その昔、悩んでいる人がいると、「なんとか手を貸さなくては!」という気持ちになったものです。
悩みから抜け出すための解決メソッドやものの見方をお教えしたり、あれこれアドバイスをしたりしたものです。
今思うと、この段階で自分が間違っていたことに気がつきます。なぜなら、すでにその人を「困りはてている弱い存在」として扱ってしまっているからです。
ほんとうの意味で「助ける」ということは、その人に「真の自己の力を思い出させてあげる」ということ、つまり正気にさせてあげることです。
決して弱い存在のままにしておいてはいけないのです。
たいていの場合、人は悩んでいるからとと言って、「自分を変えたい」と思っているとはかぎりません。
置かれている状況に対してただ不平不満を言いたいだけで、ほんとうの変化を起こすことができる「自分自身の内側」を変えたい思っている人はあまりいないのです。
それなのに、あれこれ一方的に教えようとすることは、口がまったく開いていないのにグイグイ食べものをねじこもうとするような強引な行為なのでした。
そんなメイワク行為をしてしまっていたのは、自分自身が相手のなかにある強さを信頼していなかったからであり、また自分自身が「悩んだり苦しんだりしている人」を見ているのがいやだったからかもしれません。
私たちは、人から簡単に与えられたものについて大した価値を見出しません。それよりも、自分がこころから望んで手にしたものは大切に持ちつづけるのです。
そういう意味では、正しく悩んで苦しんで、口から手が出るようになるまでそのままにしてあげる、ということも大切なのです。そのときにつかんだものは、自分にとって大切な宝物になります。
外から与えられたものはスルスルと手の平をすり抜けて消えてゆきますが、自分がこころから欲したものはしっかりと握って離さないのです。
だから、「ほんとうに今の状態をやめたい!」とこころが決心するまで、しっかりと「自ら変化を起こしたい!」と熱望するまで、その方に寄りそいながら静かに見守ってあげることなのです。
そしてそのときが来たら、差し出されているカラの両手に必要なものをせっせとのせてあげることができます。
かといって、それは「悩んで苦しんでいる人に何もしてないけない」ということではありません。
そのときにできることはもちろんするのですが、しかしその状況はその人にとって「かけがえのない気づきと癒しのチャンス」であるとこころえて、むやみに赤ちゃんの世話をするように何でも助けようとするのではなく、ただともにいて見守って、準備ができるまで待ってあげることも大切なのです。
私たちの人生のなかに現れるハードルのひとつひとつは、「うまくやりすごす」ものではなく、「正しく正面から超えなければならない癒しのチャンス」なのです。
正しく超えることで、それらは永遠に姿を消すことができるからです。
「正しく超える」とは、ただものごとの被害者となって不平不満を言いつづけるのではなく、このことについて「自分のこころを正したい」、「こころを正して、ものごとを正しく見られるようになりたい」、だから「自分の考えが変えられるように導いてほしい」、と自分の高い自己(ハイヤーセルフ)にお願いをすることです。
本来の自分の強さのみを信頼するのではなく、一度自分の考えややり方を手放して、ただ謙虚な気持ちで助けを求めます。
「自分を変えたい」「別のやり方をしたい」、「だからどうしたらいいのか知りたい」と自分の手の平をカラにして開いたとき、そこに今までとは違う解決策が与えられます。
そのためには、「自分こそが知っていて、思いどおりにする」という今までのルールを手放せるようになるために正しく悩んで、「どうしたらうまくいくのかわからない。だから知りたい」と、ものごとの主導権を手放します。そして、まったく新たな考えへと自分を開くとき、今までとは違った世界へと導いてくれるドアが開きます。そして、不毛な悪循環から救い出してくれるのです。
正しく悩むことで、白旗を掲げることができるようになり、自分のやり方をすみやかに手放し、新たな世界を体験するための見方へとこころを開くことができます。
「自ら受け取る気持ち」になったときにだけ、導き手は現れ、軌道は修正されます。
そのためには、本人の気づきがやってこないうちに中途半端に世話をやいてしまうことは、かえってその人の癒しの邪魔をしてしまうことになってしまいます。過保護なこどもと同じ状態です。
だからこそ、正しく問題と向き合えるように悩んでいるあいだも静かに寄りそい、手が開いた状態になったならば、そこからじゃんじゃんサポートをする、というように、その人の苦しみをいったん容認してさしあげることも大切なことなのです。
実際、本人が自分で問題の核心に気づくまでは、同じ要素を含んだ問題が繰り返されてくることになります。
それは、小学生のドリル学習と同じで、「さあ、自分ひとりでできるようになるまでやってみようね!」「もう、わかったぞ!というところまでやってみよう!」ということなのです。
本人自らの気づきこそが、癒しにとってはなによりも重要だからです。
いちばんラクに学べる道は、問題が起こったときに被害者にならないようにすることです。
「自分のこころが起こしている問題」という観点から、「これは何を学ばなければならないのでしょうか」と自分自身のハイヤーセルフに尋ねてみましょう。
答えは言葉ではわからないかもしれませんが、被害者にならずにその問題に対応しようとする行動に答えがすでに現れているかもしれません。無意識のうちに、いつもとは違うものの見方をして、違う行動に導かれているかもしれません。
ひとつひとつのことを「尋ねて」「学ぶ」姿勢をもつとき、自然と流れに乗り、繰り返していた問題というパターンから抜け出すことができるようになるでしょう。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )