13-03-06 好かれようと努力すれども・・・

Aさんはいつもキラキラ、フワフワ、スパンコールやシフォンのようなお洋服を着ています。とってもゴージャスできれいです。

でも、なぜかわたしは彼女と話しているとちょっとした違和感を感じてしまうのです。

なぜでしょう?・・・・何と言ったらいいのか・・・なんだかホンモノと話しをしている感じがしない、とでもいいましょうか?

どうやら服装も態度も「作りこみ」すぎていて、そのままの彼女が伝わってこないので、どこかフェイク感がぬぐえません。

もちろん、わたしたちは洋服を選ぶとき、メイクをするとき、さらに話しをするとき、より相手に好印象を与えるために「作っている」ところは必ずあるものです。「このピンクを着たら、よりやさしいイメージになるかしら?」「この口紅だったら、今っぽい女の子に見えそう」「こんなふうに笑えば、きっと明るいと思われるわ」という具合に。

でも、あまりに「作りこみ」すぎると、まるで自分のまわりにフェンスを作っているようで、人はその人に近づけなくなります。近づいてほしくてやっているのに、これでは逆効果。(~.~) 

「作りこんで」いるときには、そこには策略が存在します。「もっと愛してもらうために」「もっと素敵だと思ってもらうために」「もっと注目を浴びるために」・・・。でもその策略のさらに下には「それをしなければ愛される価値もないわたし」という怖れが存在するために、この策略を使うときには「注目や愛を奪おうとする」エネルギーが存在します。

そうです。「ちょ〜だい!ちょ〜だい!」エネルギーを発しているので、人はそれをどこかで察知して引いてしまいます。人は何か奪いとられる感じのところには近づきたくありません。だって、自分だって十分ではないと思っているのに・・・。

今はやりの、「与えることによって、より与えてもらう」という戦略を使っても、もともとの動機が「奪い取る(愛を、注意を、尊敬を)」ものなので、いくら与えても人は違和感を感じて逃げてしまいます。

そして、「もらう」ために策略しているときは自分のことしか考えていないので、相手に対する興味や関心、思いやり、暖かさはお留守になります。結局、自分のことしか考えていない様子が丸出しになってしまい、さらに減点!というわけです。

先ほどのオシャレな彼女も、ほんとうにそのスタイルが好きで、無意識でいつもそれを選んで、着ることを楽しんでいるなら、きっと彼女にとても似合っているし、オリジナリティがあって人は彼女のことを素敵だと思うし、真似したいと思うかもしれません。

でも、いつもまわりの反応を先回りして予測し、「こんな服装だったら、きっとチャーミングで特別な女性に見えそう」と、それに合わせるように装い、振る舞うと、まわりからは「ニセモノ感」が強くなってしまうのですね(結局、その下に隠されている「ダメダメ信念」がより透けてみえちゃうのです)。

だから、本当に好かれたかったら、まわりの反応など気にすることなく、自分が本当に好きなもので装い、好きなように振る舞うこと、そのほうが素敵に見えるのです(・・・というか、好かれている人は、好かれるか、否かなんて、まったく頓着していないのですね)。

え?好きなように振る舞ったら嫌われちゃう?・・・・いえいえ、メディアで時の人として注目されているのは、たいていはそのままに振る舞っている人です(つくられたアイドルは除く)。その人がのびのびとそれをしていると、あら、不思議・・・・なんだかそれがとっても素敵に見えてきちゃう。その人のゆるぎない自信は、まわりにもすぐに伝染します。「あら、これって素敵かも?!」と・・・そうして流行がつくられるのですね。

クライアントさんのご相談でも、どうも人から嫌われる、どうも人から敵意を向けられる、というような場合、たいていは「好かれようとする姿勢に計算があって、あざとく感じられてしまい、結局嫌われちゃうパターンが多いのです(人はコントロールされる感じにとても反応します)。そうそう、こんなクライアントさんもいらっしゃいました。好かれたいがために、あまり好きでない人に愛想よく話しかける・・・でも、結果はかえってネガティブな反応が返ってくるということでした。相手の人は、やはり作為的なものを感じて自分がコントロールされるのが嫌だったのですね。

だから、究極的には好かれるためには、好かれようとしない、そのままの自分で「これがわたしです!文句ありますか!?」ぐらいに開き直ることの方が必要です。

そうしていると、ちょっと落ち度があっても、「まあ、あれが○○ちゃんだから、仕方がないわね」とそのままを認めてもらえるようになります。

これから暖かくなって春のお洋服の新調を考えていらっしゃる方も多いと思います。外からのウケはさておいて、自分が着てみたい、やりたいファッションを思いきって楽しんでみてください。きっと、自分にフィットしてて、より自分らしく素敵に見えるとことと思います。

自分で自分を十分に認められたときに、きっと外からも同じような承認がやってくると思います。

そして、「作りこんで」いるときには人が近よれないと同時に、たとえ愛されたとしても、自分がいちばん「ニセモノ」の自分を知っているので受けとることができません。でもそのままの自分でいるときには、人もそのままその人の欠点も含めて丸ごと愛することができるし、なによりも自分がその愛情をしっかりと受けとめられるようになるのです。愛情は、自分がしっかりと受けとめることができてこそ、はじめて「存在するもの」になりますからね!

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)