火曜日, 6月 20 2023

火曜日, 6月 20 2023

気づきの日記「もっともっと・・・は不足を生みだす」

 

私たちは日々、自分に「つけ足す」ことに忙しくしています。

もっと美しく、もっと賢く、もっと強く、もっと豊かに、もっと楽しく、もっと充実を・・・もっと、もっと、もっと・・・と。

この世界では「つけ足す」ことこそが幸せをもたらすと信じられているので、人生を通してつねに何かを「つけ足すこと」「補うこと」に労力を費やすことになります。

こどもの頃から、生きるための道具として国語や算数などの知識をつけ足すことにはじまって、今では生きるために必要な知識は十分に身につけたはずなのに、生涯を通通じてつけ足す作業は終わることがありません。

一般教養や趣味の知識にはじまって、マネ活、美容、副業、あの人は知っているのに私は知らないことについてなど・・・つけ足すものにはこと欠きません。

このように、つねに「つけ足す」ことに注意が向いているということは、それはまるで「私はこのままでは足りない不十分な人です」と自分自身に暗示をかけているようなものです。

足りないと信じていれば、何をしても、どこまでいっても結局は足りないということになってしまいます。つけ足そうとする努力は、さらなる不足感を生みだしてしまうのです。

セラピーにおいても勘違いされがちなのは、不十分な「足りない」自分に対して、セラピーを受けて「つけ足す」という考え方です。

しかし、そもそも幸せを感じることができない原因が「足りない」という不足の考えから生じているのであれば、修正するポイントはその「足りない私」「つけ足す必要がある私」という「不足の誤解」をただ取り除いてあげることだけなのです。

私たちのこころというのは、自分が目にするものすべてに魔法をかけてしまうほどの強力な力があります。

まさに、私たちは自分のこころが信じたものを目にするのです。そしてその力は、自分自身さえも欺いてしまうことができるのです。

だから、自分がある考えをいったん受け入れてしまえば、すぐさまそれは自分にとって真実となり、その考えが自分の体験を決定するようになります。

「私は足りない」と信じこんでいれば、どこまでも足りない状況を目にすることになり、足りない体験を楽しみつづけられる、ということなのです。

ものごとは、自分の決意ひとつにかかっているので、「自分が何を信じているか」ということはとても大切なことなのです。

それなのに、私たちは自分がどのような考えを信じているのかについて無頓着になっているがために、自分にかけてしまった不都合な魔法に気づくことがなく、そこから抜け出すことができません。

足りない体験をしているのなら、「足りない」と信じて、自分がそれを紡いでいることにまず気づいてみましょう。

すべての原因であるこころを修正することを忘れてしまうと、自分が生み出した結果にふりまわされ、その結果を補うことに忙しくしてしまうことになります。

このように自分で自分を不自由にしてしまう考えを手放すためには、その考えが「真実であるのか」「絶対にほんとうのことであるのか」をしっかりと見極めることが必要です。

たとえば「足りない」という考えに囚われているならば、ほんとうに自分の人生全般が足りていないのか、あるいは見落として忘れ去られている豊かさはないのか調べてみましょう。

完璧に100% 不足しているということは考えられないので、きっと「この部分は恵まれている」「この部分は豊かだ」という点をいくつか見つけられるはずです。

そうしたら、不足よりも、そのような満ち足りている部分をしっかりと味わい、感謝のこころをもってみましょう。感謝をすることで、「足りている」という感覚を呼び起こすことができます。 

先ほども書いたように、自分自身の癒しは「何かをつけ足して欠陥を修正する」ことではなく、「もともと足りなくなどないから、なにひとつ頑張ってつけ足す必要はない」という、自分に対する「完全さ」に気づき、それを受け入れることなのです。

目を閉じてリラックスし、深い呼吸をしながらこころを鎮めてあげると、不思議とこころはなにも欲しがらなくなります。外へ外へと向かうことをやめ、自分のホームへと戻ってきた安心感で、こころろは安らぎのなかで本来自分に備わっている満たされた状態を取り戻すことができるからです。

「満たされた感覚」はすでにこころの中に存在しているのです。外に探しに行くことがなければ、それに気づくことができます。 

こころが「足りない」という思いを信じなくなることで、自然と「足りない」という現象は解決されてゆきます。

また、日々の生活のなかで、感謝できることを見つけようとする姿勢によって、自分に与えられている豊かさを受け入れてゆくことができるようになります。

そうするうちに、「足りない」とか「足りてる」という考に囚われることなく、すでにこころのなかに存在する「満ち足りた感覚」とつながることができるようになります。

また、自分自身を豊かさの源として自覚し、自分の持てるもの、たとえば知識とか笑顔とか、優しさ、人への奉仕などを、自分からまわりに与えることで、自分自身が「十分に足りている」ということを受け入れることができるようになります。

よく「being」と「having」は同じことを意味するといいますが、まさに自分が存在としての豊かさを表現するとき、自分はすでにそれを持っていることを知ることができるのです。

何かをつけ足すことに忙しくして外へ外へと走りまわることよりも、まず内側へと向かい、静かに自分のこころとつながり、自分の中にすでに存在している「満ち足りている安らぎの感覚」を取り戻し、それをまわりと分かち合ってみましょう。

きっと、自分の being が豊かな having を生みだしてくれるのを目にすることができることでしょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

23-06-20 もっともっと・・・は不足を生みだす

 

私たちは日々、自分に「つけ足す」ことに忙しくしています。

もっと美しく、もっと賢く、もっと強く、もっと豊かに、もっと楽しく、もっと充実を・・・もっと、もっと、もっと・・・と。

この世界では「つけ足す」ことこそが幸せをもたらすと信じられているので、人生を通してつねに何かを「つけ足すこと」「補うこと」に労力を費やすことになります。

こどもの頃から、生きるための道具として国語や算数などの知識をつけ足すことにはじまって、今では生きるために必要な知識は十分に身につけたはずなのに、生涯を通通じてつけ足す作業は終わることがありません。

一般教養や趣味の知識にはじまって、マネ活、美容、副業、あの人は知っているのに私は知らないことについてなど・・・つけ足すものにはこと欠きません。

このように、つねに「つけ足す」ことに注意が向いているということは、それはまるで「私はこのままでは足りない不十分な人です」と自分自身に暗示をかけているようなものです。

足りないと信じていれば、何をしても、どこまでいっても結局は足りないということになってしまいます。つけ足そうとする努力は、さらなる不足感を生みだしてしまうのです。

セラピーにおいても勘違いされがちなのは、不十分な「足りない」自分に対して、セラピーを受けて「つけ足す」という考え方です。

しかし、そもそも幸せを感じることができない原因が「足りない」という不足の考えから生じているのであれば、修正するポイントはその「足りない私」「つけ足す必要がある私」という「不足の誤解」をただ取り除いてあげることだけなのです。

私たちのこころというのは、自分が目にするものすべてに魔法をかけてしまうほどの強力な力があります。

まさに、私たちは自分のこころが信じたものを目にするのです。そしてその力は、自分自身さえも欺いてしまうことができるのです。

だから、自分がある考えをいったん受け入れてしまえば、すぐさまそれは自分にとって真実となり、その考えが自分の体験を決定するようになります。

「私は足りない」と信じこんでいれば、どこまでも足りない状況を目にすることになり、足りない体験を楽しみつづけられる、ということなのです。

ものごとは、自分の決意ひとつにかかっているので、「自分が何を信じているか」ということはとても大切なことなのです。

それなのに、私たちは自分がどのような考えを信じているのかについて無頓着になっているがために、自分にかけてしまった不都合な魔法に気づくことがなく、そこから抜け出すことができません。

足りない体験をしているのなら、「足りない」と信じて、自分がそれを紡いでいることにまず気づいてみましょう。

すべての原因であるこころを修正することを忘れてしまうと、自分が生み出した結果にふりまわされ、その結果を補うことに忙しくしてしまうことになります。

このように自分で自分を不自由にしてしまう考えを手放すためには、その考えが「真実であるのか」「絶対にほんとうのことであるのか」をしっかりと見極めることが必要です。

たとえば「足りない」という考えに囚われているならば、ほんとうに自分の人生全般が足りていないのか、あるいは見落として忘れ去られている豊かさはないのか調べてみましょう。

完璧に100% 不足しているということは考えられないので、きっと「この部分は恵まれている」「この部分は豊かだ」という点をいくつか見つけられるはずです。

そうしたら、不足よりも、そのような満ち足りている部分をしっかりと味わい、感謝のこころをもってみましょう。感謝をすることで、「足りている」という感覚を呼び起こすことができます。 

先ほども書いたように、自分自身の癒しは「何かをつけ足して欠陥を修正する」ことではなく、「もともと足りなくなどないから、なにひとつ頑張ってつけ足す必要はない」という、自分に対する「完全さ」に気づき、それを受け入れることなのです。

目を閉じてリラックスし、深い呼吸をしながらこころを鎮めてあげると、不思議とこころはなにも欲しがらなくなります。外へ外へと向かうことをやめ、自分のホームへと戻ってきた安心感で、こころろは安らぎのなかで本来自分に備わっている満たされた状態を取り戻すことができるからです。

「満たされた感覚」はすでにこころの中に存在しているのです。外に探しに行くことがなければ、それに気づくことができます。 

こころが「足りない」という思いを信じなくなることで、自然と「足りない」という現象は解決されてゆきます。

また、日々の生活のなかで、感謝できることを見つけようとする姿勢によって、自分に与えられている豊かさを受け入れてゆくことができるようになります。

そうするうちに、「足りない」とか「足りてる」という考に囚われることなく、すでにこころのなかに存在する「満ち足りた感覚」とつながることができるようになります。

また、自分自身を豊かさの源として自覚し、自分の持てるもの、たとえば知識とか笑顔とか、優しさ、人への奉仕などを、自分からまわりに与えることで、自分自身が「十分に足りている」ということを受け入れることができるようになります。

よく「being」と「having」は同じことを意味するといいますが、まさに自分が存在としての豊かさを表現するとき、自分はすでにそれを持っていることを知ることができるのです。

何かをつけ足すことに忙しくして外へ外へと走りまわることよりも、まず内側へと向かい、静かに自分のこころとつながり、自分の中にすでに存在している「満ち足りている安らぎの感覚」を取り戻し、それをまわりと分かち合ってみましょう。

きっと、自分の being が豊かな having を生みだしてくれるのを目にすることができることでしょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング