今年の夏は格段に暑かったので、あまりお散歩する気になれなかったのですが、すっかり気候がよくなり、夕方お散歩するのが楽しくなりました。でも、とっぷり暮れてしまいますが・・・。
私のお散歩は「神さま散歩」。つまり、神さまとお散歩を楽しむのです。
どういうことかというと ・・・
私たちはふだん歩いているときには、目にするものにいちいち反応するか、あるいはさまざまな考えごと、空想でアタマがいっぱいになっています。つまり、ずっと考えつづけてココロここにあらず。
これは、エゴとお散歩している状態で、神さまが入ってくる余地がありません。
エゴのかわりに、お散歩の同伴者として神さまに来ていただくのが「神さま散歩」。やり方はいたってシンプルです。
ふつ〜にお散歩するのですが、いくつかルールがあります。
* 【反応しない】目にするものに、意見や価値判断、反応をもたない。何を見てもニュートラルな状態です。
* 【明け渡す】五感を今ここに開きます。街の匂い、風、温度、音、色など、その場にあるものに自分を明け渡してしまいます。
* 【それとして存在する】すると、目にするものが全部自分のなかに入ってきて、気づきの中に存在する状態になります。
* 【考えはスルーする】ときどき反応や考えが自動的にあらわれますが、ただそれに気づいて、じっと見つめると消えてなくなります。
* 【リラックスを楽しむ】ただ「ここにある」という静けさがあり、深くリラックスしてきます。その感覚を楽しみます。
ある意味じゃ、歩きながらの瞑想ともいえるのですが。
瞑想というと、リラックスはするものの、ここちよさという架空のイメージのなかに入ってしまって、「ここ」にしっかりと存在しなくなっていることが多々あります(光やら平和というイメージのなかに入りこんでしまうのです)。
でも、「神さま散歩」で大切なのは、「今」ここにしっかりと存在することなので、歩きながら五感でしっかりと街をとらえて、まさにその空間そのものになってしまいます。
そして、考えやイメージがないとき、神さまが入ってきてくれます。
「神さま散歩」をしていると、だんだんその状態がいつでももてるようになるので、エゴに憑依されてあれこれ考えることが少なくなってきます。
あれこれの考えに占拠されることが諸悪の根源なのですね。
そして、アタマで考えることなく、そのまま自然に最善へと導かれるようになっていきます。これがエゴに導かれるのではなく、もっと大きな力にゆだねる、流れにのるということです。
いちばん大きなメリットは「怖れ」「動揺」というものに乗っとられることが少なくなり、安らぎ・平安を感じられるようになることです。安らぎ・平安のひとときこそが、私たちが望んでいる幸せなひとときにほかなりません。
秋風を感じながら、ぜひ神さまとお散歩を楽しまれてみては? ( ・◡・ )
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )