12-04-25 やめられないんです♪被害者は! その3

その2より

どうやら、わたしたちには「被害者」をやめられないという哀しいサガがあるようです。(ハイ!かく言うわたくしも「被害者」楽しすぎて(?)当分やめる予定はありません。苦笑・・・トホホ。)

でも「被害者」になることとは、「可哀想なわたしでいることを自ら許す」ということなので、結局は自分が欲しかったものを遠ざけてしまうという悲しい結末に行きつきます。

前回も書いたように自分の人生に問題が勃発するのは、自分の深い意識(潜在意識)にためこんできたネガティブなエネルギーがパンパンの飽和状態になっいる時です。自分のことを怖れに満ちた価値のない愛されないやつだと信じていて、そんな気持ちを抱えているのには耐えきれず、とりあえず外へ廃棄するのが目的なのです。そのうえ、その目の前の問題は、たんに「汚物処理」のためのダミーの問題だときているし・・・。

そのときに、できるだけ他人にも自分にも“自分が汚物をまき散らした本人”だとバレないようにしなければなりません。だから被害者という煙幕をはって、「あなたのせいよ〜」と自分のモノを相手になすりつけちゃいます。それでも、深い部分では自分を嫌っているので、結局は自分を傷つけ罰する顛末へと行きつきます。

そして被害者になれば、ふがいないと思っている自分に対して自分の手を汚さずにおしおきができる・・・という、うまくいっているのかいってないのか、まったく摩訶不思議なシステムですね。

そして、こんなに複雑なことをしているので、自分さえもそのカラクリに騙されちゃう。

だから、被害者意識が出てきたときにはご用心。これにひっかかっちゃうと、自分のためこんでいた痛みのために現在の関係やら仕事やらを破壊しかねません。

しかし、こんな問題が起きているときだからこそ、わたしたちは自分の「心のパワー」に気がつかなければなりません。わたしたちのココロには、常に新しいものを「創り出す」という強力なパワーがあります。

しかし、それも諸刃の剣。自分が怖れにはまっていれば、恐ろしい未来を自分の眼前に繰り出してしまうということになりません。自分がそのとき選びとっているものしか創り出せないのですね。

だから、ここはハタ・・・と立ち止まって、ちょっと頭を切り替える必要があります。恐ろしいクリエイションをストップさせるために、モードの切り替えが必要なのです。

問題が起るとどうしても、過去の経験やら、今までの流れやら、すでに起ったことやら、「過去」のことをもとにして「未来」を予測しようとしてしまいがちです。しかし、アインシュタインの言葉によると「問題というのは、問題を作ったときと同じ考えのレベルでは解決はできない」のです。

ということは、今までの流れから出てくる結果は、今までの流れの延長にすぎません。「ああなって、こうなって」とだいたい予測がつくA子さんがもっとも怖れている流れです。

しかし、忘れてはならないのは、いつだって「未来は自分で選べる」し「ココロが未来を創る」という大切な事実。

まず、牛さんがくちゃくちゃと食べたものを反芻するように「つらかった出来事をグルグル反芻しつつ、こうなったら次の未来はこうだよね」と予測するのをやめなければなりません。このままだと、だいたい次に起ることは予想がつきます。被害者には被害者なりの人生が待っています。自分が怖れていることがもれなく起ってくるでしょう。

グルグル反芻すれば、それだけたくさんのエネルギーがそこに集中して、その怖れをどんどん現実のものにしてしまいます。

問題が起って「被害者」になりそうになったら、あるいはネガティブなことをグルグル反芻しそうになったら、

1、【立ち止まる】 まずは立ち止まって「あ、被害者やってた」「また、同じ怖れをグルグルしてたな」と気がつきます。

2、【キャンセルする】 そして新しい流れを選ぶためには、今までの流れがどうであれ、「ハイッ!ここでいったんキャンセル! 」と今までの流れを放棄します。つまり、怖れの自動意味づけシステムが勝手に起動し、作動しはじめるのを阻止します。

3、【何を体験したいのかを明確にする】 いったん止まったら、そこから自分がなにを未来に望むのかを明確にします。「ああ、嫉妬や怖れや怒りではなくって、愛と平和がほしい、信頼がほしい」というように未来の体験に目を向けます。

4、【新しい意味づけをする】 そうしたら、「今、ここから」その新しい目線でものごとを眺めるようにします。自動意味づけ装置のソフトを怖れから愛・平和の目線に変えてあげるのです。つまり、起ることに対して戦々恐々とした意味づけをしてたのを、寛大で余裕な「いつでも愛し愛されているわたし」「幸せであたりまえのわたし」からの意味づけに変更します。

すると、「彼の帰りが遅い=デートだ」という怖れの意味づけが、「彼の帰りが遅い=仕事大変だね、疲れて帰ってくるね、ねぎらおう」とやさしい目線になります。だんなさまが夜遅く帰ってきたときに、疑心暗鬼な怒りの目線で見られるのと、疲れが増すし、うんざりするでしょう。

でも、ほんとうにデートだったらどうなんですか?というご意見がありそうですね。

もちろんそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、「今ここから」「自分で」未来を選びます。そして創り出します。わたしたちは自分が意味づけをしたとおりに未来を創りあげ、体験してゆくのです。

だから、今、何が起っていようとも、つねに『ここから』スタートすることが大切です。早く言ってしまえば、「過去はどうでもいい」んです。それよりも、いつも今、ここから何を体験したいかを選びとってゆけるのは、常に自分自身なのですね。

怖れを持っていたら、怖れの証拠ばかりが目のまえに目白押しになります。誰かに怒りをもつと、その日一日、怒りたいことばかりが押し寄せます。でも、イイコトがあってハッピーな日には、なぜだか誰もが優しくしてくれるように感じます。

だったら、だったら、ためしに「やさしい目線」を持ってみる、「思いやりのあるまなざし」で解釈してみる・・・・すると、きっと自分の未来の中にやさしくさや思いやりの証拠がいっぱい見つかることと思います。

ホントに世界は、自分のココロのあわせ鏡・・・。さし出したものしか見られない、もらえない・・・。

わたしたちのココロはほっておくと、必ずや「被害者ごっこ」をはじめてしまいます。そのときは可哀想なわたしに酔っていられるかもしれませんが、あとでかならず「孤独」や「自己嫌悪」「罪悪感」のツケがまわってきます。「ごっご」遊びで傷つくのははやめて、ちょっと違う新しいやり方、「今、ここから、未来を選びなおす」という習慣を作ってみてくださいね。

どんな過去のストーリーがあってもOK!それでも、いつだって「今、ここ」に選択のチャンスがあるのです。

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト