火曜日, 6月 27 2023

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気づきの日記「思いどおりこそが幸せ??」

 

私たちは日々、「ああしたい」「こうしたい」「こうなったらいいな〜」「これが欲しい」・・・と、さまざまなものを欲することが日常になっています。

まさに、欲することが「生きること」、思いどおりになることこそが幸せだと信じているからです。

そして、ときには神さまに「どうか私の想いを叶えてください」と」お願いするのですが、

実のところ、それは「お願い」というより、もはや「指図」に近いものになってしまっています。

「ああして下さい」「こうして下さい」「あれはイヤです」「こうなるべきです」と・・・すべてにおいて自分の思いどおりになることが前提で、それはお願いというよりは自分こそがすべてを仕切っていて好きなようにできる、「神」という存在になりかわってしまっているようです。

私たちが日々、生きるために受け取っているすべての贈りものの出所は、宇宙・神そのものです。

その無限の存在の愛から、それは太陽の光や自然の恵みのごとく、私たちにふんだんに与えられています。幸せに必要なすべてがしっかりとやってきているのです。

しかし、それを丸々受け取るか、それともそのままスルーしてしまうのかは私たちしだいです。

何かが不足していると感じるときには、そもそも足りないというよりは、私たちが受け取りを拒否している可能性があります。

私たちが自分の思いこそが正しいと信じて、それをなにがなんでもとうそうとするとき、私たちはもう自分の思いを叶えることしか眼中になく、天からやってきている豊かさのすべてを締め出してしまっているのかもしれません。

自分の思いを叶えるために、宇宙・神に指図をすることは、私たち自身が神という存在になりかわってしまっているようです。

しかし、宇宙・神から与えられるすべては、私たちが一歩さがって道を空けているときにこそ受け取れるものなのです。

「自分に頼る」ということは、「私には供給源などいりません、好きにさせて下さい」と言っているのと同じなのです。

私たちが自分勝手に思いを叶えようとしはじめたとき、いったいどちらが神なのかわからなくなってしまいます。まさに、「神なんていらない!自分が好き放題生きることこそが大切!」と宣言しているようなものです。

たとえ、私たちが自分に頼り切って宇宙・神を無視したとしても、しょせん生存するためのすべては源である宇宙・神からしかやってくることはありません。頼るべきところは、そこだけなのです。

いくらその存在を忘れさろうとしても、源なくしては私たちはいっぺんに消え去ってしまうほど、その源に存在を依存し生かされているのです。

「勝手に好きなようにします!」と自分の思いに執着することは、こころからその源を締め出そうとしている行為であり、そうすることで徐々に私たちの目にする世界や自分自身に不具合が生じたり、枯渇してゆくことに気づくことになります。

なぜなら、自分の生存に必要な光の供給を自ら遮断してしまっているからなのです。

私たちは叶えたい何かがあるとき、ついつい自分でどうにかしよう、自分の思い通りにしようとやっきになってしまいがちですが、

まずは「すべての供給源に安心しておまかせする」ということをしてみましょう。

「そんなのコワイです。なにか自分にとって不都合なことをさせられるかもしれません」という怖れと不信を感じるのであれば、それはおそらく自分こそがこっそりと人に対して不都合なことを強いてしまっているから、そう感じるのかもしれません。

すべてである宇宙・神に頼ることは、小さな自分に頼ることよりも幸せへの近道であり、自分の想像や思いをはるかに越えて無条件に完全な受け取ることができる、ということを学ぶよい機会にすることができます。

「私はこのことについて、どうしても⚪︎⚪︎になってほしいと望んでいます。けれども、あなたは私のほんとうの幸せが何かを理解し、私を含めてすべての人に満足な結果を与えてくださいます。だから、私はこの思いのすべてを私の手から放して、あなたに委ねます。どうか、みこころのままに」

「みこころのままに♡」と、ほんとうに丸ごと宇宙・神に委ねてしまうときに、何が起こるか?!・・・どうぞ見ていてください。きっと、えっ?!という嬉しい驚きを感じることになります  ( ◠‿◠ )

たいていの場合は、「ナント?!そんな手があったの?」「そうくる?」という自分の想像をこえるイレギュラーな経路から満足できる結果が運ばれてきて、それを見て喜ぶことになります。

そして、委ねるたびに「今度はどんなことが起こるのだろう?!」と、その結末についてのサプライズを楽しみにするようになります。そうなると、どんどん信頼できるようになり、さらに大きく受け取ることができるようになります。

自分が神になって君臨しようとするよりも、さっさと退いて、安らかな気持ちでなりゆきを見守ってみましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

23-06-27 思いどおりこそが幸せ??

 

私たちは日々、「ああしたい」「こうしたい」「こうなったらいいな〜」「これが欲しい」・・・と、さまざまなものを欲することが日常になっています。

まさに、欲することが「生きること」、思いどおりになることこそが幸せだと信じているからです。

そして、ときには神さまに「どうか私の想いを叶えてください」と」お願いするのですが、

実のところ、それは「お願い」というより、もはや「指図」に近いものになってしまっています。

「ああして下さい」「こうして下さい」「あれはイヤです」「こうなるべきです」と・・・すべてにおいて自分の思いどおりになることが前提で、それはお願いというよりは自分こそがすべてを仕切っていて好きなようにできる、「神」という存在になりかわってしまっているようです。

私たちが日々、生きるために受け取っているすべての贈りものの出所は、宇宙・神そのものです。

その無限の存在の愛から、それは太陽の光や自然の恵みのごとく、私たちにふんだんに与えられています。幸せに必要なすべてがしっかりとやってきているのです。

しかし、それを丸々受け取るか、それともそのままスルーしてしまうのかは私たちしだいです。

何かが不足していると感じるときには、そもそも足りないというよりは、私たちが受け取りを拒否している可能性があります。

私たちが自分の思いこそが正しいと信じて、それをなにがなんでもとうそうとするとき、私たちはもう自分の思いを叶えることしか眼中になく、天からやってきている豊かさのすべてを締め出してしまっているのかもしれません。

自分の思いを叶えるために、宇宙・神に指図をすることは、私たち自身が神という存在になりかわってしまっているようです。

しかし、宇宙・神から与えられるすべては、私たちが一歩さがって道を空けているときにこそ受け取れるものなのです。

「自分に頼る」ということは、「私には供給源などいりません、好きにさせて下さい」と言っているのと同じなのです。

私たちが自分勝手に思いを叶えようとしはじめたとき、いったいどちらが神なのかわからなくなってしまいます。まさに、「神なんていらない!自分が好き放題生きることこそが大切!」と宣言しているようなものです。

たとえ、私たちが自分に頼り切って宇宙・神を無視したとしても、しょせん生存するためのすべては源である宇宙・神からしかやってくることはありません。頼るべきところは、そこだけなのです。

いくらその存在を忘れさろうとしても、源なくしては私たちはいっぺんに消え去ってしまうほど、その源に存在を依存し生かされているのです。

「勝手に好きなようにします!」と自分の思いに執着することは、こころからその源を締め出そうとしている行為であり、そうすることで徐々に私たちの目にする世界や自分自身に不具合が生じたり、枯渇してゆくことに気づくことになります。

なぜなら、自分の生存に必要な光の供給を自ら遮断してしまっているからなのです。

私たちは叶えたい何かがあるとき、ついつい自分でどうにかしよう、自分の思い通りにしようとやっきになってしまいがちですが、

まずは「すべての供給源に安心しておまかせする」ということをしてみましょう。

「そんなのコワイです。なにか自分にとって不都合なことをさせられるかもしれません」という怖れと不信を感じるのであれば、それはおそらく自分こそがこっそりと人に対して不都合なことを強いてしまっているから、そう感じるのかもしれません。

すべてである宇宙・神に頼ることは、小さな自分に頼ることよりも幸せへの近道であり、自分の想像や思いをはるかに越えて無条件に完全な受け取ることができる、ということを学ぶよい機会にすることができます。

「私はこのことについて、どうしても⚪︎⚪︎になってほしいと望んでいます。けれども、あなたは私のほんとうの幸せが何かを理解し、私を含めてすべての人に満足な結果を与えてくださいます。だから、私はこの思いのすべてを私の手から放して、あなたに委ねます。どうか、みこころのままに」

「みこころのままに♡」と、ほんとうに丸ごと宇宙・神に委ねてしまうときに、何が起こるか?!・・・どうぞ見ていてください。きっと、えっ?!という嬉しい驚きを感じることになります ( ◠‿◠ )

たいていの場合は、「ナント?!そんな手があったの?」「そうくる?」という自分の想像をこえるイレギュラーな経路から満足できる結果が運ばれてきて、それを見て喜ぶことになります。

そして、委ねるたびに「今度はどんなことが起こるのだろう?!」と、その結末についてのサプライズを楽しみにするようになります。そうなると、どんどん信頼できるようになり、さらに大きく受け取ることができるようになります。

自分が神になって君臨しようとするよりも、さっさと退いて、安らかな気持ちでなりゆきを見守ってみましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング