気づきの日記「ゆだねる、ということ」その2

「ゆだねる」=「ホンロウ」されちゃう?のでしょうか。

その1でもちらりと書きましたがいろいろな体験がやってくるということは、宇宙はあなたにそれを体験してほしいからなのです。「怖い」だ「好き」だ「嫌い」だと言っているのではなく、そのまま体験することに意義あり、きっとよいことがありますよ〜と。

数日前、出張に出かけたときのこと。現地での午後のセッションが当日キャンセルとなりました。交通費、モロモロの経費があり、あらら・・・(汗)なのですが、わたしとセッション会場を提供してくれてる友人は「まあ、どうにかなるっしょ!」と顔を見合わせそのままにしておきました。すると、午前中のクライアントさんが「午後に他のセッションも受けたい」との申し出があり、そのセッションをしているうちに勝手にもう一名新しいクライアントさんが名乗りをあげておりました(で、結局もとよりも収入増!)。そう、経験に「抵抗しない」「そのままにしておく」ってこういう予想外の流れに乗れることなのです。予期しないことがやってきたときは、「こっちのほうが楽しいよ」「おトクだよ」と導かれているときです。これを見て、わたしたちは「ほら!やっぱりね!」と再度微笑みあったのでした。

また、「あるがままにしておく」「そのまま受け入れる」ということは、自分の中にある怖れをありありと浮かび上がらせてくれます。「そんなことしたら○○になっちゃうよ」と。そう、この思い込みこそが「○○になっちゃう」人生を創りだすモトなのです。

自分がどんな怖れを持っているのか自覚できないと、わたしたちはそれに突き動かされてとっている自分自身の不毛な行動に気づくことができません。怖れを避けようとすればするほど、そちらに歩み寄ってゆくことになります。

自分の怖れに自覚的になると、自信がなくなる?いえいえ、それよりも自分もそんな弱い面、ふがいない面を持っていることに気づき、人ってみんなそうなんだな〜と、自分も人も許すことができ優しくなります。自分がその点を認めて気づいていないと、同じ弱さを持っている人を認められず裁いてしまいます。しかし、みんながみんな、自分と同じそんな面を持っていると感じられるようになると、ある人が不器用なのを見て「まるでわたしみたい」と助けてあげることができます。それは自分を助けていることと同じこと。自分への変なこだわりやプライドがなくなり、罪悪感をもったり自己嫌悪で自分につらくあたることもなくなり、人への共感が育ち、そして世の中が平和に見えはじめます。

そして「抵抗しない」と、何よりも自分自身と世界との間に摩擦がおこらないので、ものごとはあるがままにとうとうと流れ、ちゃんとなるようになってゆく・・・という感覚があります。結局、怖れからさまざまなものに抵抗することで、なるようになるはずだった流れをせき止めていたのだな〜ということに気がつきます。わたしたちのアタマで「あ〜だ、こ〜だ」考えても、所詮、宇宙の智慧に比べたらわたしたちのはおサルちゃんの智恵程度(汗)。宇宙がわたしたちに乗せてくれようとしている流れに力を抜いてゆだねることこそ、わたしたちがこの地球でしなければならないことなのです。

きっと宇宙さんんは何度も叫んでいたことでしょうね。「もっと力を抜いて!自分でやろうとしないで!ちゃんとすべては用意されているのだからその流れに乗りなさい!」と。

「怖れ」や「抵抗」や「コントロールしたい」いつものパターンが顔をだそうとも、抵抗しない、戦わない、あるがまま、で今年は進んでゆこうと思っています。(まだ一ヶ月弱だけれど、気づきがたくさんあり、また人生の流れもラクになってきがしますよ♪)

もともとわたしたちがここに五感のある身体を持ってやってきたのは、それをフルに利用して体験するという人生を生きるためです。体験するために来たのに、逃げてちゃはじまらないわけです。「お〜、怒るってこんな感じか〜」「恥ずかしいってこんな感じか〜」「飛び上がっちゃうほど嬉しいってこんな感じか〜」と、あるがままにやってこさせて、それをサクサク受けとめて体験して、全部知っちゃったら同じ体験をする必要もなく、身体をもってここに存在する意味もなくなっちゃって・・・ついに人間卒業?(それも寂しい・・・まだスウィーツ食べたい・・・失笑)

あるがまま、来させて、体験して、楽しんで、流れにのって・・・大きくなりましょう。

PS セラピスト、癒し手という仕事をする前には、勉強をかねつつ自己の癒しもしなければなりません。なので、あらかたの問題はとっくに手放したと思っていました。が、気がついてみると、本当の自分のパターン化した重大な問題っていうのはじつは、自分がこれが問題だ!と信じていた裏の裏の裏の奥〜の方に気づかれないように静かに潜んでいるものなのです。嗚呼・・こんな信念に支配されていたとは・・・。そして、これを見つけるのに何年かかったことか・・・。でも、自分のとってきたあらゆる行動・思考に関して、深く納得するとともに、ナゾが解けたようで笑ってしまったのでした(なにやってたのだ!と)。自己探求はオモシロイ!そして、さらにふわふわゆるゆる自由になります。