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気づきの日記・お茶の間シネマトークのアーカイブ

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気づきの日記「私たちを導く、静かなこころのパワー」

 

ゆったりとくつろいで何も気にかけない、静かな時間をつくってみましょう。

忙しくて、そんな時間はとるヒマなんてない? あるいは、何もしない時間は手持ちぶさたで居心地が悪いでしょうか?

私たちはあまりにも行動することに重点をおいているために、静かな時間がもつ重要性やパワーを知ることがありません。

静かな時間とは、外へ外へと向かいたがるこころに手綱をつけて、内側へと向きを変え、そこでゆったりとくつろがせてあげることです。

180°クルリとこころの向きを変え静まることで、自分のこころでありながら自分が知らなかったスペースへとつながることができます。

私たちは「外にこそ何かいいものが見つかるはず」と信じこみ、それを探しにせっせと外側へと向かうことに忙しくしています。

しかし、それこそが自分が欲しいものを見つけることができない最大の理由でもあるのです。

私たちを苦しめることだけを生業としているエゴは、私たちが幸せになってしまったらエゴが消滅せざるをえないことを知っています。

だからこそ、私たちを幸せにするものが見つからない外へと誘導するために、「自分の手にしたいものすべては外側にあるよ〜」とエゴはささやきかけ、外におびき寄せることで、宝探しの放浪の旅に出かけさせようとしているのです。

私たちはついつい何かを求めて外へ外へと向かいたくなりますが、じつは外に向かうということは自分自身を置き去りにすることであり、それは自分の真のパワーに背を向けることであり、自分のちからの感覚を失ってしまいます。

ほんとうの力と答えは、いつも自分の内側にあります。

燃料がカラになった車は鉄の塊にすぎないように、私たちも自分のパワーと切り離されたときにはこの燃料がない車と同じように、何の役にも立たなくなってしまうのです。

しかし、たびたびちからの源である内側とつながり、しっかりと燃料を補給して、そこから外へと向かうことでまったく違う結果をもたらします。

自分の内側とは、ある意味、別の次元へとつながるスペースです。

私たちのこころは、個人という枠をこえたすべてとつながるスペースを内側にもっていて、そこからあらゆるものを自分に迎え入れ、それを自分の外側の世界へと映し出すことができるのです。

自分の内側とは制限のないスペースであり、世界も宇宙をも抱き、源、あるいは神とつながっているがゆえに、すべてが存在しています。

それはすべて自分のものでもあり、そことのつながりが保てればそれを自分の目にする世界へと映し出すことができるのです。

ヒプノセラピーなどでリラックスすることによって、自然にこの次元につながることができます。すると、ただリラックスしていただけなのに、まったく違うも目線でものごとを見られるようになったり、怖れの感覚が消えたり、また解決策や答えのようなものがフト浮かんでくるようになったりします。

つねにこの次元とのつながりをもつことによって、私たちはアタマによって制限されていた考えを超えて、制限のないものの見方をすることができるようになるのです。

こころがすべてを内包するスペースにつながっているとき、あらゆることについていちばんよい解決策を自然に導き出すことができ、そこからスムーズに正しい行動を起こすことができるようになります。

源、あるいは神のこころとつながっていれば、そのこころで世界を見るときに自分が必要としているものを見つけ出し、また正しい道をスムーズに歩むことができるのです。

世界というのは、まさに自分のこころの状態をそのまま映し出している合わせ鏡のようなものです。こころが静まることを覚えれば、自分の目にする世界も自然と安らかや穏やかさをおびてくるので、ものごとと格闘する必要がなくなるのです。

過去についての失敗や後悔の思いも、未来についての怖れや不安も、いったん手放して自分をカラッポの状態にしてみましょう。

過去や未来についての自分の考えこそが、じつは自分を最も苦しめている原因だからです。ただ静かにするだけでも、こころはのびのびと解放されることができます。

過去や未来についてさまざまな考えが浮かんでくるようであれば、その考えに対して「聞いていませんよ〜!」と、そのままスルーしてしまいましょう。それらは、罪悪感を抱かせるか、怯えさせるだけで、まったく耳を傾ける価値がないものだからです。

「自分をカラッポにして静かな時間を過ごすなんて、自分が怠惰になってしまいそうでできません!」という方がいらっしゃいます。

それは本当でしょうか?

私たちは部屋のなかでじっとしていても、必要があればすぐさまトイレに立つし、無意識のうちにキッチンで食べものを物色していることもあります。これらはどれも、計画のうちに行われているわけではありません。

内なる声なき声が、「さあ、トイレに行こう!」「何か食べよう」と必要な行動を導いてくれています。静まっていても、決して石像のように固まりつづけているわけではないのです。

静かにしていても、動く必要があるときには自動的に行動が起こるもので、それはつねに必要な正しい行動へとうながされます。

正しい行動というものは、思考のあれこれを抜きにして、起こるべきときにただ起こるように起こる、というものです。

もちろん、仕事や旅行など、計画や段取りを必要とするものもあります。

しかし、私たち自身を導くということに関しては、あれこれ考えることは役に立ちません。アタマで考えることはすべて過去のデータに依存しているため、いつも過去の繰り返しという制限にはまってしまうからです。

自分の人生を正しく導きたいと思うときには、この過去の繰り返しの思考に頼るのではなく、もっと斬新な時空をこえた叡智に正しく安全に導いてもらうことが幸せへのカギとなります。

その叡智は、過去も未来もすべての状況を見渡して、私たちにとって最善のルートを常に導き出してくれるからです。

そして、その導きを受けるためには、過去からのデータベースである思考をお休みさせて、新しいものを受け取るためのスペースを用意しておく必要があるのです。

スペースを作るとは、こころをしずめてカラッポにしておくことです。そして、すべての答えがあるスペースへと自分を開け放つようにすることです。

自分を鎮めてそのスペースとつながることで、部屋で静かにしていようとも、必要なことが自然と起こるように仕向けることができます。

自分がどうするのか、どのように動くのかを見守っていましょう。

出かけるつもりがなかったのに、「あそこに行かなくちゃ!」と急にひらめいて出かけて行くかもしれません。誰かの顔が浮かんで、メールや電話をしているかもしれません。あるいは、そのまま休息しているかもしれません。それらは自然と起こってくるのです。

そして、アタマであれこれ考えて無理やり何かを起こそうとするときとは違った、「驚き」や「発見」に出くわすかもしれません。そのひとつひとつが、正しい道へと導いてくれます。

起こるひとつひとつの意味がわからなくてもプロセスを信頼して、こころを開いて起こることについて行ってみましょう。

そのためには、まずは静かにして、自分の内側へと向かい、ゆったりとくつろいでみます。自分をカラッポにしてみます。

あとは、自分がどのように動くのかを他人ごとのように静かに観察していましょう♪

 

 

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解禁〜♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

毎年、涼しくなった頃に健康診断に出かけます。

「この日に受けよう!」と決めたら、10日間ほどちょっとばかり健康的な生活をこころがけたりして。

といっても、コンビニ&カフェスウィーツを自粛し(おやつはOK♪)、揚げものを控えるぐらいのことですが  ^^;

その甲斐あってかなくてか、看護師さんに「体重はまったく変わっていませんね〜!でも、おへそまわりが3センチ増えてるけど、どうしたの?」と聞かれ、ガクゼン。

「ぜったい痩せたに違いない!」と確信していたのに、これはなにかの間違いでは?! そこで、再度測ってもらったのですが、やっぱり同じでした。

「きょうは、たまたまむくんでいるということにしておきましょう!」と看護師さんと頷きあいつつ、それでもどこか腑に落ちず・・・(メッチャ抵抗してます)。

そんなこんなで今年の健診もめでたく終了したので、ついに解禁で〜〜〜〜す! じゃんじゃん絞っちゃってくださ〜い☆

生搾りモンブラン♪ 

まるで麺類のようですか、和栗の香りがして、とてもさっぱりと美味しいモンブランでした。

こちらのカフェはコーヒーもKIMBOで、イタリア気分。

暮れゆく空を眺めながら、ひさしぶりにお友だちとおしゃべりしつつ、至福のスウィーツタイムでした♡

 

 

 

美智子ちゃんのサロンコンサート♪

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声楽家のお友だち、瀬尾美智子ちゃんのサロンコンサートにお出かけしてきました。

瀬尾美智子ちゃんとピアノの名取典子さん

「あなたの歌 わたしの歌」と題して、前半が日本の歌、後半がクラシックというプログラム。

前半では「冬の星座」や「浜千鳥」にはじまって「りんごの歌」など、懐かしい歌やらはじめて耳にする歌まで。

美智子ちゃんの歌つ日本の歌は、いつも情景があざやかに目に浮かびあがってきて、五感で演奏を楽しむことができます。そして、あらためて「ああ、日本は美しいな〜」と感じさせてくれるのです。

後半はメンデルスゾーンとブラームスで、まさに本領発揮!という感じ(いえいえ、ご本人はいつなんどきだって本領発揮ですよね!)。

自分がピアノを弾いていた頃は、メンデルスゾーンがまったく好きではなかったのです。なぜなら、弾いていて眠りに落ちてしまいそうになるから。でも、こうして大人になって聴いてみると、とてもロマンチックで優しく美しいメロディーが多いのだな〜と感じます。好みは変わるものですね。

特に、アンコールで歌ってくださったメンデルスゾーンの魔女の歌はお気に入りでした。

歌唱のまえに「これは魔女の歌で・・・」と内容を説明してくださったのもあって、聴いていると魔女たちが箒や石炭スコップにまたがって空を縦横無尽にかけてゆく様子が目に浮かびます。なんだか自分もそんな魔女のひとりになったようで楽しい演奏でした。

美智子ちゃんいわく、「アンコールの魔女の歌がいちばん受けてしまった!」と苦笑されていました(はい、確かに、インパクト大でしたよ〜!)

今年の夏は暑さが厳しいうえに長く続いたので、コンサートの準備は体力的に大変だったそうです。

でも、聴かせていただいている方はただただ至福の時間を過ごさせていただきました。

いつもありがとうございます♡

 

 

 

日替わりの夕焼け

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夕方、交差点で多くの人が足を止めてカメラを向けていたので、事故かしら?! とその方向に目をやってみると・・・夕陽に染まった美しい雲のグラデーション。

部屋に戻ってきて、ふと外に目をやると、もっとスゴイことになっていました。
(あわてていて窓を開けるのを忘れたので、窓のタテ線が入ってしまいました・汗)

秋の夕暮れは、日々ドラマチックです。

 

 

ようやく金木犀

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

10月も下旬に入ろうとしていますが、昨日も今日も、そして明日も、ほぼ夏日。部屋ではまだ扇風機が回っています。

そうはいっても、仕事が一段落して散歩に出る頃には、もう陽が落ちてあたりは闇に沈んでいます。深まりゆく秋を感じます。

長くつづいた猛暑で今年の金木犀はいったいどこへいってしまったのだろう?と思っていたら、ようやく昨日ぐらいから風にのって香ってくるようになりました。

空が青くて、風も心地よく、暑すぎず寒すぎず、そんな季節にぴったりのこころがほっころと癒される香りです。

 

 

 

気づきの日記「怒りの原因に対処する」

 

先日、お昼の情報番組を観ていたら、「アンガーマネジメント(怒りを感じたときの対処法)」について取りあげられていました。

たしかに、怒りというのはとても破壊的な感情で、一瞬にして人間関係が損なわれたり、仕事を失ってしまう原因になったり、またそれ以上に自分自身を決して幸せにせず、健康まで蝕んでしまうので、マネジメントするにこしたことはありません。

番組のなかでは、怒りを感じたら「じっと6秒ガマンする」、あるいは「相手への理解をもつ」ことによって怒りを軽減するすることができる、と紹介されていました。

確かに「ひと呼吸おくこと」や「相手を理解しようとすること」は、怒りが爆発することから救ってくれるかもしれません。

しかし、それはあくまでも対処療法であり、怒りの原因を根本から解消することにはいたっていません。

私たちが怒りの感情を感じているとき、その怒りの下には必ず原因となる信念(自分について信じていること)が潜んでいます。

それはたいてい、このような信念です。「私は人や世界に怯えている」「私は傷つけられて悲しい」「私は価値もなく小さな存在だ」という、か弱く傷ついた自分自身のイメージです。

そして、その怒りの原因となる信念を隠すことなくしっかりと向き合うことで、結果として現れていた怒りの感情を手放すことができるようになります。

怒って感情をむき出しにしている人をイメージしてみてください。

恐ろしい形相、荒々しい怒鳴り声、勢いよく振りあげたこぶし ・・・ それはとても強そうなイメージがあります。

しかし、その人はなぜ、そんなに強そうな形相をしなければならないのでしょうか?

もともと、こころのなかに強さの感覚がある人は、このような強そうな形相を必要とはしません。強そうに装わなければならないとしたら、それは自分のなかに弱さや不安を感じていて「大きく見せなければ、支配されてしまう」という心理が働いているからです。

もともと強さを感じている人は、強さの演出をする必要がないのです。

ほんとうの強さというものは、凪いでいる海のようにどっしりと穏やかで静かな状態です。決して荒ぶってはいないのです。

人が荒ぶらなければならないとしたら、それはその人が自分の弱さに怯えていて、それをカモフラージュするために強い自分を演出しているときです。強さをわざと作りだしているのです。装われた強さは、必要以上に声が大きくなり、さらに手が出てしまったり、足まで出てしまったりするのです。

怯えている犬が全力で吠えつづけるように、大きな声や暴力、激しい形相で威嚇しようとします。

しかし、大きな声も、振りあげたこぶしも、伝えたい何かがあるときにはまったくの逆の効果となり、何も内容が伝わらなくなってしまいます。聞いてもらえないどころか、人は遠ざかってしまうのです。

怒りの原因に対処して、穏やかな自分になりたいのなら、自分が怒ってしまった場面の直前へと記憶を戻してみましょう。

そのとき、自分の内側でいったい何が起こっていたのか、自分自身で検証してみるのです。

たとえば、職場の上司に「こんなこともできないなんて、おまえはバカか?」と叱責されたとします。

そう言われて抑えきれない怒りを感じてしまうのなら、じつは自分が自分のことをすでにバカだと信じていたのです。そして、職場の上司が口にした言葉がまさにビンゴだ! と感じたので、あまりにも図星の指摘に怒りが湧き上がってしまったのです。

しかし、もし自分のことを「バカだ」と感じていなかったなら、「おまえはバカか?」と言われてもピンとこないため、怒りではなくキョトンとした顔をしているかもしれません。あるいは、そのひとことについて何も記憶に残らないかもしれません。

私たちは相手の言葉が自分を傷つけたと感じがちですが、それよりも前に「自分で自分に対して同じことを思っていた」か、あるいは「自分には価値がないと信じていた」のです。

そして、それをまるで上書きするかのごとく他人に指摘されたことで、秘密をあばかれたように感じ、思わず怒りがこみあげてしまいます。それは、「自分でそう思っていたのに、あなたまでそれを言うのか?!」と無意識のうちに反発してしまうからです。

自分のなかに自分自身を卑下するような感情がなければ、たとえ相手が何かを言ったとしてもとくに強い感情が湧いてくることはありません。むしろ、「この人は何を言っているのだろう?」と怪訝に感じるかもしれません。

そういったわけで、怒りを感じた直前の感情を調べてみることによって、自分のなかに弱さやコンプレックスの感覚が存在し、それをあらためて他人に指摘されたことで攻撃されたと感じ、怒りがこみあげてしまった、ということに気づくことができます。

同じような怒りを繰り返さないためにも、自分のなかにある弱さやコンプレックスの感覚を認識してあげることが大切です。

しっかりと意識されたものは、繰り返すことができなくなります。怒りの原因が何であるのかがわからないままであったなら、同じことが繰り返されるのを止めることができません。

しっかりと認識したなら、「この傷づいている自分、小さく弱く感じている自分は過去の自分自身であって、今の自分とは何の関係もない」ということに気づきましょう。

私たちは過去の癒やされていない自分を今の自分にオーバーラップさせてしまいがちです。しかし、一つづつ気づくことによって、私たちは簡単に過去から解放されることができるのです。

過去の傷ついた感情、小さな自分のイメージは、高い自己であるハイヤーセルフに取り去ってもらいましょう。「この傷ついた感情はほんとうの私ではありません。私のなかから取り去ってください。ほんとうの私の強さや穏やかさを感じさせてください」とお願いすることで、それがもたらされます。

そして、ハイヤーセルフから光とともに強さや穏やかさが自分のもとにやってきて、自分自身を包み、満たしてゆくのを感じてみましょう。

このように、怒りを感じた直前の気持ちを調べることで、自分のなかに放置されていた傷ついた感情や弱さの感覚を見つけることができます。

見つけたら、ハイヤーセルフに除去してもらいす。これを繰り返すうちに「小さな自分」という間違ったイメージが手放され、無意識的に怒りを感じていた場面が減ってゆきます。

6秒ガマンすることも役に立つ方法ですが、怒りの原因となる自分のこころの傷や弱さの感覚を見つけてあげることで、私たちは確実に穏やかで、容易に動揺しないほんとうの自分を取り戻すことができます。

自分のこころの弱さと向き合って、それをハイヤーセルフとともに優しく解放してあげましょう。

これはこころのお掃除につながり、怒りを感じる場面が少なくなるだけでなく、自分が痛みを感じたり落ちこんだりするような出来事も減ってゆき、こころのなかに安らぎや喜びの感覚が大きく広がってゆきます。

過去の自分の弱さを清算し、のびやかで安らかな自分のこころの光と愛を取り戻しましょう。そして、その光で自分も世界も安らかに照らしてあげましょう。

 

 

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今や、パクチー大好き♡

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近所でランチをするときお友だちにお店選びをお願いすると、まったく知らなかったお店や食べたことのないメニューに出会うことができます。

昨日のランチは、パッタイとカオマンガイ。Sちゃんチョイスです♡

二十代の頃、タイに行ったときにはパクチーが大の苦手で、これらのお料理にかなり苦戦し何を食べたのか覚えていません。

しかしどうしたことか、今はパクチー大好き人間で、ときどきタイ料理屋さんでテーブルの上に「どうぞご自由に!」とフリーパクチーが活けてあると、わしわしと遠慮なく完食してしまいます。

このお店もボリュームたっぷりで、本場のお味♡

だから、すっかりタイ料理のお店かと思いきや、じつはシェフもお店の方もインド人。そして、インドの音楽がかかっていて、ガネーシャ像がおいてありました😆

なので、このスパイスの効いたソーセージは、まさにインドお味です。(世界地図全体で見たら、タイもインドもご近所ですものね!笑)

インドの音楽を聴きながらひさ〜しぶりに食べたパクチー香るタイ料理、エキゾチックで美味でした。@Asian Dining SITAさん

食後は、まったりお茶タイム。こちらも、近いわりには足を運ぶことがない Good Sound Coffeeさん。

この日はご近所で、冒険でした〜♪

 

 

気づきの日記「思い悩むことは、堂々めぐり」

 

ある出来事を、いつまでも考えつづけてしまうことがあります。

「あれはどういう意味だったのだろう?」「あの人はなぜあんなことを言ったのだろう?」「どうしてこんなことになってしまったのだろう?」「なぜ・・・?」「どうして・・・?」

これらは「今」について考えているのではなく、すべて過ぎ去ってしまった「過去」について思い悩んでいる状態です。

しかし、「過去」はとっくに消えてなくなり、もうそこにアクセスする手立てはありません。それはすでにどこにも存在していないのです。

存在していないものについて、「どうして・・・?」「なぜ・・・?」と思い巡らすことは、こころのエネルギーの浪費以外なにものでもありません。いくら考えても、そこから建設的なことは起こりません。

なぜそんなに過去が気になってしまうのかというと、そのときに自分の感情が大きく刺激され、こころが動揺してしまったからです。

こころが動揺した・・・つまり、怖れを感じた、傷ついた、苦痛や悲しみを感じたということであり、それは自分のこころが不自然に波立ってしまったのです。

穏やかに凪いだ湖のようなこころが、荒波を立てて不自然な状態になっていることこそが居心地が悪い状態を作りだしています。

こころが不自然な状態になっているのならば、過去の変更不可能なことについて思い巡らすよりも、波立つはずかないこころが波立っているその原因こそを探ってみることです。

私たちのこころは、鏡のようにすべてを映しだす湖のように静かで穏やかであることが自然な状態です。

しかし、そのこころが波立ってしまっているならば、それは不自然なことが起きているわけであり、こころが誤作動を起こして落ち着きがない状態になっていることをあらわします。

しかし、私たちはつねに出来事や状況について「どうして?」「なぜ?」と考えはじめる習慣があるために、自分よりも外側のことに注意の焦点が固定されてしまい、こころの誤作動を認識できず、せっかくのこころを正すための機会を失ってしまっているのです。

そして、外側の出来事、状況に対して、「どうして?」「なぜ?」と繰り返すことで、その出来事に動揺しながらいつまでも同じような反応を繰り返すことになってしまいます。

この状態は、自分で自分のこころを正すまでずっと続くことになります。

そうならないためにも、こころが波立つたびに自分のこころにしっかりと向き合うことによって、怖い、傷ついた、苦しい・・・といったいつもの反応から抜け出すことができるようになるのです。

過ぎ去った出来事や状況について「なぜ?」「どうして?」と繰り返しながら自分の外側に向かうかわりに、逆方向へと向きを変えて自分のこころへと向かってみましょう。

それは、自分のこころについて調べることであり、こころを調べることで自分が誤って信じていることを見つけることができます。

誤って信じていることこそが、自分自身を怖がらせ、傷つけ、苦しませたり悲しませたりしている原因そのものなのです。

たとえば、「こんなこと、絶対に起きるべきではない!どうしてこんなことが起きたのだろう?」と考えてしまうとき、「それが起きるべきではない」という誤った考えに囚われています。その考えは、ほんとうにほんとうのことなのか自分のこころに問いかけてみましょう。

すべては善きことの流れの一部分だとしても、「起きるべきではない」という自分の考えが前提にあるのならば、そのあとはどのようなことが起ころうとも、否定でしかものごとを体験できなくなってしまいます。

かりに、「起こることはすべて、自分にとっても周りにとっても善いことであって、それ以外の可能性はない」という考えを受け入れていれば、いったんは動揺したとしても、「大丈夫!これが善いことに変わってくるのを見ることができるはずだから、安心して流れにまかせよう」とこころを立て直すことができます。そして、自分が決めた結果を見ることになるでしょう。

そうであれば、もう過去についての「どうして?」「なぜ?」はどうでもよくなり、そのままの流れにこころを開いて身をまかせることができます。

自分の考えと向き合って探求しても、自分の考えの誤りを見つけることができないときには・・・

自分の高い自己であるハイヤーセルフに、「私は自分の信じていることの間違いに気づくことができません。私にほんとうのことを教えてください」とこころのなかでお願いしてみましょう。

あるいは、自分がいちばん信頼している友人や知人に「自分はこのことについてこのように解釈し、こころが穏やかではないのですが、あなたはどう思いますか?」などと意見を求めてみましょう。

こころを開いてアドバイスを求めたときには、その人を通して宇宙があなたに必要なすべてを与えてくれます。

あなたが「自分を正したい」「正しいこころをもちたい」と願って助けを求めれば、どこからでも完全な答えがもたらされるのです。

しっかりと答えを受け取るには、尋ねた相手を完全に信頼すること、その答えになにも検閲をかけずにオープンなこころで受け取ることです。

「どうして・・・?」「なぜ・・・?」と外へばかり気をとられがちな自分のこころと向き合って、いつでも自分のこころの誤りを正したい、自分のこころを本来の穏やかな湖の状態に戻したいと思っているとき、宇宙からの助けは無条件にふんだんにやってきます。

なぜなら、宇宙は「本来の自分らしく自分自身を生きたい」と願っている人をどこまでも応援してくれるからです。

その助けを得るために、アタマでいろいろと考えてしまうよりも、「自分のこころの誤りを正したい」とこころに決めて大きくこころを開いて、宇宙に助けを求めましょう。

そして、宇宙からの助けや答えをすべて受け取ることができるように、ただこころを空っぽにあけ放ってリラックスして待つことによって、かならず助けがやってくることを知ることができるでしょう。

PS. 未来もまだ存在していないので、未来について思いや悩むことについても同様ですWink

 

 

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近所の美味しい珈琲屋さんへ

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近くまでいらしたお友だちとお茶タイム。

昔からある美味しい珈琲のお店、ヴェルデさんへ(@恵比寿)。

小さな珈琲屋さんですが、朝とおりかかると焙煎の煙が煙突からモックモクとあがっていて、街中が香ばしい香りに包まれます。

ご主人の焙煎するお豆は人気で、業者さんも買いにいらっしゃるよう。

コロナですっかりご無沙汰していたので、ひさしぶりの来店です。

きょうはオーダーしたことがなかったアイスカフェオレ、そしてご主人手作りのキャラメルシフォンケーキを。

アイスカフェオレは、ミルクに負けないしっかりとした珈琲の味わいがさすが珈琲屋さんでした。

一時間ほどのお茶タイムでしたが、すっかりリラックスいたしました ( ´∀`)