「えっ?! 終わった?」という、ひさびさに不完全燃焼型、尻切れトンボ的エンディング。
カンヌのパルムドールをとってるぐらいだから、なんかもっとあるはずでしょ?・・・ ってことは、途中まんまと寝落ちした??
い〜え、そんなことはありません。つまり全編、とりとめのない家族の会話、あるいは感情的な言い争いだけ ・・・ それ以外とくにストーリー展開はありません。
35歳のルイは成功している劇作家。12年ぶりに家族のもとへ帰りします。それはなぜか? 自分の余命がいくばくもないことを知ったから・・・。
家族に再会し、食事のデザートのときにそれを切りだそうとしていたのですが ・・・ あら ・・・デザートまえに終わった ・・・?
登場人物は ・・・ 久々に息子と会うために着飾って、直前まで大騒ぎでマニュキアすることに忙しい母親。それから妹が一人いて、幼い頃から会っていないのでルイのことなど覚えていません。そしてナイーブな兄は、ひょっこりあらわれたルイに対して怒りをぶつけまくります。 ・・・ そして、あくまでも自分の都合でやってきたルイ。
映画が終わってあっけにとられたけど、そっか ・・・ これがタイトルの「たかが世界の終わり」なのだわ。
ルイの「世界の終わり」の話しはまだきりだされていないけど、母親は久しぶりに会う息子のまえでキレイでいることで頭がいっぱいだし、気にかけているのはお料理のでき ・・・ 。
母親だけでなく、みんなそれぞれ自分のことに手いっぱい。とても誰かの世界の終わりの話しを聴く耳などもっていないのです。ルイもルイで疎遠にしていたにもかかわらず、自分の重大問題を投げこみにやってきたわけだし。
みんな、誰かの世界の終わりどころじゃない。そんなことより、それぞれ決定的に足りないと感じているものがある。それを満たしたくって必死な感じ。それは、「愛」。
この作品、カメラワークが独特です。マニュキアの指先やら、お料理のボールのなか、汗ばんだ首筋 ・・・ というように画面がピンポイントなのです。
まるで、縮こまった心がみつめている視線の先のよう。とても狭くなっているそれぞれの心の状態をよくあらわしています。
そして、突然ポッポと飛出してくる鳩どけいとか、部屋に飛び込んできた鳥が壁にボコボコあたる様子とか、それぞれの抑圧したやりきれない気持ちも音となっています。
ストーリー展開があっていいはず、という考えがなければおもしろい視点の作品かもしれません。さすがフランス映画!
あら、予告のほうがずっとドラマチックで、なにか起こっていそうに見えるではありませんか!?(笑)
最初からそういう作品だと知っていたら、もっとおもしろかったかもしれません。