ここしばらく、騒音に悩まされておりました。
それは外からやってくるもので、まるでバイクの警報装置が作動しちゃったようなうるささ。それも、24時間!連日!どうやら、このあたらりのビルの空調に問題がありそうです。
で、さっそく音のアタリをつけてそのビルの管理の方と話したのですが週末のこともあり業者と連絡がとれず、しばし苦痛な音とともに共存することを強いられました。音は日ごとに騒々しさを増し、頭痛と肩こりの原因に。しかし後日わかったことは、アタリをつけたビルにはなんら問題がなかったこと(残念!)。
ここでハタと気がついたのは、今年の二月にも上階の物音に悩まされていた、ということ。なぜか、美空ひばりとフォークソングの大音響。あまり上階の音は聞こえないのですが、自室でかけているようなうるささ。これは管理人さんにクレームを出して無事解決したのですが、「音」に関するトラブルが続いているな〜、ということ。
すべてのことは外界に現象として現れる前に、「ココロ」の中で形づくられます。つまり、うるさいのはわたしの「ココロ」。自分の「ココロ」が騒音をたてている、ということなのです。あるいは、混乱しているとでもいいましょうか。
はい、思い当たります。今年に入って、今まで信じてきた価値観がまっさかさまになるような大きな気づきがあって、その考え方にまだなじんでいないのです。だから、ものごとが起るたびに新しい解釈に手間取り、ちょっと混乱をきたしていたのです。
「ココロ」から起きてきていることを行動レベルだけで解決しようとしても、これは解決をみずに必ず繰り返されます。そう、二月のときも、すみやかに管理人さんにクレームを出して、自分が被害者になることで「こんなこと起こしているのは、わたしなんかじゃありませ〜ん。この騒音は明らかにわたしの外からやってきているでしょ。ああ〜、うるさくされて、なんて可哀想なわたし」というお得意のパターンにはまって誰かを悪ものにして自分が可哀想ないい人のフリをして悦に入っていたわけです。
でも、学びがないところはちゃんと再度レッスンがやってくるのですよね。「はい、もう一回、被害者になるのをやめて処理してみよ〜。自分で創ったことの責任をとってみようね〜」というわけです。
「はいはい、わかりましたよ〜」と自分のココロが騒音をたてまくっている張本人であることを認め、外に聞こえてくる音はたんに自分の心の状態の投影なのだ、と理解し、ちゃんと叫んでいるココロをなだめてあげましたよ。
で、そのあとに必要な行動がくるのです。この順番を間違ってはいけません。「すべてのことは自分のココロが創り出している」という責任をちゃんととってから、起こすべき物理的な行動に出るわけです。
おもしろいもので裏道を歩いていたら、その「音」のほんとうの源を発見!(ちゃんとした順序をわきまえているときには、次のステップを見つけるのも早い!)
すぐにそのビルに入って、管理の方とお話しをしました。すると、以前から空調のベルトが切れていて修理をお願いしていたのですが、ご迷惑をおかけしてすみません・・・とちゃんと認識していらっしゃり、話しが簡単でした。
戻ってみたら、ちゃんと「音」はやんでいましたよ。
どんなことが外からやってこようと、たとえそれがどう考えても自分とは関係なさそうに見えても、「自分が知覚している」ということは自分が創り出した自分の宇宙の中で起きているのですね。だから、「自分で責任をとる」ことがまずはじめに求められます。
そして、物理的な共有されてる世界にあるものは、その後「事情を話し合う」「改善をお願いする」という現実のアクションも必要になってきます。
なんにしても「自分が体験すること」にはいつだって、自分に責任があるのですよね。すべては「自分のココロから」!!キモに命じて、忘れないようにしたいものです。
今思うと、こんなにうるさかったのになぜ他の人たちが何も言わなかったのか?とも思うのですが、あくまでもこれは「わたしの」レッスンだったようです。(他の人は聞こえてなかったりして・・・汗。)
PS ああ〜、静かさがありがた〜い!