13-11-18 “怖がり”さんな私たち、さてどうする?

「明日、授業で短編のリーディングをするんだけど、“怖れ”がテーマなんだ。“怖れ”について何か生徒に教えてあげられることあるかな?」とアドバイスを求められました。

ふむふむ、怖れね〜・・・。

古代の賢人曰く、「わたしはずいぶん長いこと人間をやってきた。今まで心配のタネは尽きなかった。しかし、そのほとんどが“現実には起らなかった”」。また、アメリカの学者さんの研究では、「わたしたちの心配ごとの97%は実際には起らない」という統計があります。

ということは、わたしたちは無為に怖がり過ぎ、ってこと?

それもそのはず、怖れは本能で、その昔、ほら穴に住んでいた頃、闇の中で自分よりも強い動物に食べられちゃわないためにたっぷりと怖れをもって警戒して、命をつないできたのでした。

でも現代には、恐竜もいないし、街にクマも歩いていないしね。そんなに年がら年中怖れている必要もないわけです。(原始人の時代からずっと、わたしたちのDNAの「怖れスイッチ」は入りっぱなしなのかも。)

だからといって、まったく怖れがなくてもちょっとマズいことになります。スカイツリーに登って、「大丈夫、こっから飛び降りられる」と思っちゃうかもしれないしね。なので、適度な怖れは自分のお守りになっているのですね。

セラピーをしていて感じるのは、「怖れ」が薄紙のように人生をおおっていて、なんだかいつもぼんやりと怖れの色に人生が染まっている人が多い、ということ。スッキリ、サッパリ、元気に生きたいのに、そこはかとなくいつも「怖れ」ているのです。そうなると、発揮できる才能や力さえも封印してしまいます。

じつは、怖がっているのは「本当の自分」ではありません。そもそも、わたしたちの中には二種類の自分が存在していて、ひとつは何も怖いものなんてない、のびのびして、ありのままな「本当の自分」。そしてもうひとつは、いつも人と競争して、臆病で、問題が大好きな「エゴの自分」。

まさにいつも怖がっている正体は「エゴの自分」のほう。何かを見ると、すぐに問題にしたくなるし、戦いたくなるし、被害者になりたくなる自分です。「エゴの自分」は大騒ぎが大好き。物事のなにげないプロセスや変化にさえも、これは大問題だ!恐ろしいことが起る!といい張るのです。

なので、まずは「怖がっているのは本当の自分ではない」ということを知り、怖がっている正体は恐ろしくネガティブが大好きだということを認識することが大切です。(「怖い」と感じているとき、客観的に「あ、もう一人の自分が怖がっている」と眺めてみてください。この眺めている存在がホンモノの方です。)

そして、「エゴの自分」がいい張る怖れをリストアップしてみるといいと思います。怖れが引き起こすであろう結末も書いてみて、客観的にながめてみます。

そもそも「怖れ」って、得体がしれないから怖いのであって、スポットライトを当てちゃうと、そんなにこわくなかったりします。紙に書き出すのはスポットライトを当てる作業。書いているうちに冷静になって、「これは確率的にそんなに起こりえないな〜」とか、「そうなる前に、これもできるし、あれもできる」・・・と頭が明晰になってきます。

ひとしきり書き出したら、解決策だけ残して、怖れの部分のリストアップは破いて捨ててしまいましょう。サッパリします。

他に怖れ解決策としては・・・

怖れを感じているときには「今」にいない状態で、まだ来ていない「未来」にお出かけしている状態です。わたしたちは、「今、ここ」に根を張っていないと、すぐに精神状態があやうくなります。なぜなら、生命エネルギーは、今、自分が生きている「ここ」にしか存在しないからです。

だから、しっかりと「今、ここ」に戻ってきて、「今、ここ」で自分ができること、それがどんなに小さなことでも、行動を起こしてみましょう。行動を起こしていないと怖れは大きくなります。いったん行動を起こすと、おもしろいもので次のステップが自然と見えてきたりしますよね。

あと、おもしろがってお遊び的に「思いっきりコワがる」のも、怖れ解消には有効です。その場合、部屋をおもいっきり転げ回るなど、ハデハデしくやるのがポイントですよ。

そんなこんなで「怖れ」について考えたひとときでした。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト