痛みを知ることの意味

東京都写真美術館の「世界報道写真展 2007」に行ってきました。

思ったよりも内容がヘビーでした。胃のあたりに何かが詰まったように感じて、その後のお茶の味もよくわからぬまま・・・・。

今更にして感じるのは、私たちはオブラートに包まれた世界しか実は知らない・・・ということ。日々、報道される事件や災害や紛争は、表面的な事象は伝わってくるものの、本当には何が起っているのかという中味は隠されたままなのです。

海外を旅していると、ホテルで目にする各国のニュース映像には目をそむけたくなるようなものもあります。日本よりも表現が生々しいのです。平気で死体とか災害に人が巻き込まれている様まで映しちゃう。日本のニュース映像でそこまで出てくることはまずないですよね。これは、亡くなった方と遺族への配慮もあるだろうし、どこかストレートな表現を嫌う日本人の傾向もあると思うのです。

でも、私たちはなんとな〜くきれいに整えられた世界、あるいは安全に守られた温室のようなところにいて、人のなまの感情である怒りや悲しみや苦痛を遠ざけて見えないようにしている気がします。怒りや悲しみを遠ざけようとすると、喜びや感動にもフタをしてしまうことになりかねなせん。だって、どちらも同じエネルギーですから。

そして、ホンモノの現実に対処できない日本人が生産されていくのです。日本の若者の無気力さ、無関心さは、とてもキレイに整えられたプレーンでフラットな世界に生きている証かもしれません。そうすると、簡単に人をモノのようにバラバラにしちゃう今日この頃。

もちろん、こんなリアルな写真は好きこのんで見たくない、とも思います。でも、痛みから目をそむけて、どうして他者や世界を理解できるでしょうか?深い愛や感動を知ることができるのでしょうか?

マスコミの行き過ぎたご配慮のおかげで、わたしたちはどんどん鈍化してゆくように感じます。