月曜日, 1月 9 2023

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気づきの日記「これじゃない、ここじゃないと思うとき」

 

「私が望んでいるのは、こんなことじゃない」「私がいたいところは、ここじゃない」「この人じゃない」「これじゃない」 ・・・ こんなセリフがアタマのなかをかけめぐるやいなや、突如としてイヤな気持ちにおそわれます。

「私は間違ってしまった」「失敗してしまった」・・・そんな敗北感や罪悪感でこころがいっぱいになってしまうからです。

「これじゃない」とアタマがささやくまでは、こころは平穏だったはずなのに・・・。とたんに、見えていた景色も日常も、一気に生気を失いトーンダウンしてしまったように感じます。

そうなのです。いつもアタマのなかには、自分自身を幸せにしないようなラジオ放送が流れっぱなしになっています。

その流れてくる音声を、私たちは「自分の」考えと呼んでしまっています。しかし、それはたんに勝手にどこからともなく流れてくる音声、まさしくラジオ放送のようなもので、じつはまったく「私の」ものではないのです。

「私の」ものではないからこそ、スイッチを切ることもできませんし、チャンネルを変えることも容易ではありません。

そんな勝手な放送に対して「なになに?」と真剣に耳を傾けてしまうと、それまで平穏だったはずの日常がいきなり失敗と不足モードに切り替わってしまうのです。

もしも学校で、「あなたはいつだって、いるべきところにいるし、そもそもあなたは間違うことなどできやしない」「いつだってそれで大丈夫だから」「ただ流れを信頼してみましょう」、そう教えてくれさえしたら、私たちは今というときのなかでもっとくつろいで安らかでいられたことでしょう。

ところが、誰ひとりとしてそのようなことは教えてくれなかったのです。

なぜなら、誰もほんとうのことを知らないからです。そしてじつは、誰もが一日中アタマのなかで流れつづける「みんなで苦しもう放送局」の熱心なリスナーであり、ファンでもあるからなのです。

その音声に耳を傾けるのはあたりまえ、そしてその情報をうのみにすることが正しいことだ、と信じているのです。

もし、「これじゃない」「ここじゃない」「この人じゃない」というセリフが流れてきても、「ただ勝手になにか言っているけど、私とは関係ない!」とまったくとりあわなかったとしたら、こころはそのウソをまにうけることなく、穏やかでいられるのです。なぜなら、このままでまったく間違いがないから。大丈夫だからです。

私たちは誰でも、いつの瞬間においても自分にできることしかしていません。どんなときもちゃんと自分なりのベストを尽くしているのです。そして、そのようにしかできません。

できることがそれだけだからこそ、起きることがいつも私たちにとってたったひとつの答えなのです。もともと他の道という選択肢は存在しないのです。

それを潔く受け入れてしまいましょう。そうすると、いろいろなことがシンプルになり、こころが穏やかになります。

まさに、♪これでいいのだ〜♪とひらき直れます。

「失敗した」とか「間違うかもしれない」などという、心配や怖れにこころが占領されることがないぶん、より正しい導きがこころのなかにストンと落ちてきて、それに容易に気づくことができるようになります。

心配や怖れはかなりのエネルギーを消耗させ、混乱におとしいれ、負のスパイラルへと引きこみます。だから、いつも「私はこれでいい!これが大正解!」と信じられるならば(実際そうなのですが)、クリアなこころと十分なエネルギーのなかで、導きに従ってたくさんの解決策を受けとることができるようになります。

アタマのなかのラジオ放送は無料のサービスなので勝手にじゃんじゃん配信されてきますが、私たちはそれに耳を傾けない、信じこまない、握りしめない、巻き込まれない、そしてただスルーする、という自由があります。

アタマが現状に対して「これじゃない」「ここじゃない」と文句をいいだしたら、「ほほ〜、あなたはそう思っているんですね。でも、私はそう思いませんよ。そもそも、私は間違うことなどできないからです。だから、私はこのままで大丈夫です」と軽く受け流しましょう。

そして、リラックスして、ドンとかまえていましょう。 それで、かならず大丈夫! すべては順を追ってうまく運びます。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

23-01-09 これじゃない、ここじゃないと思うとき

 

「私が望んでいるのは、こんなことじゃない」「私がいたいところは、ここじゃない」「この人じゃない」「これじゃない」 ・・・ こんなセリフがアタマのなかをかけめぐるやいなや、突如としてイヤな気持ちにおそわれます。

「私は間違ってしまった」「失敗してしまった」・・・そんな敗北感や罪悪感でこころがいっぱいになってしまうからです。

「これじゃない」とアタマがささやくまでは、こころは平穏だったはずなのに・・・。とたんに、見えていた景色も日常も、一気に生気を失いトーンダウンしてしまったように感じます。

そうなのです。いつもアタマのなかには、自分自身を幸せにしないようなラジオ放送が流れっぱなしになっています。

その流れてくる音声を、私たちは「自分の」考えと呼んでしまっています。しかし、それはたんに勝手にどこからともなく流れてくる音声、まさしくラジオ放送のようなもので、じつはまったく「私の」ものではないのです。

「私の」ものではないからこそ、スイッチを切ることもできませんし、チャンネルを変えることも容易ではありません。

そんな勝手な放送に対して「なになに?」と真剣に耳を傾けてしまうと、それまで平穏だったはずの日常がいきなり失敗と不足モードに切り替わってしまうのです。

もしも学校で、「あなたはいつだって、いるべきところにいるし、そもそもあなたは間違うことなどできやしない」「いつだってそれで大丈夫だから」「ただ流れを信頼してみましょう」、そう教えてくれさえしたら、私たちは今というときのなかでもっとくつろいで安らかでいられたことでしょう。

ところが、誰ひとりとしてそのようなことは教えてくれなかったのです。

なぜなら、誰もほんとうのことを知らないからです。そしてじつは、誰もが一日中アタマのなかで流れつづける「みんなで苦しもう放送局」の熱心なリスナーであり、ファンでもあるからなのです。

その音声に耳を傾けるのはあたりまえ、そしてその情報をうのみにすることが正しいことだ、と信じているのです。

もし、「これじゃない」「ここじゃない」「この人じゃない」というセリフが流れてきても、「ただ勝手になにか言っているけど、私とは関係ない!」とまったくとりあわなかったとしたら、こころはそのウソをまにうけることなく、穏やかでいられるのです。なぜなら、このままでまったく間違いがないから。大丈夫だからです。

私たちは誰でも、いつの瞬間においても自分にできることしかしていません。どんなときもちゃんと自分なりのベストを尽くしているのです。そして、そのようにしかできません。

できることがそれだけだからこそ、起きることがいつも私たちにとってたったひとつの答えなのです。もともと他の道という選択肢は存在しないのです。

それを潔く受け入れてしまいましょう。そうすると、いろいろなことがシンプルになり、こころが穏やかになります。

まさに、♪これでいいのだ〜♪とひらき直れます。

「失敗した」とか「間違うかもしれない」などという、心配や怖れにこころが占領されることがないぶん、より正しい導きがこころのなかにストンと落ちてきて、それに容易に気づくことができるようになります。

心配や怖れはかなりのエネルギーを消耗させ、混乱におとしいれ、負のスパイラルへと引きこみます。だから、いつも「私はこれでいい!これが大正解!」と信じられるならば(実際そうなのですが)、クリアなこころと十分なエネルギーのなかで、導きに従ってたくさんの解決策を受けとることができるようになります。

アタマのなかのラジオ放送は無料のサービスなので勝手にじゃんじゃん配信されてきますが、私たちはそれに耳を傾けない、信じこまない、握りしめない、巻き込まれない、そしてただスルーする、という自由があります。

アタマが現状に対して「これじゃない」「ここじゃない」と文句をいいだしたら、「ほほ〜、あなたはそう思っているんですね。でも、私はそう思いませんよ。そもそも、私は間違うことなどできないからです。だから、私はこのままで大丈夫です」と軽く受け流しましょう。

そして、リラックスして、ドンとかまえていましょう。 それで、かならず大丈夫! すべては順を追ってうまく運びます。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング