好きと嫌い、あんがい単純なカラクリ

6階にある「るん」まで階段をのぼる、これが忙しいときの私の健康法。しかし、現在その階段に近寄れなくなってしまいました。何があったのかというと、亡くなった仏さまを運び出す黒服の一団に出くわしてしまったのです。その仏さま自体が怖かったというより、そこにいた人々が創り出している重く悲惨な雰囲気に圧倒されてしまったのです。そして、それは簡単に階段に条件づけされてしまいました。以来、マンションの階段=コワイ!どうもあのおどろおどろしい雰囲気が結びついて拒絶反応。そう考えると、私たちの好きとか嫌いの感情も、そのものに由来するというよりは、それに「自分がどう反応するのか」(どんな感情を刷り込まれたか)ということになります。ユダヤ人は子供を本好きにするために、読書をしながら両親のお膝で蜂蜜をなめさせるという条件づけをしたそうです。それが世界に広がるユダヤ商人となって稼ぎまくっているのですね。ああ、だれか、私を「恐怖の階段」の呪縛から解いてくださいませ。