08-06-14 ホントの世界はあなたの外にある!

いつもいろんなことに対して「あ〜でもない、こ〜でもない」と思い悩んでいる友人がいます。

見ているとなにやら大変そう・・・でも、話を聞いてみるとそんなにさし迫った状況にあるわけでもないのです。たぶん、これが彼女のふつ〜の状態。「あ〜だ、こ〜だ」しているのがノーマルで習慣になっているようです。そんなこと言ったら怒られそうです。「真剣に悩んでいるのよ!」と。(でも、こころの状態って習慣になっているのでご注意を。怒っている人はいつも怒っているし、心配している人はいつも心配している。それが自然らしいのです。)

私は彼女の目の前に座って、「きゃ〜!このブルーベリータルトおいしい〜!食べてごらん」とノーテンキ。

もちろん、わたしもときには落ち込み、友人にお助けコールをしたりすることもあります。でも、基本的にはお気楽人間です。

だって、わたしたちは五感で人生を感じて楽しむために、この身体をもってこの世にやってきているのです。それなのに、五感で人生を感じることもなく、頭の中にばかりとじこもっていたらもったいない!頭の外に出なくちゃ。感じなくちゃ!

それに、ブルーベリータルトのおいしさを満喫しているときは、同時に悩みにはまることはできないのです。「おいしい〜♪」とか「楽し〜♪」「幸せ〜♪」と言っていると、人生はじつにシンプルになります。なぜなら、それしか見えない。

今日の空の色は今日だけのもの。今そよいでいる風だって、たったこの瞬間だけのもの。そして「ブルーベリータルトの味なんてしってるよ!」というかもしれないけど、このブルーベリータルトだって、きょうしか味わえないブルーベリータルト。

生活の中には何ひとつとして同じではないサプライズが毎瞬用意されているというのに、思考にはまって、思考の中に住んで、イメージを巡らせることで疲れてしまってはもったいない。それは、現実逃避。

たった今の風を感じて、たった今のブルーベリータルトを味わって、たった今一緒にいる人をいつくしむ。ちゃ〜んと「今」ここに生きていると、ほら、自然とあなたの次ぎのステップさえも用意されているのがわかるのです。でも、それは頭の中に住んでいては見えてこない。

頭のおしゃベりのスイッチはきって、今ここにいて五感のすべてを使って今を生きる。すると、どうやら自分のための人生の流れに乗れるよう。

さあ!外に出て、五感をフル活用して、「今、生きてる!」って実感してみて!

08-07-23 カメのおしえ

梅雨明けとともに、なにやらとっても忙しくなってきました。どんなに暑くとも、やっぱり人間は太陽が顔をだすと活発に動きはじめる生き物なのでしょうか?

なので、一日が「あっ!」というま。時間に追われるというよりは、時間を追っている感じです。

そんななか、いちばんフラストレーションの原因になるのが、「心」がついてこないとき。自分のしていることがなかば自動的になって、しっかり「心」がこめられていないとき、楽しさも充実感も達成感も消え失せてしまうようです。

ふと、そんなわたしを心配そうに見つめる二つの目・・・。カメちゃんじゃありませんか!お友達が花をいける剣山として焼いて下さったカメちゃん。形も表情も愛らしくて、花瓶に入れるよりはいつのまにかペーパーウェイトとしてデスクからわたしを見上げています。

彼をみていたら、自分の「あたふた」度に気がつきましたよ〜。

心がお亡くなりになると書いて「忙しい」。思わずゆっくり大きく呼吸をするのを思い出しました。「ゆっくり、ゆっくり、ていねいに、心をこめて・・・」ね。

08-09-26 じつは・・・ホコリまみれだったわたし

ホコリというものは、知らぬうちに、うっすら、うっすら、つもっていって。
ついには、ホコリにすべてがおおわれていることにすら気づかなかったりします。

たとえば、自分の部屋のホコリ。
ふだんは、どこにどれだけたまっているのか気づきもしない。
はじめて、誰かが遊び来ることになったとき、
あらためて他人の眼で部屋の汚れをチェックしてびっくり。
こんなところに、こんなにホコリが・・・。

心も同じ。しらぬまに、うっすら、うっすら、ホコリがたまるのです。

セラピー中に使う心のクリーニングメソッドをあれこれ考案するとき、
いつもまず自分を実験台にしてみます。
やってみたらどんな感じがするのか・・・? を試すのです。
で、新しいメソッドを試みてみました。
・・・・おっ!なんか、なんだか、いい感じ。
たまりにたまっていたものがゴッソリとれたような気分。
世界がよりヴィヴィッドに見え、より安らいで平和に感じられます。

すると・・・、ここ数年、「こんなことしたいな〜」とおもい描いていたコト、
どうやってすすめたらいいのかな〜とずっと思案していたコトが、
あらら、向こうから勝手にやってきたではありませんか。それも、三つも。

目標を達成するのにしゃかりきになって疲れはててしまうことがありますが、
これこそホントの目標の達成の仕方。

「リラックスしながら、目標のためにやることはちゃんとやって」あとは、
「自分自身の真のパワーを覆い隠しているホコリを取り除く」すると、
「案外簡単に、なるようになってしまう!」
わたしたちの日常の「あ〜だ!こ〜だ!」の感情は、
一見どこかに消え去ったように感じても、
じつは心の奥深くにストックされて、本来のパワーを覆ってしまうようです。
自然の流れの中で手に入れられるものをも遠ざけてしまいます。

三つの目標のうちの一つは長年あたためてきたもの。
どうやってとっかかりを作るかを友人とも話し合ってきました。
しかし、なんのことはない、あっけなく向こうからやってきた。
それも、極上のもの、自分がイメージしたものよりもずっといいものです。

そとがわの物質にいどみかかって目標を達成しようと頑張るよりも、
心のすす払いをして、自分のほんとうのパワーを解放してあげることが大切なのですね。
目標達成としては、しごく省エネな感じですが、結果はけっこう大満足ものですよ。

思わず「欲」が出て、ヒマさえあればすす払いにいそしんでいます(笑)。

08-11-06 自分の穴は自分で埋めよう!

家族、友人、パートナーと親密な関係を持てることはすばらしいこと。まさに、人生の贈り物です。でも、最近は「愛情」で結びつくというよりは「執着」で結びついて、自ら苦しむケースがふえているように感じるのです。あまりに相手に多くを期待・要求しすぎたり、また犠牲しすぎることで、自分の自由がなくなりボロボロになってしまうというように。

幼少期の両親との関係のなかで「自分が欲しくても得られなかった!」という体験は誰にでもあるもの。誰の幼少期も完璧ではありません。でも、その欠落を現在の親密な関係の中で埋めようとすると、ひどく相手に期待したり執着することになります。そして、そんなコテコテの感情を愛情だと勘違いしてしまい、「こんなに愛してるのにあなたは何もしてくれない。あなたはひどい!」あるいは「愛を得るためには奴隷になる」という苦しさに突入します。どちらも自由がない状態です。

自分の愛する相手が、この「欠落」(たとえば、認めてもらうこと、甘えさせてもらうこと、無条件に愛されること・・・etc)を埋めてくれて当然だと考えると、「なぜ、あなたはわたしの思うようにしないの」とつねに文句たらたらになります。相手を責めます。そして、欲しいものが手に入るように密かにコントロールし、攻撃し、ついには思うようにいかない現実を相手のせいにして恨みつらみをつのらせる。

おそらく、いくら相手を変えようとして戦っても、それは負け戦となります。なぜなら、どんどん嫌われてしまうからです。。

もともと人間関係は「他の人間」との関係ではないのです。どういうことかというと、人間関係は自分自身との関係、つまり「自分」関係。自分がその状況をどうとらえるのか、どう対処するのか。だから、誰とつきあおうとすぐに自分のパターンが露呈してしまうことになります(この相手だとうまくいかない!と、次ぎの相手をさがしても、また同じ結果になったというのはよく聞く話ですね。ようは自分です)。

人間関係で怒りを感じると、相手に責任を負わせて悪者にしたくなりますが・・・ちょっと待って!さて、なんで自分はその「怒り」を感じているのでしょうか?自分の中で何が起きているのでしょうか?あなたは相手の何に刺激されたのでしょうか?たぶん、「怒り」の下には弱い自分がいます。泣いてる自分、打ちひしがれている自分。その声を聞いてあげてください。

「何を手に入れたかったのか?」そして「それは、過去の誰との間で手に入らなかったのか?」・・・・。そう考えると、本当に怒りを感じているのは自分の「目の前の人」ではないのがわかります。何かに触発されて、古い感情パターンを繰り返しているのです。

わたしたちは、その感情のほんとうの声に耳を傾けてあげる必要があるのです。「そうか〜、子供のとき、いつもお母さんに認めてもらいたいって思ってたんだ。その穴を、わたしはこの人で埋めようとしてたんだな〜。あのときは、自分をそのままちゃんと見てほしかったんだよね」と耳を傾けて、過去の感情の穴をちゃんと認めてあげます。

つらくて直面するのがこわいからずっと穴があいたままなのですが、ちゃんと穴ぼこの存在を認めると不思議と穴はうまろうとします。ただ、その悲しみをそのままうけとめたら、手放してあげるのです。傷ついた自分がほっとするのに気づくはずです。

そして、「怒り」の分析がすんだら、相手にはおだやかに「あなたの行動に怒りを感じたけど、じつはわたしの中にはこんな悲しみや癒されない痛みがあってね・・・」という話をすると、相手は受け取れるものです。「そうか〜、そんなふうに感じていたのか〜。その気持ちが癒されるように助けになるよ」となるわけです。

わたしたちはその人を愛するがゆえに、この穴を埋めてくれるのはこの人しかいないと勘違いし、期待し要求し、ついには「ほしいものが得られない怒り」を感じて大切な人との関係をこわしてしまいます。しかし、つねに自分の感情としっかり向き合う気持ちを持つと、相手を悪者にせずに「大切な人」としての関係が深まってゆくのです。そして、なによりも自分自身が相手から自由になれることがいちばんすばらしいところです。

大切な人だからこそ、長くおつきあいしたいものですよね。

08-12-06 はいっ、「つぎ!」

「リコネクション」のセミナーが終わった〜! \(^O^)/ といいつつも、その後「マネジメントセミナー」「公認プラクティショナー認定試験」のお手伝い、エリックの「ライト&インフォメーション」と続き・・・いよいよこれでほんとのほんとに終わったぞ〜!と雄叫びをあげたい気分です(笑)。

セミナーやもろもろの行事の間は、TA(ティーチングアシスタント)のお仲間と「同じ釜の飯」ならぬ「同じ冷たいお弁当」をつつきつつ、あれやこれやと同じ時間を過ごしてきました。でも、いざ終わってみるとそんな日々も妙になつかしい・・・。

エリックがセミナーのなかで「Next!」という言葉をよく使っていました。

文字どおり、「つぎ!」ということなのですが。つまり、クライアントさんにヒーリングを施したら決してふりかえるな!と。つまり、「あの人、どうなったかな〜」とか「ちゃんとできてる?」などなど・・・。

「必要なことがすでに起ったことを知り」「けっしてふりかえらず」そして、大きな声で元気よく「つぎっ!(Next!)」ということ。

これはプロセスを信頼すること以外のなにものでもありません。この信頼が、起るべきことのすべてを起こしてくれるのです。なんにしてもそうですが、わたしたちは往々にして過去に目線が向きがちです。「あのとき、ああすればよかった」「こうだったら、うんぬん」・・・。でもそれって、ほおっておけばなるべくようになるものの邪魔をしてしまうことなのですね。

ひとつ心をこめてなしとげたら、もうふりかえらない。「Next!(つぎっ!)」と号令をかけて、いさぎよく未来に目線を向ける。わたしたちは、過去でななくてまっさらな時間を生きるためにここにいるということ。「Next!」、これこそ新しい扉をどんどん開いてゆく秘訣だと思うのです。

Eric, Thank You!

09-01-19 代官山、新しいランチどころ

C子ちゃんとひさびさのランチ♪
近所にできたイタリア食材専門店「Eataly(イータリー)」のカフェへ行ってみることに。

代官山、恵比寿はナポリ窯焼きピザのメッカ。名店がひしめいております。はてさて、こちらはいかがなものでしょうか?

サラダとパンがつくピザとパスタのセットをひとつづつ、C子ちゃんとシェア。

ちまちましたボールに申しわけ程度のサラダがくるかと思いきや、これがね〜、けっこう予想外の大盤ぶるまい。イタリア産の大きな生ハムが三枚ものったたっぷりサラダ。スタートからヨイ感じです。パンも、しっかりかみごたえがあって、オリーブオイルもさすがによい香りがします。

 
 
 
 
 
 
 

まずは、本日のピザ。大き〜い!たっぷりです!でも、とてもさっぱりしていて、なおかつもちもち感がかなりわたし好み。しかし、ひとりでオーダーするには覚悟がいりますよ、これは。・・・ほどなく運ばれてきたパスタ。これもたくましい。いい感じに歯ごたえがあります。ラグーソースがおいしい。

最後にカフェをとって、予算はひとり¥2300ほどでした。

ランチに来たはずがおしゃべりに熱中して、気がつけば3:00すぎ。帰りしなにパンかおやつを調達しようと思っていたのですが、あまりの満腹さにまったく食指が動かないしまつ。今度は食材のお買い物に来ましょう♪

「ベンジャミン・バトン 〜数奇な人生〜」

のっけから、せつないエピソードに泣かされます。駅の構内にかける大きな飾り時計を依頼された時計職人。時計の除幕式で、みんな「あっ!」と声をあげます。その時計は、なんと逆回りするように作られていたのです。なぜなら、戦死した息子を取り戻したかったから。時を巻き戻すことによって。

そして、話は時を逆に刻む時計から、時を逆行する男へとかわります。80歳で生まれ、0歳で生涯を終えた・・・そんな男の物語。

ベンジャミンのお父さんが彼を捨てたのが老人ホームの玄関。なので、彼は幸いにも老人の風貌で幼児期を生きることに何ら違和感を感じず育ちます。

でも、そんな男の人生がたやすいはずがありせん。若い頃から老人の風貌でさまざまな経験を積み、彼はどんどん若返ってゆきます。かなしいことに、愛する人とようやく釣り合うようになるのは人生のほんのつかのまのできごと。すべてはうつろい・・・まさに諸行無常です。

ベンジャミンの場合は時の流れというものが、とても克明でインパクトがあります。決して人と同じ流れで時を刻めないから。でも、考えてみると、わたしたちだってただ気がついていないだけで、いつだって時は刻一刻と流れ去って、けっして同じではないのですよ。

そして、もうひとつ感じたこと。わたしたちが人生のなかでほんとうに深い出会いをするのは、わたしたちが思っているほどそうたくさんの人たちではないということ。世の中にはこんなにたくさんの人があふれているように見えるけれど、実際、自分の人生にかかわり真の登場人物となるのはごくごく一握りの人だけ。それが、魂が結ばれているということなのでしょうね。だから、自分に与えられた近しい人との縁をいつも大切に慈しんでゆかなければなりません。

ひさしぶりにブラッド・ピット主演作で、ちょっと楽しみにしていたのです。アンジェリーナ・ジョリーとパートナーになって一気に子だくさんになったブラピが、どんな「おとっつぁん」になってたのかと・・・。しかし、これはほとんどが特殊メイクの老人顔で現在のブラピがどれなのか・・・。しかし、青年になったベンジャミンは、ちょっと太めではあるものの、あの若かりし頃のブラピそのものでしたよ。特殊メイクすごいですね〜。

涙壷度:★★★☆☆ (時計屋のおじさんにいきなりやられた!)

お茶の間シネマトーク「ベンジャミン・バトン 〜数奇な人生〜」

のっけから、せつないエピソードに泣かされます。駅の構内にかける大きな飾り時計を依頼された時計職人。時計の除幕式で、みんな「あっ!」と声をあげます。その時計は、なんと逆回りするように作られていたのです。なぜなら、戦死した息子を取り戻したかったから。時を巻き戻すことによって。

そして、話は時を逆に刻む時計から、時を逆行する男へとかわります。80歳で生まれ、0歳で生涯を終えた・・・そんな男の物語。

ベンジャミンのお父さんが彼を捨てたのが老人ホームの玄関。なので、彼は幸いにも老人の風貌で幼児期を生きることに何ら違和感を感じず育ちます。

でも、そんな男の人生がたやすいはずがありせん。若い頃から老人の風貌でさまざまな経験を積み、彼はどんどん若返ってゆきます。かなしいことに、愛する人とようやく釣り合うようになるのは人生のほんのつかのまのできごと。すべてはうつろい・・・まさに諸行無常です。

ベンジャミンの場合は時の流れというものが、とても克明でインパクトがあります。決して人と同じ流れで時を刻めないから。でも、考えてみると、わたしたちだってただ気がついていないだけで、いつだって時は刻一刻と流れ去って、けっして同じではないのですよ。

そして、もうひとつ感じたこと。わたしたちが人生のなかでほんとうに深い出会いをするのは、わたしたちが思っているほどそうたくさんの人たちではないということ。世の中にはこんなにたくさんの人があふれているように見えるけれど、実際、自分の人生にかかわり真の登場人物となるのはごくごく一握りの人だけ。それが、魂が結ばれているということなのでしょうね。だから、自分に与えられた近しい人との縁をいつも大切に慈しんでゆかなければなりません。

ひさしぶりにブラッド・ピットの主演作。ちょっと楽しみにしていたのは、アンジェリーナ・ジョリーとパートナーになって一気に子だくさんになったブラピが、いったいどんな「おとっつぁん」ぶりになったのかと・・・。しかし、これはほとんどが特殊メイクの老人顔で現在のブラピがどれなのか・・・。しかし、青年になったベンジャミンは、ちょっと太めではあるものの、あの若かりし頃のブラピそのものでしたよ。特殊メイクすごいですね〜。

涙壷度:★★★☆☆ (時計屋のおじさんにいきなりやられた!)

*お知らせ・・・左サイドバーのコラム「たかちゃんお茶の間シネマトーク」のページが復活いたしました〜♪

「ナルニア国物語」

「ナルニア国物語」といえば、どっさり何巻にもわたる長編ストーリーです。いつも読み始めるたびに「今度こそ、制覇するぞ!」と息まくのですが、たいてい岩波少年文庫の2巻めほどで挫折するのがつねでした。さて、このたびは映画で登場。封切り初日に行ってまいりました。

映像にしてしまうとイマイチかな〜と心配でしたが、そんなことはありません。のっけからの空襲シーンで、そのあまりのリアルさに他の映画の予告かと思ってしまうほどでした。ディズニーというよりは、スピルバーグばりの迫力と特撮のこりようで、ぜんぜん子ども騙しではありません。本よりおもしろいです(全部読んでないくせに!)。大人もかなりエキサイトできること間違いなし。

本のなかでは、悪い魔女が少年を「プリン」でそそのかして手下にするのですが、映画では「プリン」ではなくて「ターキッシュ・ディライト」というシャレたお菓子に変っていました。いくらなんでも、いまどきプリンごときではそうやすやすと子どもはついて来ないでしょう。この新種のお菓子は、口のまわりが真っ白になるほどパウダーシュガーたっぷりで、不思議な赤茶色。どうやらイギリスのティータイムにはかかせない定番のお菓子のようです。少年がハグハグっとぜんぶ平らげてる様子に、わたしも思わず生ツバものです。 お願い!なんでもいうこと聞くから、ひとつ私にくださいな〜♪(桃太郎の家来か?)

「ハリー・ポッター」は、一話め以外はみてる途中で眠くなってしまうのですが(なんせ、話がこむずかしい)、ナルニアは今後も期待大です。不思議な動物オンパレードが楽しいです。わたしは、ビーバー夫婦の仲睦まじさに心酔してしまいました。ビーバー奥ちゃまが、なんとも愛らしいです♪

涙壷度: ★☆☆☆☆(お涙ちょうだいものではありません)
はらはらドキドキ度:★★★☆☆

「シルヴィア」

友人のお誘いで試写会へ。米国を代表する詩人、シルヴィア・プラスが30才で自らの命をたつ
までの結婚生活を描いた作品です。才色兼備であることを自ら認めてしまうほどの美貌と才気にあるれたシルヴィア。そして同じく詩人であるテッド・ヒューズ
の才能に惚れ込んで妻となり、2児をもうけるのです。しかし、このへんからがスゴイ。やはり物書きのサガなのか、創造力がバンバンふくらんでありもしない
ストーリー(夫の浮気)をでっちあげ、二人の人生を次々に破壊してゆく様は手がつけられないほど悲惨そのもの。彼女の妄想を見ながら「ちょっとちょっと!
何も起こってないんじゃないの?」とチャチャを入れたくなるぐらい。彼女の両親についてはほとんど描写されていないのですが、それでも彼女が父親からの愛
の欠乏感に苦しめられていたのは手にとるようです。その乾いた心は、どんな愛をあたえられようとも受けとれず、まるで干涸びた大地のようにすべてを吸い尽
くし、まわりをも枯れさせてしまうのです。彼女の死後与えられたピューリッツァー賞も、そんな鋭敏な感性あってこそのもの。皮肉なものです。