Q:今年こそはと新年の目標を作ったのですが、なかなか行動にうつせずフラストレーションを感じています。このまま気がつけば、半年、一年と過ぎてしまいそうで、なにもできない自分にガッカリしています。
A:「あれをするべき、これもするべき」と思いながらなにもしないのと、ただリラックスしてなにもしないのと ・・・ どちらもなにもしないことには変わりはないのですが、こころもちがぜんぜん違います。
前者は、焦りながら、がっかり感や罪悪感にさいなまれます。そして自分の無力さを責めるかもしれません。
一方、なんの考えもなくただリラックスしてなにもしないときは、同じくなにもしていないのにもかかわらず心地よささえ感じるかもしれません。
そして、ここちよくダラダラ(リラックス)しているうちに、フト気がついたらいつのまにかなにかを始めているかもしれません。
お腹がすいたらふらっとお台所に立つように、トイレに行きたくなったら無意識のうちにトイレのドアをあけているように、
ほんとうはなんの決意もいらないし、自分を鼓舞する必要もないし、ましてやお尻を叩く必要もないのです。
テコでも自分を動かさなくては・・・思うなら、それは自分へのギャクタイです。だって、それを実際にする、という現実はまだ起きていないのに、ムリじいをしているのですからです。
梅や桜だって、頼みこまれて、お尻をたたかれて、せかされてしぶしぶ咲くわけではありません。そのときがくれば咲きます。それはときに、みんながヘンだ!という季節に咲くのかもしれないのです。
すべては自然の流れのなかで自動的に起こっています。
お台所に行きたい、トイレに行きたい、コンビニに行きたい・・・ いえ、行きたいと思うまえにもう身体は動いているかもしれません。考えはいつもあとづけです。
だから、今ゆったり静かな時間がつづいているとしたら、思いきりそれを受け入れて楽しんでみましょう。
新年の誓いさえも、それは架空のものかもしれません。もし起こらないのであれば、忘れてしまってかまわないのです。
ゆったり過ごしているうちに、そんなリラックスタイムさえも持てないほど活動的な時期も巡ってくるかもしれません。
起きていること、それがいつも答え。
「でも」「だって」「そうはいっても」とごたくを並べはじめると、そこにすでにある静けさ、完全性、秩序が乱されてしまいます。
そして、自分がすべての意味を把握している必要もありません。起きていることをほっておきましょう。
ルービックキューブだって、きれいに全部がそろうまえは、「えっ?!ちゃんと揃っていたところまでグチャグチャにしちゃうの?」というカオスをへながら完成に向います。
宇宙(神なる存在)が私たちのルービックキューブをきれいに整えてくれています。
グチャグチャでちょっと心配でも、お手なみ拝見! おまかせしておきましょう。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )