気づきの日記「“ちょーだい、ちょーだい”の心のブラックホール」その1

セラピーを受けにいらっしゃる方の中には、彼氏やだんなさまに「おまえ、行ってこい!」と言われて予約される方も少なくありません。(ホントは、相手だけ変えようとしてもムダな抵抗ではあるのですが・・・汗)。

それはさておき、そんな「送りこまれちゃいました!(+_+)」な女性をみているとある共通点がうかがえます。それは、まず彼氏なりだんなさまに「ああして、こうして」と注文・要求が多く、思いどおりにならないとご機嫌ナナメになるということ。

その女性のなかには「理想の彼氏、だんなさまとはかくあるべし!」という確固とした刷り込みがあり、それにそっていないといちいちつっかかってきて、ついには口で言ってもダメだとわかると引きこもる、黙りこむ、むくれる、というエネルギーによる武力行使に出るわけです(注・引きこもる、黙りこむ、むくれるは決して弱さの表現ではありません。れっきとした攻撃のひとつで、使用する本人にとってはいちばんなじみがある定番の攻撃方法。また、有効に相手をコントロールできると知っていて使われるものです。男性にとっては言葉で論理的に議論できないというのは、わけがわからずお手上げなわけです。また引きこもられると、扱い方も男性にはわかりません)。

やってるご本人、女性にとってはいたってふつ〜、定番の反応なのです。そうです、わたしたちは何をしていようと、いつだって本人にとってはごくあたりまえのこと。だから、「このように反応して何が悪い」と開き直り、話しあいにもなりません。

もともと女の子というものは理想の王子さまを思い描きながら育つものですし、自分がお姫さまになりたい願望も強いもの。で、いったん彼氏ができると、「よしきた!」とばかりに相手の現実はさておいて、「理想の彼氏とはこういうものである」、「そうあらねばならない」をかかげて迫ってくるわけです。

すると、レストランに入るときドアをあけてくれない、自分だけずんずん行っちゃう彼氏に・・・・ちがうだろ〜!とムラムラ腹が立つ。もちろん、つきあいはじめの初々しいころは何も言いませんが、あるところから理想にそぐわない現実に対して怒りが炸裂しはじめるわけです。

その遠慮が薄らいできたあたりから、女性は自分のなかでずっと不足してきた愛情の埋め合わせをするために、必死で相手に「与える」ように要求してきます。それは、モノにしろ愛情にしろ、まるで底なし沼。この場合、いくら与えても、いくらやさしくしても、決して満足することはありません。

このいっくら与えても満腹にならない「欠乏感」は、じつは今にはじまったことではなかったのです。それは、幼少の頃から耐えていた痛みであり、おりあらば、あわよくば、埋めるチャンスを今か今かと伺っていた心の中のブッラクホール。両親とのあいだで決して満たされることのなかった「要求」であり「期待」であり「無条件の愛」なのです。

この「欠乏感」という心の穴は誰でも持っているものですが、とくにこどもの頃、親に十分な、そして健全な注意を向けてもらえなかったこどもは、深くて暗い底なし沼なブラックホールを抱え、それが心の真ん中に君臨しているわけです。

誰だってちいさな頃の自分はひとりになれば不安だし、わからないこと、対処できないことがいっぱい。そんなときに、ともに寄り添い、ただ見守ってくれる眼差しがあったか、なかったかは、その後の人生への安心感、自分に対する自信、そして未来への希望などに大きな影響を与えます。そこで与えられなかった無条件の愛はブラックホールとなり、つねにそれを埋めるためのチャンスを虎視眈々とねらうことになります。つまりその後の人生のなかで、足りなかったものを手に入れるためにあらゆるエネルギーを使うことになってしまうのです。

しかし、当の本人はそのような愛情の欠乏を相手に投影しているとはさらさら気づいていません。いつもあたりまえの行動・反応をとっているとしか思っていないのです。本人にとってはあくまでも、それが当たりまえですから。

なので、ついには彼氏やだんなさまに「重すぎる!」「要求が多すぎる」と嫌われてしまうハメに。彼らはブラックホールに吸い込まれ、ついには自分がなくなっちゃう恐怖を感じているわけです。

シッポを巻いて逃げられちゃうまえに、女性は自分が手に入れられなかったものを相手から力いっぱいむしりとろうとしている事実にしっかりと気がつかなければなりません。(むしりとろうとしても、往々にして、相手も足りないと思っているので、お互いむしりとる戦いになったりします。ふたりとも丸裸・・・汗。)

さて、このような悲惨な自己パターンにみずから気づくためにはどうしたらよいのでしょうか?
(その2につづく)