与えられて当然!と思っているものが相手から与えられないとき、私たちはその相手に対して報復の行動に出ることがあります。たとえば、愛や思いやり、その他もろもろが得られないとき、自分もそれを相手に与えてやらないぞ!ってなぐあいに。すると、相手は急な枯渇に気づいて自分に与えてくれるはず・・・・と目論んでいたのに、どうやらそうでもないみたい。そこではさらなる相手からの報復行動を生み出すことになるし、また無理して与えないようにしていると、結局苦しいのは相手じゃなくって自分自身なのですよね。「もう、やさしくしない」「愛を与えない」・・・。流れをムリに我慢して止めてるとき、自分で自分の首をしめてるような状態。意地を張るのはエネルギーを消耗するので身体も心もしんどいし、何よりも物事の流れが止まってしまう。(そうよね〜!愛の便秘状態!苦しくて当然!)やっぱり人間は自然に愛を流してこそ、健全に心地よく生きて行けるらしい。誰かを困らせることなんてできなくて、じつは自分がいちばん困ってしまう現実。って、ことは与えれば自分が、いちばん気持ちいいのですよね。なんにしても「意固地」になるのは、究極の「自分いじめ」でありました。
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