お茶の間シネマトーク「もし、悪魔のような息子をもったら?」

セラピーのお題目でもよく耳にするのが、「我が子は小さいときから、自分にまったくなつかなかった」「相性が悪い」というお母さまからの相談。

「そりゃ、育て方が悪くってなつかないのでは?」と思われがちですが、それ以前の何かだったりします。

なぜなら、心理学者のワトソンは「自分に1ダースのこどもを与えてくれれば、同じように育ててみせる」と言いましたが、はたしてそうはいきませんでした。環境を同じにしても決して同じ人間にはならない(兄弟がよい例ですよね)・・・ということは、自分がおかれた環境じたいを解釈するモノサシをすでに持っているということです。それに、まったく同じ体験をしても「やったぜ!」とポジティブに思える子もいれば、「最悪・・・」と落ち込む子もいるように、体験に対する反応は千差万別。生まれたばかりの赤ちゃんを見ていても、まっさらな人格でないことは明らかです。

この「少年は残酷な弓を射る」という映画も、「母になつかない息子」という問題を扱ったストーリーかと思っていました。

たしかになついてはいないのですが、どちらかというとこれは精神的に問題があるような。

のちに殺人事件にまで発展するのですが、米国では学内で銃乱射事件のようなことが起きていますが、このストーリーにおいては彼の得意な弓が凶器となります。

いったん事件が起きると、もっと早い段階でこどもの異常性に気がつかなかったのか、という声もあがるでしょうが、実際のところ、正常と異常の線引きってすごくあいまいです。白から、ほんのりとグレーに色づき、やがて完全に黒になったときにはすでに遅し。それに、すべてのことは、ポジティブにもネガティブにもどちらにも解釈できる二面性があります。この息子の家庭を見ても、父親はえらく鈍感だし、母親は息子がどうのという以前にとても神経過敏。こうなると、なかなか正しい対処ができないのかもしれません。

息子役の俳優さんがあまりにも美形なので、悪魔的な残酷さが際立っています。母役は「ナルニア国物語」で魔女を演じていた美しい女優さん、ティルダ・スウィントン。日本の女優さんがこの手の役をすると、まだどこかに美しさを残していたりしますが、ティルダの場合はやつれてノーメーク、まさに極限のボロボロ状態です。

ストーリーも事件当日から事件後、あるいは息子が生まれる前まで、と時間軸があちこちにとびまわり、観ていて精神的に居心地が悪くなり不安感をかきたてる構成。そのうえBGMが妙に明るい。映像とのミスマッチ。これも心理的におちつかない感じにさせられるのかもしれません。

しかし、もしこんな悪魔的な息子を持ったら、いったいどうしたらよいのか・・・?たとえ、自分になついていたとしても判断がむずかしい問題です。