気づきの日記「 人生をよくするカギは子ども時代にあり 」

日々、カウンセリング・セラピーというお仕事をしながら、クライエントさんとともにさまざまな人生の問題を紐といていくうちに、ほんとうに私たちは子どもの頃の間違った思い込み(誤解)を、宇宙の普遍的なルールのように後生大事に意識のなかに抱えこんで生きているんだな〜と感じます。

そしてそれは、自分にとってあまりに「あたりまえ」すぎて、本当かどうか疑ってみる機会さえありません。当然のあまり自分の一部になっています。

幼い頃はそのルールに従っていれば、親の保護やら愛情らしきものがもらえたように思えたかもしれません。でも、お子ちゃま向けだったルールが大人にとって役に立ち続けるとは、誰が考えてもおかしな話。・・・私たちが握りしめている子どものルールは、大人のわたしたちの首をしめて、それはそれは生き心地を悪くします。なぜなら、それは本当の自分でいることを許さないからです。

私たちは何が子どもの頃のルールかも調べることもせず、ただただそれを持ち続けることによって、同じストーリーを再生し続けます。

たとえば・・・あまりにもはしゃぎすぎて元気がよすぎて、ほとばしるエネルギーで母親をぶってしまった男の子は、「もう、なんて乱暴なの、この子は!」と母はカッとして力いっぱい払いのけるかもしれません。するとその動作とひとことによって、その子は「自分のなかから湧き上がるエネルギーを表現すると一気に愛を失うのだ」と、心に決めるかもしれません。「ボクがほんとうの自分でイキイキしてると、嫌われて一人ぼっちになる」・・・。

でも、母は母で、子どもが荒っぽく飛びついてきた瞬間に、もしかすると幼い頃、男の子にいじめられた体験が甦ったのかもしれません。無邪気な表現を、無意識のうちに攻撃と解釈してしまったのです。

とくに大きなトラウマ的な体験がなくっても、こんなたった一回の経験で子どもだった私たちの無邪気なハートは一生閉じてしまったりするのです。 ・・・ 「あの日、お母さんはお父さんとケンカしていらいらしていたんだよ」とか、「ひとりぼっちの子育てに疲れて、誰かにあたりたかったんだよ」とか、「子どものとき、いじめられたのを思い出したの」とか・・・誰かが誤解をといてくれるまで「ありのままでは愛されない自分」というレッテルを貼り続けてしまうのです。

この自分に対する間違った思い込みは、のちの人間関係の中で何度も痛みをつくりだします。何度も、何度も、同じように戻ってくるのです。

なぜなら、自分の高い意識は「どうしてもこれを癒したい」と思っているからです。そのためには、問題を目の前にぶらさげて、自覚してもらう必要があるからです。「ねえ、ねえ、早く問題に気がついて、この誤解を癒そうよ」と。

そしてさらに高い目線から見ると、子どものときの母からの傷ついた一言でさえ、じつはもっと昔の魂レベルの痛みを浮上させるために起きています。つまり、もっと前の人生での課題が、子どものときの親との関係に再生されて、それが人生での癒しのテーマとなるのです。

私たちがここに生まれてくるのは、「すべての誤解をといて、本当の自分を取り戻すため」。そのために、ここにやってきて、早いうちから親に問題提起をしてもらい、その後の人生で同じ問題を繰り返すことにより、自分が今回どんな問題のどんな誤解を解かなければならないかを問題に直面しながら気がついていく・・・ということです。

でも、問題を外型のせいにして、「あいつが悪い!」と言ってしまうと、延々と自分が自由になるチャンスを逃します。

外に何がみえようとも、「これはいったい、わたしの中で何が起きているのだ?小さいころの痛みとこの問題の関連性は何?何が繰り返されているの?」と自分に問いかけると、だんだんと自分の誤解をとくポイントが見えてきます。高い意識も気づきに参加してて、誤解のからくりが見えてきます。

何かあったときに外側と戦うことをやめて、自分の中に何があるかお問い合わせする習慣をもつと、もう同じパターンの問題で苦しめられることはなくなります。

さてさて、あなたの幼少期の心の痛みとは何だったのでしょう?(トラウマというものがなくっても、私たちの子ども時代はフラストレーションがいっぱいあったはずです)、それはどんな形で再生され続けているのでしょう?そして、そこにはどんな誤解がひそんでいるのでしょうか??

探偵になったつもりでナゾときをしてみると、「あ〜〜!・・・なるほどね」という気づきがやってくるかもしれません。そうしたら、ついに固くとじていた環がとけるときです。

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

 

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