気づきの日記「凹みますぅ・・・他人のひとこと」その2

人に言われたことであなたが猛烈に怒りを感じる・・・こんなときは何が起っているのでしょう?

相手に言われて「超腹がたった」「許せないと感じた」ときは・・・相手の発言がBINGO!!だった、まさに図星だった!、隠しもっていた劣等感にみごとにストライク!という時です。ホントのことは、ツボにはまりすぎて笑えないのです。カッとなっちゃう。受けとれない。人は関係ないことにはまったく反応を示しません。キョトンとするか、まったく理解できないか、この人なにを言っているのだろ〜と疑問に思う程度。しかし、ホントのことを言われちゃったときがいちばんヤバイのです。

だから、必要以上に腹がたっちゃったときは認めましょう。じつは、そうだったんだ、と。つまり、「まったくそうなんですよ。いやだわ!なんでわかっちゃったのかしら。隠してたのに・・・」と、自ら認めて笑っちゃえばいいのです。そして、ここが自分の弱点か!と認識すると、気づくことによって克服されてくるものです(クセや欠点はばれちゃったらおしまいなのです。自分に対してさえ、こっそりやっているところに醍醐味があるのですね)。

先ほども書いたように、自分に正当な自信があり、自分を認め、自分の人生をちゃんと生きている人は、そもそも他人に対してコメントしているヒマなどありませんし、他人のいちいちに興味などないのです。それよりも自分の現実と向き合い、それを変化させてゆくことに夢中。他人のことをとやかく言うときは、それだけヒマ、やることがないという時です。ですから、そのような方のお相手をしてしまうと、まさにいいカモにされてしまいます。

また、自分も他人のことが気になって仕方がないときも、赤信号。自分の人生に満足していないときかもしれません。他の人の揚げ足をとることに刺激を求めてしまっているのです。自分の人生の中で楽しいことを見つけましょう。

さて、こんな場合はどうでしょう?他人のコメントがほんとうに正しい場合。あなたが気づかなければならないことを言ってくれている場合。そういうときは、ちゃんと自分でわかるものです。痛いことを言われたな〜と感じるし、自分のエゴや優越感や計算がみすかされてしまった・・・(汗)という、バレちゃった感、バツの悪さがあるからです。そこには、自分の策略や隠れた意図があるのですね。他人に何か言われて良心が痛むとき、とても居心地悪く感じる時には、ウラがばれちゃった時です。さっさと指摘を受け入れて改善に務め、あとは水に流しましょう。

わたしたちは言葉にしろエネルギーにしろ、外側からやってくるものにあまりにも無防備だったりします。無意識に外側に反応していると、反応することに忙しい人生になり、なにひとつ自分で人生の舵がとれなくなってしまうことでしょう。何を受けいれるかは、身体にとり入れる栄養素と同じぐらい大切なことです。自分を傷づける、価値をおとす、気分が悪くなる、役に立たない、そんなものは断じて受け入れを拒むべきものです。身体をはぐくむ栄養素と同じぐらい、外からのエネルギーは大切なのです。自分を元気に明るくしてくれる、価値を認めてくれる、・・・・そんな外側からのインプットは大歓迎。大いに心を開いてとり入れましょう。つまり、ちゃんと自分で選択することです。

そしていちばん大切なことは、人生は反応するものではなく、自分が決めるもの、創り出すもの。この意識を持たないと、まわりにぶるんぶるん振り回されて疲れ果て、気づいたときには人生がThe End なんていうことにもなりかねません。自分のあり方、自分のものの見方、そして自分の未来さえも、自分で意識して選んでゆく意識をもつこと。そうすると、創り出す方向にエネルギーが流れます。そして創り出しやすくなります。そのためには、自分の心、感じていることに正直になることです。被害者ではなくて、創り出す人へ。すると、あんがい外側の世界は自分にやさしく感じるかもしれません。

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目黒セーヌは桜が満開!!おやつを買いに行こうにも、人ごみをかきわけなければなりません。

友人がやってきて、お花見第1ラウンド終了。あと、3ラウンド楽しむ予定です♪