生きていていちばんつらいのは、どんなときでしょう?
何か大失敗をしでかしたとき?自分を認めてもらえないたとき?あるいは今回の震災のように、愛する人も何もかもを失ってしまったときでしょうか?もちろん、このようなとき私たちは生きる力を失います。
しかし、私たちをコテンパンに、これ以上立ち上がることができないほどに打ちのめしてしまうのは、じつは「希望」をまったく見失ってしまったときなのです。
どんなに苦しくてもまだ希望が見えるとき、私たちは立ちあがってここから抜け出そうと前に進みます。しかし、「心に何の希望もまったく感じられない」状態になると、暗闇に置き去りにされたように立ち尽くす、いえ座り込んで頭を抱えるしかないように感じます。希望は私たちの魂にとって必須の栄養素。これが切れてしまうといくら身体に栄養を与えても、励ましをもらっても、ついには命さえも落としてしまうことさえあるのです。
希望は外からやってくるもの、出会うものだと思われるかもしれません。しかし、同じものを目にしても、希望にあふれたものとして認識する人と、まったく希望のかけらも感じられないと判断する人がいます。
結局、希望とうものは、外にあるものではなく心がつくりだすものなのです。
どうしたら心に希望をつくりだすことができるでしょうか?
わたしたちの現実の中では、それぞれに必要なものは完璧に用意されています。しかし、それは見つけ出す気持ちがなければ目にふれることはありません。まずは、どんなときにでも、誰にでも希望はあるんだ!という信頼がなければ、見えるものも見えなくなってしまいます。
そして、行き詰まっているときと同じものの見方をし続けていては、同じものしか見えません。まったく違う視点をもってみる。また、様々な視点をもってみる。視点を広げてみる。すると、状況は変わらなくとも「な〜んだ!たいしたことじゃなかった」と気分が楽になったりします。
セミナーやワークショップ、カウンセリングなどの言葉を使ったセラピーやワークでは、まったく新しいものの見方を習ったり、視点を拡大、転換し、多様なものの見方をつくりだすのに役立ちます。それによって、真っ暗だと思っていた心の闇に、希望という灯りがしっかりともります。崖っぷちから真っ逆さまだと思っていたピンチさえも、知らぬまに風にのって高く飛翔している・・・そんな場面の急転換も可能になるのです。
(セラピーコモンズ・ネットモールさんのセラピストコラムに掲載)