外側の世界に脅威を感じて「自分は無力だ」と自覚するとき、私たちの体はときとして脂肪をたくさん蓄えることでそれをヨロイにして自分を守ろうとします。「分厚い肉じゅばんがかよわい私を守ってくれる」というように。
こころも同じように、「何か」を使って自分を恐れから守ろうとします。
こころは恐れていたり、傷つくと感じるときには、罪悪感を使おうとします。
エゴのこころは、罪悪感こそがこころをマヒさせることができると感じているので、鎮痛剤にはもってこいだと信じているのです。
つまり、怖れという脅威を感じたら、なんらかの罪悪感でこころをまぎらわせて、その怖れから逃れられたと感じようとするのです。(でもじつは、怖れと罪悪感のダブルの嫌悪感になっていることに気づきません)。
さらに、その効果が十分でないと感じれば、罪悪感をどんどん増量してこころを完全に自失状態にします。
これは、体に痛みがあるときに他の場所をつねるとその痛みが消えるように感じるのと同じことです。本当は痛みが増えているのに、それに気づけなくなります。
脂肪をつけて自分を守るのも、罪悪感を増幅させて怖れをマヒさせるのも、まったく解決法ではありませんが、エゴはそれで救われたと勘違いします。
正しい解決策は、ちゃんと直面することです。
対処療法(症状だけに対処すること)でしのぐのではなく、ちゃんと原因にアプローチすることが必要です。
「自分は、外の世界に対して脅威を感じている」=「自分は小さいと思っている」
「自分は、ものごとに傷つけられるのではないか、攻撃されるのではないかと怖がっている」=「自分は力不足だと感じている」
「小さい」「力不足だ」と自分を弱きものと自覚していることこそがコワさを生み出している、ということを認めて、
「私は弱い」という想いを高い自己であるハイヤーセルフに渡してしまいましょう。
ハイヤーセルフにさし出すというのは、パソコンでいらないファイルをゴミ箱にいれて、消去のボタンを押して、ゴミ箱をカラにするのと同じことです。
完全さしか知らないハイヤーセルフは、「自分は弱い」「不足している」という思考がさし出されると、すぐさま消去してくれます。
こころのなかの怖れに対して何重にも絆創膏を貼ったとしても、それを癒すことはできません。恐れの原因が何なのかに直面して、それを取り除くために、ゴミ箱に入れて消去しましょう。
ただ消去されさえすれば、あとはなにも必要ありません。
正常に機能するために必要なソフトウェアはすでに搭載ずみです。ゴミがたまっていなければ、ただ正常に機能してくれるのです。
「十分さ」であり「安らかさ」であり「愛」そのものであるソフトウェアが機能できるように、ゴミをみきわめて消去してしまいましょう。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )