とてもなつかしくてハッピーな気持ちにさせてくれるのです。
ところで、あなたは何タイプ??そして、あなたの大切な人は??
すっかりページの更新が遅くなってしまいました。ようやく、フロリダ遠征の旅より無事帰還いたしました。(今回は飛行機の乗り換えに遅れて、テキサスの田舎まちを体験するというオマケつきでしたが)
さて!今回は、「なんちゃっての魔力」のたねあかしです。
みなさん、お蕎麦屋さんにいったときどんなふうに注文しますか?「もりソバ!」とか「掛けねっ」、というぐあいに実にシンプルで軽いですよね。「オッサン、ソバだよ、ソバ!ソバだっていってんだろ~!」などと力む人はあまりみかけません。(えっ?たまにやっちゃん系のおにいさんがやってる?)こういうひとは自分がソバを注文すること自体を自分で疑っている人です。こころのどこかで「カレーにしときゃあよかった」「いや!きょうは親子丼気分かなあ」なんてフンぎりの悪いことを考えていたりする。
みなさん自分の名前を聞かれたときは、どんなふうに答えますか?「お名前は?」「フルカワですっ!」て。答えのトーンはすごく軽いですよね。
お蕎麦屋さんにしろ、自分の名前にしろ、自分にとって本当に信じていること、決めていること、あたりまえなことって、口に出すときすごく軽い。200%信じているから主張する必要なんてまったくないのです。だから、ヘンに力んだり、繰り返したり、「絶対」という言葉をよく使う人は自分の言っていることを信じてない人です。
よく自己啓発セミナーなどで、自分の欲しい現実について叫びまくるエクササイスがあります。「私は金持になる!私は金持ちになる!」とか「わたしはできる!ぜったいできる!」とか。なぜこんなに叫ぶ必要があるのでしょう?これをやってしまったら、まずその現実は手に入らないと言っていいでしょう。だって、そんなに叫ばなければならないほど、その現実を信じていないのですもの。叫べば叫ぶほど、主張すれば主張するほど、力めば力むほど、現実は遠ざかります。まるで大声で、わたしにはムリっ、ダメって宣言しているようなものです。
何か聞かれて、「本当にそうだ」と信じているときの答えってびっくりするぐらい軽いものです。「そっ」っていう感じ。ほかに混じりっけなしです。これが現実を創るエネルギーです。
つまり、「なんちゃって!の魔力」も、この場合と同じように力みがぜんぜんはいっていなくて軽くてシンプル。だから、すぐ現実になってしまうのですね。
日本人てどうしても昔から真剣になると力むクセがある。「頑張る」という単語がはびこっているせいでしょうか?「頑張る」のではなくて、肩の力を抜いて「Take it easy!」コレです。だから、私の場合ただ単にいつもヘラヘラしてるわけではないのですよ、じつは!奥がふかいでしょう。
2000 Nov 8
セラピストも人間なので、たまにはケアが必要です。うらやましいことに、欧米にはセラピストやカウンセラーのメンタルケアをするシステムがあるのですよね。それがない日本、「自分の面倒は自分でみよ」と日夜、息抜きに余念がない(?)私です。
そんなわけで、一ヶ月にもおよぶメンタルケア旅行の終点はニース。コートダジュールのプロムナードに腰掛けて、最後の夕陽が紺碧の空と海を染めて海岸線のむこうに落ちるのを瞼に焼きつけようと、その時を待ちかまえていた。
この美しい日没と碧い海と美女(えっ、誰??)。シチュエーションがそろいすぎ!!やってくるのですよね~。ナンパおじさま&おにーさま方が、どこからともなくわやわやと。なんせ恋愛が国技(?)のお国柄。「声をかけなければ失礼にあたる」とばかりに。でも、こちらは明日には日本に帰るという身、誰にもこの至福のひとときを邪魔されたくはないのです。
「マダム。お食事はいかが?」(ここでマドモワゼルといわれたらナメられている証拠)と、初老の紳士。ちょっと肩をすくめて「英語まったくわかりましぇ~ん!」というふりをする。彼も肩をすくめて立ち去った。成功、成功。と、いう具合にやりすごす。 「シャッター押してくれませんか?」旅行者風の若い米国人男性がカメラをさしだした。しぶしぶカメラをのぞくと逆光だった。「お顔真っ暗だけど、フラッシュたく?」とお伺いをたててしまったのが運のつき。コミュニケーション可能と判断したのか、彼は私の隣にシッカと腰をおろして、あれやこれや話しはじめた。「うへ~、面倒くさいなぁ」と思いつつ、音楽、旅、仕事・・・そして恋愛と話は勝手にもりあがる。
「ボクっていつも3ヶ月しか恋愛が続かないんだよね~。なんでかな~?」(そーんなこと、私の知ったことではないでしょ~!)とおもいつつパブロフの犬状態、哀しいサガか、ついつい反射的に相談にのってしまう。「ふーん。それでそれで?」「なるほど~」・・・・・・・
「暗くなったし、食事でもどう?」ハタと気がつくと、ニースの金色の日没はどこへやら、あたりはとっぷりと夕闇に包まれていた。「アララ!私はいったい何やってんだろ?私の夕陽はどこっ??」明日は東京だというのに。ここまで来て見ず知らずの人にカウンセリングなどして、かんじんなコートダジュールの日没を見過ごしてしまうとは!なんという職業病。なんだかむしょうに腹が立って、ちょっぴり彼にやつあたりなどして(ゴメンゴメン!)そそくさとホテルにもどってきた。
おかげさまで社会復帰には時間がかからずにすんだけれど・・・。
2000 Dec 24
いつもの旅仲間のKちゃん、Nちゃんとオランダ・ベルギー・フランス・ドイツを歩いてきました。毎日お腹がよじれるぼど笑って、腹筋はかなり鍛えられたようです。
x月x日「ニースでレポーター」
旅にでる前日の夜遅くKちゃんから電話があった。「仕事があるんだけど、何も聞かないでOKして」と言う。一瞬躊躇すると「あなたはそういう人でしょっ!」と追い打ちをかける。(いつ私がそういう人だった??)そんなわけで、12月31日J-WAVEというFM局で滞在中のニースからレポーターをするハメになってしまった。今回のニースはお気に入りの宿がとれずに、唖然とするほどのぼろホテル。座敷牢のような薄気味悪い部屋から別の部屋に変えてもらったのはいいが、今度はカーテンは落ち天井は抜け暖房もきかない。また、むりやり部屋を変えてもらううちすっかりエネルギーを消耗してしまった。部屋にいるとどうも盛下がってしまうエネルギーを散歩で紛らし、最後には「押忍っ!」と応援団まがいの気合いを入れて収録に臨む。日本でたまたま聴いてたみなさん、第一声ですぐにわかったとか・・・悪いことはできませんね~、まったく。
x月x日「21世紀、水も滴るイイ女」
新世紀の幕開けはパリでパァ~っといこうとスケジュールを調整した。ホテルのフロントで聞いてみると、どうやらコンコルド広場でレーザーショーとカウントダウンがあるようだ。メトロもタダと聞いて勇んで出かけることにした。ホテルでお疲れさまの乾杯と食事をすませて(注・食事はスーパーで買い出しをして私たちが作る。ちなみにコーヒーメーカーでカリフラワーだって茹でちゃうし、ニンニクをみじん切りにしたり、レモンを絞ったり、部屋は厨房と化す。ときにはパイン丸ごと一個だってさばいてしまう)ババシャツ2枚、ホカロン前後に一個ずつ、エアテックジャケットの上にさらに回巻き布団のような足首まであるダウンを着込んでマフラーと手袋で身支度完了。(これで部屋の中を動くと暑くてたまらない)ここまでやれば完璧なはずだった。1時間ほど前にコンコルド広場について、シャンゼリゼのイルミネーションとライトアップされたオベリスクや観覧車の美しさに歓声を上げる。これだけ厚着をすると逆につめたいジュースがおいしくて、ジュースをのみながら縦横無尽に夜空を走り回るレーザー光線とロックバンドの演奏に21世紀にむかって気分は盛り上がる。まわりはすでにトランス状態。そんなころ、アレ?額に冷たいものが・・・雨だ!ごはんを食べながら天気予報の雨マークをぼんやりながめていたのを思い出した。防寒にはぬかりがなかったが、防水までは考えていなかった・・・それはまわりの熱気と呼応するように新世紀に向かってだんだん激しくなっていく。カウントダウンの頃は、すでにずぶ濡れで顔も上げられない。生まれてこのかた、ここまで雨ざらしになったのは初めてだ。なにがなんだかわからないうちに、21世紀へのカウントダウンが始まった。そして、電光掲示板が「2001」にかわると紙吹雪が夜空一面に吹き上がり、その様子をレーザー光線が幻想的に映し出す。けれど、私たちは熱狂する人波にもみくちゃにされ何がなんだかわからない。紙吹雪は容赦なくずぶ濡れの私たちに貼り付き、それがやたらみすぼらしい。(髪に絡まった紙吹雪を知らないお兄さんが一生懸命とってくれていたりする)メトロも大混雑で水を滴らせてとぼとぼ歩いて帰ってきた。楽しみにしていたホテルのルームサービスは待てど暮らせどあらわれず、私たちは疲れはてて眠りについた。翌日、予想外の御利益発見!私たちのお肌は今までになく、しっとりすべすべだった。誰にもマネできない「水も滴るイイ女」効果!
Jan 31,2001
長らくお待たせいたしました。ようやく確定深刻、いえ確定申告も終わり、私の心も春めいてきました。毎年締め切り三日前、はじめて領収証の山と対峙するというていたらく・・・「もう、こりごり・・次回は態度を改めよう」と思うですが、どうやら学習機能はゼロのようです。
そうなんですよね~。人間アタマでこうしようと思っていることと、心で考えていること(or信じていること)とは別なのですよね。つまり、アタマでは「余裕で確定申告」と思っても、本心は「まぁいいか、他にやることいっぱいあるし」(税務署さんゴメンナサイ)と思えばどうしても上記のような結果しか望めません。ヒトは、ほんとうの本音からしか人生を創造できないようです。
こんなことがありました。ある私のバースデイ。その日は忙しくて夜まで5人のセラピーの予約が入っていました。3人ほどこなした夕方、友人がケーキを持ってやってきました。「あと2人クライアントさん来るのよね。そうでなかったら一緒に食事に行けるのに・・・残念」しかし、どうしたことか次のクライアントさん達は待てど暮らせどやって来ない。なんと二人とも見事にドタキャンでした。「なんなの~、いったい?」といいつつ、妙ににこにこ・・・この場合私のホンネはバレバレですね~。自分で予約をパンパンに入れたくせに、私の心の声は「バースデイぐらい遊ばせて~!コレ当然の権利」と叫んでいたのです(笑)。もちろん、その夜はイタリアンレストランに行って、その後プリクラして・・・思いっきり遊んでバースデイ気分を味わいました。
「人が何を信じているかを知るには、本人に語らせるよりも、その人を観察する方が簡単です」というパルマー博士の言葉があります。人は、「こうだったらいいなぁ~」というたてまえや理想論、「こうするべきだ」という義務感から言葉を発することが多いのです。それはホンネ、本心とは違うのです。たとえば「家族、そして人とのつながりこそ癒しの基本」と声高に唱えるあるセンセイが、実は家族と別居していたり高慢に人とのつながりを拒んでいたり、健康法の大家が、不摂生がもとで亡くなったり・・・本当に信じていることはあなたの人生をかたち創り、体験としてあらわれるものです。あなたやまわりの人々の体験していることを注意深く観察しててみてください。そこに、ほんとうの心の声が隠されています。
あなたは、いったい今何を体験されていますか?恋人が去ってしまったアナタ、ひとりの時間が恋しかったのでは?ひとり遊びをおもいっきり楽しんでください。仕事が減っていくアナタ、仕事に対してワクワク感がなくなっていませんか?いっそ数日お休みをとってリセットしてみましょう。身体の調子がいまいちのアナタ、病気になれば愛情がいっぱい注がれましたか?一日ベッドの中で自分を甘やかしてみてください。さあ、あなたの本当の声に耳を傾け、それを受け入れてあげましょう。
意図的に人生を創造しよう!といろいろ努力をはらっているのに、なぜかいつも違う現実が目の前にあらわれてしまう、というあなた。ほんとうに望んでいることって何でしょうか?心から喜びを感じることって何ですか?あなたの魂にはウソをつけませんよ~。
2001 Mar 25
私はアントニオ猪木にあやまらなければならない。だって、あんなにぴかぴかにお元気な人を、私は勝手にあの世に送ってしまっていたのだから・・・近所のラ・ボエームで彼と遭遇するまでは。なぜそんなことになったかというと、去年もおととしも私は日本を出たり入ったり忙しく、馬場さんが亡くなりジャンボ鶴田が亡くなり・・・ついにはいったい誰だったかわからなくなった次第です。
おもしろいことに何か勘違いをしていて「それ、完全に違うよ」という時や、今まさに何かに気づかなければならない時って、かならずお知らせがやってくる。それも、しっかり三回。はじめの二回はやわやわと、しかしまったく気がつかないと、三回目はちょっとハード、「これでもわからんか~!」と手加減がない。「郵便配達は三度ベルをならす」という映画があったが、まあここでは「ハイヤーセルフは三度ベルをならす」という感じです。
猪木さんの場合、亡くなったと信じてたある日、駅で彼のポスターに目がとまる。「そうそう、この人死んじゃったのよね~」と自分なりに再確認。ベル#1失敗。そして、TVをつけると猪木の探検番組放送中。「追悼番組か~。人気者だったんだ」ベル#2またまた失敗。今度は、近所のレストランでそれらしき人と遭遇。「うっそ~」と驚きつつ、内心ソックリさんかと疑っている。横を通り過ぎる猪木を、私はまばたきもせず目を皿のようにして凝視・観察。その後、「これでどうだ!」といわんばかりに、彼は私の方を向いて大声で電話をかけはじめる。みごとな花王石鹸顔と逆三角形のもりもり体型は間違いようがない。ようやく生存を確認、納得した。ベル#3ようやく成功。
私にとって重要な人との出会いも、そういえばベルが三回なっていた。その親しい友人とはたぶん普通に出会っていたら友達にさえならなかった、とお互い確信している。まったくタイプが違うし、異質・異次元の人だった。そんな彼女とペルーのツアーで一緒になり一晩同室になった。しかし、部屋に来客が多く、とくに二人の会話はなし。で、ベル#1は失敗。次は、たまたまおそろいのジャケットをめいめい市場で買って着ていた。「わぁ、おそろいだー」いちおう一緒に写真におさまっておしまい。ベル#2またまた失敗。そして、洞窟でシャーマンをよんで儀式をしたとき、私が気絶した。(気絶させられた。が正しい)そのとき彼女がいろいろ世話をしてくれた。夜、部屋に様子をみにきてくれたとき「ありがとう!」と感謝のハグをしたら、太古の記憶(?)が一気に蘇ってしまった。四千年も前からいつも一緒に学んでいたらいことに気がつく。そこからは今までの空白をうめるように日夜しゃべりまくっている。今では、世界中を歩き回るかけがえのない旅仲間であり、家族でもある。ベル#3ちょっと大変だったけど、大成功!
そう思うと、「出会わなければならない人とは、ほっといてもちゃんと出会う」という安心感がある。ただし、二度までに気がつかないと次はちょっと手厳しいかも。
おもえば、「お引っ越し」もハイヤーセルフから何度かお知らせがきていた。しかし、面倒で無視していたら、ついに「アパート取り壊し&即刻退去」という過激なお知らせベルとなってしまった(この人、ここまでしないと、とうてい引っ越さないと思われたのでしょうか)。知人では「転職」のお知らせベルがきていたのに行動に移さなかったら会社がいきなり倒産したり、火災のニュースを見てたら自分の会社が焼けてたなんてこともありました。おおコワ・・・
ホントはベルがなるのを待つよりも、自分から天やハイヤーセルフにお伺いをたてる方がいいのです。そう、天は手を貸したくてウズウズしてるのですもの。そのときは「いついつまでに、私にわかるように教えてください」とお願いしましょう。来世でお答えがきても困るからね。
2001 Jun. 14
その1
サンクトペテルブルグでバレエを観た。はじめてのボックス席にわくわく!けれど、首が直角に横向きになって結構つらい体勢。幕間に「これで一万一千円は高いよ」とぼやきながら廊下に出た瞬間、ボックスの扉がバタンと締まって鍵までかかっている。わぁ〜ん、文句言わないからみせて!
その2
エストニアの田舎で家庭料理をいただいた。お皿がサーヴされるごとに、私は「アイタ」という。(エストニア語でありがとうの意)すると女主人は目を細めて嬉しそうに頷く。それ以来、「あ痛っ!」と悲鳴をあげるたび、「空いた!」と空席に走りよるたび、自動的に彼女の微笑みにリンクしてしまう。
その3
今まで世界の名だたる美術館を渡り歩いてきたけれど、今回のエルミタージュは別格。飲まず食わず寝ずに観ても6年はかかるとか、途中で迷ったら一生出て来れないとか・・・いわくつき。「とにかく何が何でも一番が好き!」というロシア人の気質はエカテリーナの時代から変わらないのね。
その4
頭の中は,あのテトリスのBGMがなりっぱなし。そう!あのタマネギ頭のワシーリー寺院です。(テトリスのはじめに出てくるの)ビデオに撮りながらノーテンキにBGMを歌ってたけど、イワン雷帝がこれ以上美しい寺院を作らせないように設計者の目を潰したとか・・・ オ〜コワ。
その5
ソ連崩壊時、レーニン像がクレーンにぶら下がってむげに撤去される様を憶えている。共産党の象徴は徹底的に忌み嫌われている。でも、片田舎にまだレーニン像が残っていた。が、頭がない。かわりに電球がついている。声にださねども、ロシアの人の鬱積したおもいがにじみでている。
その6
リトアニアで「日本のシンドラー」といわれている、旧杉原領事館を訪れた。ゲシュタポも怖れず、ここから六千枚の日本通過ビザがユダヤ人に渡された。リトアニアを去る汽車の窓からも、書いては投げていたとか。(哀しいことに、彼は帰国後免官された)これが、そんなに昔の話ではないことに改ためておどろかされる。
その7
ロシアというと異口同音にコワそ〜、とか、クラそ〜と言われるけれど、どーしてどーして。赤の広場なんて有名ブランドがきらびやかに軒を連ね、オーブンカフェは深夜まで、マックはいたるところにという急変ぶり。日本でチョンマゲのとれた時代もそうだけど、時代の波は突然すごい勢いでやってくる。
その8
四月の下旬頃、朝近所を散歩するとタンポポの綿毛のようなものがたくさん飛んでいた。友人いわく「ブラッシングした犬の毛でしょう」。サンクトペテルブルグでも「これはゆうに犬百匹は丸裸でしょう!」というぐらい街中にとんでいた。どうやら真犯人は「菩提樹」らしい。ホッとした。
旧共産圏を個人で旅行するのは、予想以上にエネルギーがいる。去年、ロシアやバルトの国々を訪れたとき、「ヨーロッパでありながらヨーロッパでない」おもしろさにひかれて、ついルーマニアとブルガリアを選んでしまった。
なんせ今回は、ドイツからイタリアに入って南はカプリやシチリア、そしてフィレンツェ・ベニス・ミラノと超お気に入りを並べたてたすえのルーマニア入り。かなり順序が悪かったかもしれないなぁ、と反省。ブカレスト行きの飛行機を待ちながら、エネルギーがシュ~ンと音をたててぬけていくのを感じる。急に色あせた(ダサイ?)人々の服装(そりゃあ、イタリアと較べちゃぁね)、見慣れない顔立ちやふしぎな響きの言葉・・・。あのおいしかった赤いオレンジジュースや香りのいいカプチーノ、色とりどりのジェラートやオリープオイルたっぷりのサラダ、山盛りパスタなど、ラテンの人達の楽しい顔が頭をよぎる。・・・ああ、引き返した~いっ。
そりゃ、ルーマニアはものの10年前まで共産党支配で、西側の物資も情報もなかったのだから華やかさに欠けるのもムリない。けれど、いま一番人気のイタリアのあとじゃ、かなり分が悪い。楽しめちゃうはずの不自由さが、惨めさになっちゃう。
あのチャウシェスク政権のなれの果ては銃撃戦だった。想像はしていたけど、ひとことで言うとルーマニアはちょっと荒っぽい。少々動物エネルギーだ。滞在しているとどんどん消耗する。街に出れば一応オープンカフェなんかもあったりはするけど、ショーウインドウのディスプレイは、そりゃあ古くさくて物資もまばら。まるで戦前の日本。(えっ、知ってるのぉ?)それに、歩道も車道もでこぼこで、平気で大きな穴が口をあけていたりする。ボヤボヤしてたら真っ逆さまだ。ブカレストを観光しながら私の駆け込み寺は、「ヒルトンホテルのカフェ」だった。ここにさえくれば、安全! わたしの舌が安心するスープやコーヒーがある。トイレだってきれいなこと。英語だって通じちゃう。それぐらい色濃く残る東側の空気に、かなりアップアップしてしまった。
街の殺伐さに疲れて公園へ。緑がうっそうとして大きな池がある人々の憩いの場。休日でたくさんの人がいる。ここで奇妙な法則を発見することになる。
その1 「3人の法則」
十代の若者たちがデートしている。目をおおいたくなるようなアツアツ組も多数。でも、二人ではないのだ。必ず三人。お決まりのように、四人でもなく三人!ぴったりよりそうカップルに、コブつき状態。悪びれることなく一人くっついている。あのカップルも、そのカップルも、このカップルも、コッ、コブがっ! 80%位のカップルがこの調子。なぜなの~!?二人でデートしたくないのぉ?それに、もう一人は、イヤじゃないの?
その2 「おじさん背広の法則」
公園はみんなカジュアルなかっこでくつろいでいる。そんななか、目を引いたのはおじさん。「背広」を着ているのだ。あれ~!こっちから来るおじさんもみんな背広だ!つれの奥さんは普段着なのに。ある年齢以上のおじさんはなぜか、みな「背広」。お散歩なのにセーターとかジャンパーとかでリラックスしないのぉ?
その3 「お尻の法則」
こっちの女の子はスカートをはかない。そして、そのパンツルックにはギョッとさせられる。まるで、そのままお尻に色をぬっちゃったような(?)リアルさ。「うわぁ!おしりぃ~!」ってさけびたくなる。日本ではいてたら、カッコいいのか悪いのか?このタイプのパンツは、ついぞ他の国では見なかったな~。これ、流行なの?
この3つの法則については、ホテルのフロントで理由を聴くわけにもいかず不完全燃焼のまま。なぜなのぉ、知りた~い!
2002 Jul. 16
その1 自信喪失?じゃあアルメニアへどうぞ!
「アルメニア」と聞いて何を連想しましたか?頭で想像するより実際体験してみるのが一番!とばかりに、私自身何の予備知識も無く怖い物知らずで乗り込んだわけです。第一印象!「アルメニアは美人大国」である!!!かなり断言。(確信の度合いは95%なり)前回、ハンガリー人はすごい美人とふきこまれて訪れたのですが、超美人さんはお留守でついぞお目にかかれませんでした。しかし、アルメニアは街をあるけばほ〜んとに美人含有率が高い。でも、彼らに言わせると世界一の美人は日本人なのだとか。(街の人にもインタビュー済み)お互い無いものねだりなんでしょうかね〜?実際、教会、遺跡、街、ホテルのエレベーター、どこででも食い入るように見つめられ、また質問攻め。「なぜ、ここにいるのか?」と。そう言われても返事に困るのですが、仕事ではなくツーリストだというと、さも嬉しそうに私の肩をばんばん叩く。ほんとにアジア人の顔が珍しくて仕方がないようです。(娘を横に並べて勝手に記念撮影を始めるやからまで)無条件にモテモテ体験してみたい人、是非アルメニアへ!
その2 8年ぶりにランキングに異変あり!
機内食って、すこぶるシンプルになりましたね。以前は、チーズにクラッカー、チョコに間食のアイスまで、ブロイラーチキン的危機感がいっぱいだったのに。今回、モスクワで乗り換えてエレバンまでアエロフロートの旅。Aフロートといったら、ボロくて危険なエアラインの代名詞。赤銅色の時代がかったアメニティグッズといい、暗いロシア音楽のサービスといい、怪しさ満点。しかし、ここ2〜3年ですこぶるモダンでクリーンなイメージにアップしておりました。他の外資のエアラインとまったく変りません。(どうりで連日予約が満席)旧ソの暗い雰囲気は払拭され、ブランケットと枕はblueとorangeでセンスよく、映画だってハリーポッターとトロイだし。ただね、スペースの狭さに辟易。男性や足長の若人はさぞ窮屈なことでしょう。そう、特筆すべきは機内食のおいしさ!(以外でしょっ?!)サーモンのサフランライス添えのおいしかったこと。トレイも通常より一回り大きく食べがいも十分。搭乗前に中華街の美味なる蒸しパンを平らげていたにもかかわらず楽々完食!今までは、一位がヴァリグエアのステーキ(こんなおいしいステーキはじめて!)で、二位がラウダエアのローズマリー風味平目のムニエルとポテトだったのですが、新たにAフロートを1.5位(?)に格上げいたしましょう。「たかちゃん機内食ランキング」が久々に塗り替えられた記念すべきフライトでした。
その3 二度楽しめる到着の仕方
モスクワでのトランジット6時間待ちのうえ、さらに数時間のフライト。爆睡につきドリンクサービス、機内食ともにまったく記憶にございません。ようやくアルメニアのエレバンに到着したときは、すでに午前3時半。朦朧とした頭でなんとかビザの申請を終え、お金も両替。(いったいこの$20分はどのぐらいの価値があることやら)ホテルへの車中、ラスベガス通りというカジノの並ぶ大通りをすぎる。人っこ一人見あたらない。日本のさびしい国道の風情。ところどころ電話ボックスほどのガラスばりの箱があって、大きな花束があかあかと照らし出されている様子がみょうにシュール。花屋さんか?街の中心部には広場があり、巨大な石造りの建物がライトアップされている。そう、エレバンは石の街だとか。夜遅く見知らぬ街に到着する楽しみは、翌朝明るくなってびっくりさせられること。気温や日差し、街の匂いに人々の顔。ぐっすり眠って、翌朝ホテルの窓から改めて街にご挨拶いたしましょう。幸いホテルは大快適の大当たり!
その4 見つけちゃった!アルメニア美女の秘密
エレバンの街角で、若い女性がプラスチックカップの真っ赤な飲み物を口にしている。あれは何?歩道に点在するジュース売りを注意深く見てみると、ザクロがボールいっぱいに入っていた。おおっ、日本でも大人気、女性ホルモンの宝庫ザクロジュース!早速、小さいカップで一つご所望。数十円なり。二つ割にしたザクロを手動の絞り器にはさんで力まかせにプレスする。ザクロは皮には果汁がなく中味のプツプツしたところをしぼるので、なかなか汁がたまらない。もし、大きなカップで注文していたら、いったいいつ出来あがることやら気の長い話だ。絞るそばから、ザクロかすをぽんぽん豪快に捨てて行く。この注文分でも相当な労力!で、お味は?これが、すっすっ、すっぱぁ〜〜〜い。きゃ〜きゃ〜言いながら、それでも残すものか!と、一滴残さず飲みほしました。日本でこんなジュースを注文しようものなら、コストはきっと数千円。(ザクロ、丸ごと5〜6個分)しっかし、きっとバストアップ、美肌効果はてきめんのはず。日本に戻るまでキープできそうにありません。ご覧に入れられないのがなにより残念!
その5 一体化していると、ついに感覚が麻痺します
何と言ってもアルメニアに来て心安らぐのが人の暖かさ。滞在中お世話になったVarditerさん(薔薇の花びらという意味だとか)は、名前にたがわずそれは美しく聡明で日本人たじたじのおくゆかしさと気配りの達人でありました。(日本テレビにもアルメニア美人として出演した経験あり)また、ホテルでもダイニングに行くと給仕さんたちがかわるがわるやって来ては「アルメニアのフルーツを召し上がれ」とか「伝統的なパンをどうぞ」とずいぶん可愛がられた。(子供だと思ったの?)訪れた先はどこででも、それは暖かく人なつっこく歓待されたのでした。人と人が生活していれば、こういうふれあいじたいが自然なことで、逆にそこから自国をながめると「日本はいったいどうしてしまったの?」と不安になる。街で視線があってもガンをとばされ、ぶつかられても返って来るのは暴言だったり、この余裕のなさ。もちろん私を含めてのことですが、なんだかすごくヘン。どこか感覚が麻痺してしまっているような。これからの日本を背負って行く若者・中年はもちろん、老年のみなさん、もっともっと世界を見てみましょうよ!なくしてしまった宝物にいっぱい遭遇しますよ。
その6 先生、たじたじ・・・
アルメニアにしろ、グルジアにしろ、ホントにこっちの若者は熱心に、かつ楽しんで勉強してますね〜。それに、みんな自分の夢がある!つべこべ言わずにその夢に猛進している感じがさわやかです。アルメニアでは、にわか日本語教室の先生に。小学校低学年ぐらいから20代のお姉様方まで年齢層・レベルは様々で、ひとつの教室に学んでいます。それが侮れないのですね〜、まったく。川端康成の「雪国」を読んだばっかりだとか、北野ムービー「Dolls」をみて泣きましたとか。極めつけは、「終始」と「始終」の違いはなんですか?という質問(冷汗)。ねぇ、いったいどう答えます?それに謙譲語に尊敬語に、ちゃんと使い分けているのです。教材がほとんどないにもかかわらず、日本人の使う英語レベルよりもはるかに素晴らしいです。Native日本人とふれあう機会がないとのこと、しっかり日本語学校の先生にスカウトされてしまいました。でも、こんな熱心な生徒たちだったら先生も幸せだね。(たかちゃん、もしやヤル気になってる??)
その7 好きなことしてますか?
グルジアでお世話になったNinoは、大学院の学生。Native Americanのような美しい英語を話す。民主化してまだ十数年なのになぜにここまで話せるのか不思議。(そういえば、トマティス博士いわく、ロシア語使いの人の耳は広い周波数に対応可能で、どんな言語でも簡単に覚えてしまうそうな。一方、日本語は周波数が狭いので他の言語が聞き取れないし覚えられない耳だそうです)Ninoは、社会心理学専攻。心理学系で一気に話がもりあがる。こちらでは、人材不足でセラピストは過酷な労働をしいられているとか。しかし、まだまだレベルは低いという。是非、ヒプノのレクチャーをしに来てくれと、ここでもヘッドハンティングされそうになった(笑)。日本のように自分の意志がどこかに行ってしまってにわか自動的に学んでいる学生とは対照的に、本当に学ぶ意志をもって楽しんでいる学生たち。驚くべき飲み込みの早さでスイスイものにして、世界に羽ばたいて行くのでしょうね。ふむ・・・もうちょい楽しんだほうがいいかも、日本の同士よ!
その8 グルジアのごはんって?
ホントに何でもおいしい!なかでもハチャプリがお気に入り!これは平なパンの間にブルーチーズのようなクセのあるチーズが入っているグルジア風ピザ。Ninoに頼んで、おいしいものリストをグルジア語で書いてもらった。私にわかるように英語の注釈つき。これを持参して、いざレストランへ!これが、たいそうウケた。旅行前から楽しみにしていたのはヒンカーリ。これは、グルジア版小龍包。しかし、残念ながらディナーでもランチでもお目にかかることはなかった(庶民的すぎるのかな?)。すっかり忘れていたのがワイン。グルジアはワインの名産地でワイン農園へも小旅行をしたにもかかわらず、味わってるヒマなしで、無念・・・。運転手のバレリーさんいわく、こちらの男性は食事のときには10本ぐらいは軽くあけてしまうとか。う〜ん、彼自身がすでに巨大なワイン樽と化しているようにお見うけいたしましたが。
その9 オリエント急行ならぬ、降りれんと急行!
アルメニアからグルジアまでは、17時間をこえる列車の旅。それこそ、修学旅行のブルートレイン以来です。しかし、オリエント急行のような優雅な旅を想像するなかれ。真っ白に埃をかぶったいかつい車両にならぶコンパートメント。一応安全のため一等車です。両側に寝台があって、真ん中にスーツケースを入れちゃうともう満杯。そしてタオルと枕カバーのセットが配られる、というより投げ込まれてくるのです。ふつう走行中の列車というのは規則的な振動音がするものですが、これはなぜかゴゴゴッと左右にきしみ、震度6並みに傾いたかと思うとピタッと止まり、ようやく牛歩の歩み。すると、こんどは跳びあがりそうな上下運動。コーカサスの山越えをしているのはよ〜くわかるけど、これってもしかして徒歩より遅くないっすか?真夜中にはどこぞに停車したまま動かないし。外からは不気味はロシア語のアナウンスが響いてくるさまはまるで捕虜輸送列車風、と眠い頭に妄想がひろがる。(映画の観すぎ)しかし、定刻になっても到着のきざしなし。たんに時差があるのか、あるいはうっかり乗りすごしたのか?ここは、まったく英語が通じない世界。もう、十分堪能いたしましたから、ねぇ、お願い!降ろして〜!!
その10 笑いは万国共通語
列車の旅、第二話。不規則な振動音にも慣れて、うとうとしはじめた早朝6時過ぎ。コンパートメントのドアをかすかにノックする音が。と、次の瞬間すでにロックがはずされドアは全開。煙草をくわえた制服姿のムサ男たちが威圧感たっぷりにずらりと並んでいる。も〜、まったく「スターの寝起き」じゃないんだからやめてくださ〜い!という感じです。思いっきりやな顔をしてみたが、反応なし。この人たちにはレディーの迷惑がまったくわかっちゃいない様子、いや、楽しんでいるのかも!犯罪者の取り調べなみの強引さで、まあ、ようはパスポートを見せろということなのです。しかし、これだけで動じていてはいけません。その後、通算4回こんな有無を言わせぬ人たちが、ひっきりなしにやってきた。税関にいたっては寝台の下をチェックさせろというので、ついに居場所がなくなって寝台の上をぴょんぴょん飛び跳ねていたら、このコワモテにいさんたちがそれを見てついに笑いだした。なぁ〜んだ!そんな仏頂面でもふつうに笑うんじゃん!人間、どこでも同じだわ。みょ〜な一体感が生まれてしまいました。
その11 きょうは遠出です
帰国前日、Ninoと二人で小旅行をした。朝8時、おんぼろベンツで迎えにあらわれて夕方6時すぎまで、120キロでとばしまくりの一日。この運転手のバレリーさん、たいそう胆がすわっているお方で、平気でセンターライン上を爆走し対向車があろうともまったくひるむことなくガンガン追い越しをかける。どの車もとばしているので、これは手に汗握るサーキットなみ。(余談ですが、ロシアに行ったとき絶妙な運転をするバスドライバーさんがいて、彼は旧ソのチャンピオンレーサーでありました。でも、職がないそうな。もしや、この人も?)あまりにコワイので前方は見ないようにしておりましたが。それに、この酷暑。冷房がないので窓は全開、呼吸困難なほどの風と砂埃にあおられっぱなし。いったいどこまでどう走ったのか、こんなにかっ飛んだらチェチェンまで行っちゃうよ〜!という心配はよそに、ぶどう園に行ったり栗拾いをしたり、いたって平和な一日でありました。・・・にもかかわらず、夕方帰りつく頃にはぐったり疲労。超高速運転でバリバリに肩に力が入っていたようです。