気づきの日記「あなたは変わるべきだ!って、ホント?」

「夫はむかしと変わってしまったんです。だから別れてたいんです」

「こんなはずじゃなかったんです。彼女にはもうガマンができません」

「彼が(彼女が)変わってくれないと、もうムリです・・・」

パートナーシップにおいて、こんなご相談が多く持ちこまれます。

ほんとうに、相手は変わってしまったのでしょうか・・・?違う人になったのでしょうか・・・?

もしもご本人に尋ねたら、きっと「いや、昔からこうですよ」「何も変わっていません」と言うに違いありません。

じゃあ、何が問題なのでしょう?

わたしたちは「誰かを好きになるとき」、じつは妄想たくましくなっています。

☆「彼は向井理似だ」(事実) → つまり「性格もいいはずだ」「女性に優しいはずだ」「スマートな振る舞いをするはずだ」(これは勝手な妄想)
☆「彼女は色白だ」(事実) → つまり「おしとやかに違いない」「素直なはずだ」「男性を立ててくれるだろう」(これは勝手な妄想)

わたしたちはあることがらを手がかりに、相手に対して勝手なイメージやストーリーをでっちあげ、ふくらませてしまいます。

本当は、「色白」であることは「おしとやか」とは何ら関係がありません。「向井理」に似ていようとも、どうしようもなくイヤミな男性かもしれません。つまり、相手の「真実」には一向に目をむけず、自分にとって好ましい手がかりを見つけるやいなや、そこから都合のよいストーリをでっち上げ、「相手はこういう人に違いない、いや、そうなのだ!」という妄想に溺れていくのです。

でっち上げたストーリーはしだいに、強固なイメージとして一人歩きをはじめます。でも、そのイメージと本人はまったく何のつながりもないのです。たんなる妄想・・・.

でも、そこに気がつかず、彼を(彼女を)そのイメージ・ストーリーの中にはめこみ、ちょっとでも相手がそのイメージからはずれようものなら、ソクそれを修正するために戦いを挑みます。「なんであなたはそんなこと言うの?」「どうしてそんな振る舞いをするの?」(向井理のようにふるまわなくっちゃダメでしょ!)。「どうして君はそんなにガサツなんだ」「どうしてそう勝手なんだ」(色白だったら、そんなはずはない!)。つまり、なんであなたはわたしのイメージどおりに生きられないの?!と。

・・・・答えはただひとつ・・・「だって、わたしはそういう人じゃないんだもん」。

いや〜、どこでどう間違っちゃったんだか・・・。

でも、わたしたちは「こんなはずじゃない。相手は間違っている。だから変えねばならない」と信じていて、日々、妄想した相手に近づいてくれるようにプレッシャーをかけ、相手を非難し、変えようとします。

相手にしてみたら、たまったものではありません。いったいいつから「あるがままの自分」でいる権利を失ってしまったのでしょう?そのままの自分で生きてはいけなくなったのでしょう?そして、相手の妄想の中の人物を演じなければならなくなったのでしょう?

そもそも最初の最初から、「本当の相手の姿」などまったく見ていなかったのです。そんなことよりも、、理想の彼(彼女)に出会ったと勝手に思い込み、自分がでっちあげた架空の誰かに恋をしていたのです。相手にしてみれば、架空の誰かを強要されたらたまったものではありません。


わたしたちは相手に対して、何を期待しているのでしょう?期待に答えてくれないと、何に腹をたてているのでしょう?何を与えるべきだと信じているのでしょう?相手はそれを本当に与える「べき」なのでしょうか?それは本当に自分では持っていないのでしょうか?

「相手がそれを与えるべきだ」と信じると、わたしたちはとたんに不自由になります。相手の好みの自分でいなくちゃならないし、相手にあわせなくちゃいけないし・・・自分のパワーを相手に渡して、すべてのことが相手しだいになってしまいます。

わたしたちはそれぞれ、自分で自分の面倒をしっかりみて、自分で自分の人生を豊かにし、自分で自分を幸せにして、自分で自分を成長させなければなりません。それをするために生まれてきました。その役は誰も変わってくれません。つまり、自分としっかり向き合って、自分の人生をちゃんと生きること。その大切なお仕事を誰かに丸投げしてしまうと、とたんに人生は不自由になって、相手しだいになってしまうのです。

・・・ということは、「相手がどうの、こうの」とちょっかいを出しているヒマがあったら、まず自分の面倒を見なくてはなりません。今までの自分の人生で足りなかったものを自分で自分に与えてあげること。

人は自分の人生を生きる、責任を持つという意味で「自己完結型」であり、また自分に必要なものは自分にちゃんと与えるという意味で「自給自足」を心得なければならないものだと感じます。

相手に求めなくなったとき、不平不満がなくなり、相手とのバトルがなくなりよい関係を築くことができます。なによりも、相手を「あるがまま」に解放してあげることによって、ココロが平和になります。そして、自分も「あるがままでいいんだ」という安心感を感じられるようになります。

自分に足りないものは自分で満たす・・・すると「ちょ〜だい!」ちょ〜だい」の欠乏やコントロールや怖れに満ちた関係から、相手と自分の「あるがまま」を楽しめるリラックスした関係になってゆくのでしょうね。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト