ひさしぶりに「グレムリン」観ました〜♪
愛らしい声で歌うふわっふわのギズモしか印象にのこっていなかったのですが ・・・ 観てみたらそのグロさにびっくり仰天☆ これってホラーではありませんかっ?!
とくにギズモをもらってきたおうちのお母さんときたら!
家のなかで得体のしれないグロテスクなものが孵化しはじめたら、誰もが一目散に逃げそうなものですが・・・ このうちママはちがうのです(汗)。
「私のうちにそのようなものは許さない!」とばかりに、キッチングッズを駆使してつぎつぎグレムリンを殺ってしまうママの鬼気迫る様子には、目をおおうものがあります。
一匹をグラインダーですりつぶしたかと思えば、もう一匹を電子レンジにとじこめ爆発させ、さらに他のを肉切り包丁でまっぷたつ ・・・(ひゃ〜〜、もうやめて!汗)。
グレムリンよりも、このお母さんのほうがよっぽどコワいよ〜〜〜(汗)。
もちろんグレムリンも、そうとうグログロですが。でも、懐かしさをかんじるグログロさ。
この時代の気持ち悪さって、「エイリアン」とか「ザ・フライ」にも見られるように、グロテスクなサナギのようなものがカサカサカリカリ音をたてて、スモークとともにネバネバと糸をひくわけのわからないものが生まれてくる ・・・ というパターン。
今はどうなのでしょう? もっと心理的、生理的なイヤさかげんに変わっているのかもしれません。
あんなに可愛いギズモちゃんから分裂して生まれてくる超凶暴で残酷で強欲なグレムリン。
これって私たちのなかに存在する二つの自己のようです(グレムリンは欲望にかられて闘争にあけくれるエゴの自分、ギズモは安らいで幸せでいるほんとうの自己)。
エゴエゴグレムリンは、エザをあげることでいったん欲望に火がついてしまったら大変なことになります。利己的で凶暴で、智恵は欲望を満たすためのキケンな凶器となり・・・。
どんどん増殖してゆくさまは、まさにエゴが欲望とともに大きくんなってゆく様子と同じです。
ほんとうの自分を失わないためにも、過度な欲望(夜中のエサ)にはご用心!
グレムリンは光にだけはどうすることもできないのですが、それはエゴが光(真理)にさらされるとひとたまりもなく消え去ってしまうよう。
グレムリンを自分のなかのエゴの象徴として見ていると、その凶暴さに笑ってしまいます。
「バックトウザフューチャー」やら、「インディジョーンズ」「フラッシュダンス」など、この時代のハリウッド作品って、今の作品にないようなワクワク感がありました(シンプルでわかりやすい?)。
「グレムリン」もとっても懐かしいでした(→予告を見る)(→かわいらしいギズモちゃんはこちら!)。