14-05-23 大学生のお悩み相談 その2

(その1より)

先日、大学で授業をしたとき、Q&A タイムにとくに多かったご質問。

「人のことをどうしても見下して、バカにしてしまうんです」、そしてもうひとつは、「人がこわいんです」というご相談。

 

●「人がこわいんです」

ある特定の人に対して「こわさ」や「脅威」を感じる人はあんがい多いもの。「こわさ」とまでいかなくても、苦手意識であるかもしれません。

じつは「こわい」と感じる目のまえの相手は、その「こわさ」の直接原因ではありません。そして「こわい」と感じているときは、幸いにも「より自分がバージョンアップする」ための「サイン」を受けとっているときでもあるのです。

さて、それはどういうことでしょうか?

「こわい」と感じるからには、たしかに傷ついた経験があるのです。しかし、それはもっともっと昔のこと。無力な子どもだったときのことです。

目のまえの人や状況は、そのときに似ているのです、なにかが・・・。たんに顔が似ているだけかもしれないし、状況がどこか似ているのかもしれません ・・・。その昔、幼い自分がその体験に圧倒されて、湧き上がってきたおそろしい感情をどうしていいのかわからなかったため、そのこわさを心の奥にねじ込んでもう無いことにしようと決めたのです。「ほ〜ら、目のまえにもうないじゃない。だからぜんぜ〜ん平気。傷ついてなんかいないし」・・・って。 でも、それはどこかに行ったわけではなくて、いまも心の中にありありと存在していて、ちょっとした共通点があると痛みが浮上してくるのです。

いま目のまえの人はその「こわさ」とは関係がないので、ここで勘違いをして「相手を変えよう」としたり、その人から「逃げても」まったく解決策とはなりません。その「こわさ」はいつも自分と一緒で、どこまでも追いかけてきます。そのたびに、無力感やおそろしさが甦ってくるのです。

放置しておいたこわさは、時間の流れとともに肥大化します。もうこころの押し入れには収まりきれなくなって、意識の表面に浮かび上がってはうろうろします。何度も、何度も・・・。

それは、「もう押し入れを掃除しましょうよ!そろそろ身軽になってもいいんじゃないですか?」というメッセージです。「向き合っても大丈夫なぐらいあなたは成長したし、強いし、もう荷物を整理して自由になるときがきましたよ」と教えてくれているのです。次のステップへの、成長へのご招待状。

解放してあげるためには、「認めて」「感じて」「安心させる」・・・
1、 ああ、この怖れは今のことじゃないんだな〜。自分の過去のどこかからきてたマボロシなんだ〜と「認め」ます。
2、 解放するために、その怖れをあるがままに「感じて」あげます。すべては体験するために存在します。なので、ただ受けとめて、「ああ、こんな感じか〜」と体験してあげると感情の任務が終わって消えていきます。(ここでは、言葉は使わないで感覚だけで感じてあげるとラクです。)
3、 そして、自分の中のこわがっている子どもをイメージして、「もう、大丈夫。わたしがあなたを守るから。もう一人じゃないよ」と声をかけて安心させてあげてください。

幼い頃のわたしたちは、手に負えないように感じる自分の感情に対して、どうやって向き合ったらいいのか誰も対処法を教えてくれませんでした。そうなると、わからないものは無視してほっておくしかなかったのですね。

またわたしたちは、まわりの期待に答えることが愛されることだと勘違いして、自分の感じている正直な感情を無視して一生懸命大丈夫なふりをしようとします。ほら、「さっきの感情jはもうない!わたしはもう大丈夫!」と言い聞かせるけれど、じつは痛みの塊をこころの奥深くに押しやって見ないふりをしていただけなのです。

日々の生活の中でこころに痛みを感じるときはいつでも、幼い自分がこわがって泣いているときです。本当は「今」の自分はぜんぜんOKなのです。

そして、その痛みは成長しなさい、といつも促てくれています。その痛みを手離すチャンスが訪れているということです。もうあなたはこわさに支配される必要はありません、身軽になりなさいと。痛みは、こころの荷下ろしをして軽くなって、本来のくったくのない自分に戻る作業を促しているといえます。

痛みを感じたら、ネガティブにとらえるよりも、「ああ、またひとつむかしの痛みの残骸を処分するサインだな〜。これをちゃんと感じて片付けて、より軽やかでくったくのない自分になろう」と前向きにとらえてみましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト