お茶の間シネマトーク「そして “ようやく” 父になる」

息子の取り違えが発覚。その子は六歳・・・。まだ、六歳・・・、もう、六歳・・・だから、よかったのか、悪かったのか・・・。

先日、カンヌで受賞した「そして父になる」を観てきました。本編上映前にカンヌでの是枝監督と福山さんたちの様子が流されて、このスタンディングオベーションをみているだけでうるうるきちゃいました。

ベビーブームに多発し、世の中を騒がせた赤ちゃん取り違え事件。そんなこともあってか、わたしの母はわたしが小さい頃「取り違えてないから大丈夫よ!」と言ったことがありました。(それ以前に、わたしは父似なので疑惑の余地なしです・笑)

しかしこの事件、「前例では100%、交換の選択肢を選ぶ」・・・って本当でしょうか?赤ちゃんならまだしも・・・・、六歳のこどもにしてみたら、親とは自分の全宇宙、神様のような存在。そして自分が育った環境、習慣、考え方こそ、自分のアイデンティティを支えるすべてです。それを大人の都合で、突然何もかも変えられたら・・・。

このストーリーの中では、親の気持ちだけで、こどもに対して説明するどころか、気持ちを聞くことすらしていないのです。まだ六歳だから・・・?六歳のこどもだって、ちゃんと自分の気持ちがあるし、理解だってできるはず。(こんなふうに、“まだこどもだから”という意識こそが、こどもの心を傷つける最大のポイントだと感じます。)

十月十日、自分の一部としてお腹の中でこどもをはぐくみ、苦しい思いをして出産し、四六時中ミルクをあげ面倒をみるという、こどもとまさに一心同体の時期を長くすごくてきた女性はそのプロセスを通して自然と「母」の実感を身体全体で感じるのだろうけれど、男性、とくにこの福山さん演じる仕事一途のエリートサラリーマンはこどもが生まれたからといっても、まるで手のかかるペットかなにかが増えただけで、まだまだ自分中心で父親にはなりきれていないのだと感じます。

このゴタゴタがあって、こどもと真剣に向き合わざるをえなくなってはじめて、この福山さん演じる男性は“ようやく、やっと父になる”のでした。

劇中に流れていたブルグミュラーのなつかしい音色。そうそう、六歳ぐらいで弾いていたピアノ練習曲です。この音色とともに自分も六歳のこどもの心になって、画面を見つめていたのでした。

ハンカチ必携。涙壷度:★★☆☆☆(じわじわ、はらはら、静かな涙でした)