運命とは、決まっているのでしょうか? それとも、自由に選べるのでしょうか?
決まっている・・・と考えると、落ちつかない気持ちになるかもしれません。自分はどんな運命にさらされているかわからないし、その運命から逃れることもできない、と感じてしまうからです。
そして、運命が決まっているのなら、これまで自分の人生の最高指揮官として采配をふるってきた自分自身にとって、その権力を丸ごと奪われ、なすがままにされてしまうというような無力感も感じられます。
「自分の人生を好きなように生きている」と信じてきたのに、まるで両手両足をもぎ取られたように感じてしまうのです。
しかし、運命が決まっていることに対して、別の見方で見ることもできます。
もしも大いなる存在、それは宇宙でも、神でも、源でもかまいません、その大いなる存在にすっぽりと護られて、自分の幸せにプラスになることしか起こらないとしたら、どのようなことが起きていても最終的にはいちばん良い結果になるとしたらどうでしょう?
そうであるなら、不確かな未来に怯え、道に迷わないように必死で人生をコントロールしようとするよりも、大いなる存在におまかせしてしまう方がずっと安全でラクで確実だといえます。
私たちがいくら固い決意をして人生をコントロールしようと試みても、結局起こることは勝手に起こってしまいます。
雨が降るときには、いくら「てるてる坊主」をたくさん並べても雨を止めることはできません。それと同じように、何かが起こるときには起こらざるをえないのです。
しかし、その起こることを自分への「攻撃」や「罰」と捉えるのか、それとも自分への「愛」や「恩寵」と捉えるのかで、その意味は大きく変わってしまいます。
もし「起こること全体が愛の法則に支えられている」ということがわかったとしたら、もっとリラックスして安らかに過ごすことができることでしょう。実際、私たちは大いなる愛の法則に完全に護られているのです。
どうしても抗うことができなかった出来事を長い目で見たとき、自分にとっても周りにとっても「あのことが起こってよかった」と思える善きこととして経験されたことは誰にでもあると思います。
起こることはしっかりと見届けさえすれば、すべては善きことであることがわかるかもしれません。
実際、私たちは「自分が見ようとしているもの」だけを目にしています。なぜなら、「自分」こそが見るためのフィルターだからです。
こころが怖れでいっぱいであれば、怖しいものばかりが目に飛びこんでくるであろうし、こころに愛や穏やかさがあれば、愛や穏やかさにあふれた世界を目にすることができます。
まさに、世界はこころのあわせ鏡といえます。そうであるなら、たとえ運命がどうであろうと、愛に満たされた穏やかなこころで出来事を見ることこそが、自分が護られているという愛の法則を確信することになり、それが幸せへのカギとなります。
「私は是非とも、愛の法則に支えられた世界を目にしたい」とこころに強く決めてみましょう。
「運命は決まっている」というとき、私たちはまったく変更不可能で逃げ道のないガチガチに固まった一本道を想像してしまうものです。
しかし、「決まっている」というのは、「たくさんの可能性がすでに存在していて決まっている」という意味であり、たったひとつの道だけが与えられている、というわけではありません。
起こっていることに対して不平不満を言いつづければ、私たちは不平不満の世界を目にすることが可能です。自分のこころを変えるまで、同じ状態を見つづけることでしょう。
しかし、こころがいったん自分の運命を受け入れ、愛や穏やかさを取り戻すことで、目にする世界は穏やかで愛のある世界へと進路を変えてゆくことができます。
運命は決まっているといえども、自分のこころの状態によっていつでも変更が可能なのです。自分のこころの状態は、まさに自分の目にする世界を変容させるパワーそのものだからです。自分のこころの状態にみあった世界へと、即座にチューニングされます。
そして、いつでもこころの状態を変えることによって、運命に変化をもたらすことができるのです。
また、運命をよきものにしたいとき、自分を守り導いてくれる存在であるハイヤーセルフにこころを開いてみましょう。ハイヤーセルフのちからを借りることも、運命の軌道を変化させる大きなちからとなります。
叡智そのものであるハイヤーセルフは、どんなときにも私たちの幸せのみを願ってくれています。しかし、そのちからを借りるには、自分からハイヤーセルフにつながる必要があります。
どんなときでも「助けてください」とハイヤーセルフに導きを求めることで、自分自身がハイヤーセルフのちからにつながることができます。
助けを求めさえすれば、ハイヤーセルフはすぐさまレスキューに飛んできてくれます。そのレスキューはまさにミラクルであり、「こんなことが起こるなんて!」と驚くような、私たちにとって予想できないような道を示してくれるのです。
なぜなら、ハイヤーセルフのレスキュー方法は運命という時間のなかから私たちを救出し、ハイヤーセルフ独自の時間のなかへとシフトさせてくれるからです。通常の時間からワープして、問題を回避させてくれるのです。
ハイヤーセルフの助けをえるためには、ハイヤーセルフとこころをひとつにする必要があります。
「ハイヤーセルフ、この問題を私とともに見て、ハイヤーセルフの見方ができるように助けてください」とお願いしてみましょう。ハイヤーセルフには問題という概念がないため、ハイヤーセルフとともにその状況を見ることによって自分自身も問題というものを認識しなくなることが可能なのです。
こころを開いて助けを求める気持ちさえあれば、私たちは時空を超越したハイヤーセルフの知覚とともにラクな道を進むことができるようになります。
ハイヤーセルフとともにものごとを見られるようになると、ものごとと闘うよりも安心して受け入れることができるようになります。
起こることをそのままに受け入れることは、運命というカルマを解消することであり、自分に災をもたらしていたカルマのストーリーを終わりにすることです。
ものごとを抵抗せずに無条件に「受け入れる」とうことは、そのものごとを支えていたエネルギー全体がゆるみ、カルマとして存在していた出来事を消滅に向かわせることができるのです。
どのようなことが起きていても、「もう金輪際、このような問題はくり返さない」とこころに決めて、ただリラックスして状況を「受け入れる」という姿勢をもつようにしてみましょう。そうすることによって、すべての出来事を「カルマを終わりにする」という目的のために使うことができるのです。
私たちはいつでも、自分にとってより幸せな世界に住むことは可能です。自分のこころのちからを使って、またハイヤーセルフの超越したちからにつながることによって、運命の道筋を幸せへと導いてゆきましょう。
「人生のなかで、いったい何が起こるかわからない」とこころを暗くするのではなく、自分のこころを愛と穏やかさで満たし、自分をつねに助け導いてくれるハイヤーセルフという存在にこころを開いて助けを求めてみましょう。
すると、愛という法則に支えられ安全に護られている運命という道を、ハイヤーセルフという頼もしい存在に導かれながら、安全に軽やかに旅をすることができることに気づくでしょう。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )