その昔、ローマ法皇、故ヨハネ・パウロ二世が来日されたおり、幸運にも来日記念のミサにあずかる機会がありました。そのとき、ローマ法皇が姿を現すなり、どっと涙が溢れ出しとまらなかったのを思い出します。まわりを見まわすと、誰もがハンカチを握りしめ感動で顔をくちゃくちゃにしながら笑っていました。
なぜそんなことを思い出したかというと、きょう同じような体験をしたのです。「東京都写真美術館」にドキュメンタリーフィルムを観に行ったのですが、上映がはじまるといっせいに鼻をすする音がしてみんな泣いている様子。じつは、私もずっと涙がこぼれてしょうがありませんでした。
何を観たかというと、マザー・テレサの没後十年のドキュメンタリー。その活動と言葉を記録したものです。
マザーは「すべての人には愛し愛される権利がある。だから、これは福祉活動ではなくて魂にかかわる「愛」の行為である」と、政府からの援助はいっさい受けとらないという方針で活動を世界に広げてきたといいます。貧困を救うというよりも、もっと深刻な愛のない乾いた心を救うこと。ひとつまちがうと自己満足におちいりがちなボランティア活動ですが、純粋な愛に根ざした行為が人をひきつけ感動させる源となっているのでしょう。
マザーがアメリカの病院に活動で訪れたとき、すすめに従って健康診断を受けたそうです。そのとき心臓が悪いことが判明したそうなのですが、ただちにこのことは口止めされたとか。自分の状況、状態、それは神から与えられたもの、だから静かに受けとめるのだと。たとえどんな状況におかれたとしても、それが今いるべき「自分の居場所」であると。身体の悪いことはマザーにとっては普通の状態となったわけです。忙しい活動を緩めるどころか、同じように心臓に病と共生するように活動を続けたそうです。
自分のおかれた状況をまさに自分の居場所として選択しつづける、「すべてにサレンダーする」生き方。これは、セラピーの中でもつねにキーワードとなる言葉です。今までわかっていたつもりでしたが、マザーがまさにそれを生きる姿を見たとき、理解できたというよりもお腹の深いところにポト〜ンと落ちた気がしました。
「癒し」の仕事の原点をみせていただきました。